pp.19-22より抜粋
ISBN-10 : 4106038536
ISBN-13 : 978-4106038532
講座派は明治維新について、不徹底な革命という見方をしていた。革命とはある階級を他の階級が打倒することであり、徹底した流血を伴うものでなければならない。明治維新のように流血が少なく、敗者に寛大な変革は革命ではないという人が少なくなかった。しかも維新前も維新後も、支配者は武士であって、階級的変化はなかったという人が多かった。
しかし、流血が少ないことは、それ自体好ましいことである。明治維新の犠牲者の数は、西南戦争まで含めて三万人あまりだと思われるが、フランス革命はナポレオン戦争を含めればその100倍、ロシア革命に至っては、スターリン独裁下の恐怖政治を含めれば、ロシア革命を優に上回る数の犠牲が出たことは間違いない。多大な流血と破壊を伴う変革はしばしば巨大な反動をもたらす。また、巨大な破壊後に生じた体制を維持するためには、恐怖政治が必要となる。それがいかにおぞましいものであるか、あらためて言うまでもないだろう。
もう一つ、維新についてのシニカルなコメントに。維新の前も後も所詮武士の支配だったというものがある。いわゆる民衆史観から見ればそのとおりだが、維新前の支配者は上士であり、維新後の変革の主力は下級武士であった。のちに述べるように、両者の間には決定的な差があることを、この見方は見逃していた。
アメリカを中心として主に1960年代に登場した近代化論者と言われた人々、たとえばエドウィン・ライシャワー(Edwin O. Reischauer. 1910-1990)やマリウス・ジェンセン(Marius B. Jansen. 1922-2000)は、このような明治維新のプラスの側面を強調した。また、経済学者からは、ケネス・ボールディング(Kenneth E. Boulding. 1910-1993)のように、コストが小さくて持続的な成長をもたらした、つまりもっとも成功した革命は、アメリカ独立革命と明治維新であるという見方も提示され、今では多数派となっていると言ってよいだろう。(Boulding. Kenneth. A Primeron social Dynamics: Hsitory as Dialectics and Development. Free Press, 1970)。
スターリン体制の実態が知られ、中国の文化大革命に対する失望が広がるとともに。大きな革命がよいことだとする考えは、徐々になくなっていった。
しかし、マルクス主義の影響力が地に落ちた今でも、講座派的な発想はなくなっていない。それは、歴史を少数の(邪悪な)権力者と多数の(善良な)民衆の対立から考える発想がまだ続いているからではないかと、私は考えている。
アメリカでもノーマンのあとにジョン・ダワー(John W. Dower.1938-)が登場し、日本でも左派の歴史学者や政治学者は依然として多数存在している。
たしかに、世界のどこでも、権力者は少数だが強力であり、被治者は多数だが無力である。しかし、国家は国際関係の中に存在する。世界のなかで、よくその国の舵取りを行う有能な権力者と、そうでない権力者がいる。またその国家をよりよく発展させる権力と、そうでない権力とがある。こうした権力の質を論じることが、実は政治史研究の中心的課題である。それは、権力は下部構造によって基本的に規定されるとするマルクス主義と対極にある考え方である。現実的内在的政治史分析が、階級史観を基礎とする講座派やマルクス主義と対極的な明治維新論を生み出すのは当然のことなのである。
もう一つ、戦後に明治維新に対する否定的な評価が生き延びた理由の一つは、戦後の平和主義にある。敗戦後の日本において全ての戦争は否定されるようになった。たしかにいかなる戦争も悲惨であり、できるだけ避けるべきものである。しかし、世の中にはよりマシな戦争、より止むを得ない戦争というものもある。1930年代の中国にとって、日本の侵略に対して、戦うほかはなかった。したがって中国は英雄的な自衛のための戦いがありうるとしている。それは世界の大多数の国で、同様であった。日本のようにすべての戦争に対して否定的な見方をする国は、ほとんどない。すべての戦争が悪であるとする考えは、実は、たとえば日本の侵略と中国の抵抗も同じように悪いとする、危険な議論である。
そうした戦後的な価値観からすれば、台湾出兵も日清戦争も日露戦争も、ひとしく悪いものであったことになる。それは戦争の性格を見極めないことになってしまう。
明治維新におけるリアリズムを評価するためには、戦争に対するリアリスティックな評価が不可欠である。戦後の平和主義が、彫りの深い明治維新論を生み出し得なかった理由の一つはそこにある。
ISBN-13 : 978-4106038532
講座派は明治維新について、不徹底な革命という見方をしていた。革命とはある階級を他の階級が打倒することであり、徹底した流血を伴うものでなければならない。明治維新のように流血が少なく、敗者に寛大な変革は革命ではないという人が少なくなかった。しかも維新前も維新後も、支配者は武士であって、階級的変化はなかったという人が多かった。
しかし、流血が少ないことは、それ自体好ましいことである。明治維新の犠牲者の数は、西南戦争まで含めて三万人あまりだと思われるが、フランス革命はナポレオン戦争を含めればその100倍、ロシア革命に至っては、スターリン独裁下の恐怖政治を含めれば、ロシア革命を優に上回る数の犠牲が出たことは間違いない。多大な流血と破壊を伴う変革はしばしば巨大な反動をもたらす。また、巨大な破壊後に生じた体制を維持するためには、恐怖政治が必要となる。それがいかにおぞましいものであるか、あらためて言うまでもないだろう。
もう一つ、維新についてのシニカルなコメントに。維新の前も後も所詮武士の支配だったというものがある。いわゆる民衆史観から見ればそのとおりだが、維新前の支配者は上士であり、維新後の変革の主力は下級武士であった。のちに述べるように、両者の間には決定的な差があることを、この見方は見逃していた。
アメリカを中心として主に1960年代に登場した近代化論者と言われた人々、たとえばエドウィン・ライシャワー(Edwin O. Reischauer. 1910-1990)やマリウス・ジェンセン(Marius B. Jansen. 1922-2000)は、このような明治維新のプラスの側面を強調した。また、経済学者からは、ケネス・ボールディング(Kenneth E. Boulding. 1910-1993)のように、コストが小さくて持続的な成長をもたらした、つまりもっとも成功した革命は、アメリカ独立革命と明治維新であるという見方も提示され、今では多数派となっていると言ってよいだろう。(Boulding. Kenneth. A Primeron social Dynamics: Hsitory as Dialectics and Development. Free Press, 1970)。
スターリン体制の実態が知られ、中国の文化大革命に対する失望が広がるとともに。大きな革命がよいことだとする考えは、徐々になくなっていった。
しかし、マルクス主義の影響力が地に落ちた今でも、講座派的な発想はなくなっていない。それは、歴史を少数の(邪悪な)権力者と多数の(善良な)民衆の対立から考える発想がまだ続いているからではないかと、私は考えている。
アメリカでもノーマンのあとにジョン・ダワー(John W. Dower.1938-)が登場し、日本でも左派の歴史学者や政治学者は依然として多数存在している。
たしかに、世界のどこでも、権力者は少数だが強力であり、被治者は多数だが無力である。しかし、国家は国際関係の中に存在する。世界のなかで、よくその国の舵取りを行う有能な権力者と、そうでない権力者がいる。またその国家をよりよく発展させる権力と、そうでない権力とがある。こうした権力の質を論じることが、実は政治史研究の中心的課題である。それは、権力は下部構造によって基本的に規定されるとするマルクス主義と対極にある考え方である。現実的内在的政治史分析が、階級史観を基礎とする講座派やマルクス主義と対極的な明治維新論を生み出すのは当然のことなのである。
もう一つ、戦後に明治維新に対する否定的な評価が生き延びた理由の一つは、戦後の平和主義にある。敗戦後の日本において全ての戦争は否定されるようになった。たしかにいかなる戦争も悲惨であり、できるだけ避けるべきものである。しかし、世の中にはよりマシな戦争、より止むを得ない戦争というものもある。1930年代の中国にとって、日本の侵略に対して、戦うほかはなかった。したがって中国は英雄的な自衛のための戦いがありうるとしている。それは世界の大多数の国で、同様であった。日本のようにすべての戦争に対して否定的な見方をする国は、ほとんどない。すべての戦争が悪であるとする考えは、実は、たとえば日本の侵略と中国の抵抗も同じように悪いとする、危険な議論である。
そうした戦後的な価値観からすれば、台湾出兵も日清戦争も日露戦争も、ひとしく悪いものであったことになる。それは戦争の性格を見極めないことになってしまう。
明治維新におけるリアリズムを評価するためには、戦争に対するリアリスティックな評価が不可欠である。戦後の平和主義が、彫りの深い明治維新論を生み出し得なかった理由の一つはそこにある。