株式会社日経BP刊 武見敬三著「繁栄か、衰退か 活力ある健康長寿社会を創る」
pp.41‐47より抜粋
ISBN-10 : 4296207784
ISBN-13 : 978-4296207787
岐路に立つ日本の未来、活力ある社会をつくる政策を
今後想定される人口動態からは、2つの未来が考えられるでしょう。まず、何も手を打たなければこうなるという自然的な未来で、衰退していく社会が1つです。そしてもう1つは、社会生物学的にも経済的にも活力を持続させるような政策をつくり、繁栄する社会です。
これから待ち受ける危機を考えると、過去からの延長線上に未来をつくり上げるという、これまでのフォーキャスティング型の政策では、もはや立ちゆかないのは明白です。そうではなく、大胆に将来のあるべき姿を定め、その目標から逆算して必要な政策と行動計画を立案・遂行する「バックキャスティング型」の政策形成が重要です。
先手を打てば未来は変えられます。この考えにも、父の影響は色濃いかもしれません。父が1976年に発表した「未来からの反射」という概念があります。未来の設計図を描き、そこから現代と比較して足りない部分を確認して補う、という考え方です。過去からの延長線上ではなく、あるべき未来の姿からの反射で学び、行動するという教えです。父の受け売りですが、私はこれを実践しています。
2030年代の危機を乗り切る4つの柱
私が考える2030年代の危機を乗り切るための柱は、大きく4つあります。
1:医療DXの推進
1つ目は「医療DX(デジタルトランスフォーメーション)」です。医療のデジタル化、システム化を徹底的に進めなければなりません。デジタル化とデータベースに基づいて新たな制度を設計し、より効率的なシステムをつくるのです。生成AI(人工知能)なども駆使しつつ、人が担っている業務を医療DXで置き換えていくことが必要です。とはいえ、医療・介護は人でなければできない部分も多いのは事実です。人でなければできない部分は2030年代でも持続可能な形でできるよう、どう仕組みを設計するか、かつできる限り人をかけずにやれるようにしていくことが必要でしょう。
2:女性の活躍
2つ目は「女性の活躍」です。今や医学部生の約4割が女性という時代です。2022年の女性医師の割合も23.6%と年々上昇しています(厚生労働省「2022年医師・歯科医師・薬剤師統計」)。この分野で働く女性を、男女共同で育て、支援していく。男性中心だった職場カルチャーを変えることも必要です。
3:高齢者が社会参加できる仕組みづくり
3つ目が、健康寿命の延伸による「高齢者が社会参加できる仕組みづくり」です。国民の
健康増進が、各自が長く元気に暮らしていく上で重要であることは言うまでもありません。それのみならず、健康寿命の延伸は、前述した働き手不足の問題に対する解決の一助にもなります。
元気な高齢者が社会参画し、60~75歳で働く意欲・能力のある方々に活躍していただければ、より明るい未来が期待できます。高齢者自身が希望すれば、より積極的に働けるように社会を制度設計し、かつ所得も確保できるようにする必要があります。
そのためには、現在の年金制度のように、「収入が高いと年金は出せない」といった制度設計では、これからの時代にはそぐわないでしょう。年金も雇用制度も、元気な高齢者が働きやすいものに組み替えていく必要があります。もちろん働きやすい環境をつくったり、高齢者が仕事をしやすいようにムダな仕事を減らして標準化するといった生産性向上も急務です。前述の医療DXの推進なども生産性向上や働きやすい環境づくりと関係してきます。
健康増進のためには国民の健康リテラシーの向上を図る必要もあるでしょう。「自分の健康は自分で守る」という意識を持って、必要な知識を身につけ、行動を変容させていくのです。医師や薬剤師などからのアドバイスを受けながら、体調を崩さない生活習慣を心がけたり、また軽度な不調であれば、薬局やドラッグストアなどで医師の処方箋がなくても購入で
きるOTC医薬品(一般用医薬品)を服用して重症化を防いだりなど、「セルフメディケーション」の考え方も重要になってきます。
私の母校である慶應義塾大学を創設した福沢諭吉は、「一身独立して一国独立す」という言葉を残しました。一人ひとりが独立した人間であって初めて、国として独立できるという教えです。この考えと全く同じです。自立した個人が社会の中で増えていけばいくほど、社会全体の健康度は確実に改善され、健康寿命のさらなる延伸につながっていくでしょう。
4:外国人労働者の活用
ここまで取り組んでも、国内の力だけでは足りないところは2030年代には厳然として残ります。保健・医療・介護の分野は間違いなくそうでしょう。そこで4番目の柱となるのが「外国人労働者の活用」です。日本で外国人労働者に活躍してもらう仕組みをつくる必要があります。
これは日本の医療・介護などの国内需要を支えるためだけではありません。先ほども触れましたが、将来的には日本の後を追う形で、インドネシアやフィリピン、ベトナムなどが高齢社会を迎えます。そのときに、日本で働く外国人人材が将来の自国の医療・介護政策を担う根幹の人材になるのです。いわば人材を日本で養成し、グローバルに還流する仕組みをつくる形で、日本と世界の両方にとって有益です。
既に介護の分野で活躍する外国人は少なくありません。介護福祉士養成施設における留学生の割合は、2024年度で入学者全体の46.7%に達しています(日本介護福祉士養成施設協会)。養成施設は留学生を受け入れることで、カリキュラムの多言語化などを進めるとともに、組織風土も多様性を受け入れる方向に変わっていったと聞いています。
医療でも私は厚労大臣時代、大学医学部を対象として、2025年度から返還義務のない給付型の奨学金を提供する奨学金制度を創設しました。アジア地域の留学生を中心に受け入れ、医学部教育の中でグローバル化を実現していく取り組みです。
日本での在留外国人は年々増加しています。出入国在留管理庁の報告によると、22024年6月時点の在留外国人数は358万8956人で、過去最高となっています。日本人が外国人を受け入れる際には、日本固有の文化や社会規範に対する理解を求めるのは当然のこととして、彼らの文化などにも心を配り、双方が地域社会の中で共に生きていくことが望ましいことは言うまでもありません。しかし、デジタル化などを活用し、外国人労働者の制度管理を徹底しつつ、安心で安全といわれる日本社会を守る万全の準備を進める必要もあるのです。2030年代に外国人嫌いが広がり、排斥感情が日本政治の大混乱の原因となるようにしてはいけないのです。
試練を乗り越え、世界の高齢化に道を示す日本に
日本は医療・介護における「最大の試練」を必ず乗り越えます。その解決の後に、健康・高齢化社会への対応を世界に提示するのが、国際社会における日本の役割です。日本がソフトパワーを示せる分野は、マンガや日本食、コスプレだけではありません。保健・医療・介護も日本のソフトパワーとして十分なポテンシャルがあると私は確信しています。
司馬遼太郎は歴史小説『坂の上の雲』で、明治維新を経て近代国家として歩み始め、日露戦争勝利に至るまでの日本の姿を描きました。当時の日本は若く、「西洋に追いつけ、追い越せ」という空気だったでしょう。
しかし、今は違います。2030年代の日本のあるべき姿、これからの日本の国家目標は何か。それは高齢化という世界共通の課題にいち早く対応した社会のあり方を示し、各国のモデルとなる活力のある健康長寿社会をつくることです。