2016年8月14日日曜日

20160814 「山鹿灯篭まつり」から・・

おかげさまで昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。どうもありがとうございます。今後も少なくとも400記事に到達するまでは記事作成を継続しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

さて、先日投稿した記事にて垂仁天皇の御代における出来事について記しましたが、その一代後の景行天皇の御代における出来事が発端であるとされる熊本県山鹿市の「山鹿灯篭まつり」のことを不図本日思い起こしました・・。

何故、私がこの祭りを知ったかといいますと、鹿児島在住時の週末の日課であった散歩(天文館~宇宿)の際、鹿児島中央駅(西駅)前広場にて熊本県の観光広報イベントが開催されており、そこで数人の踊り手達によるこのまつり(千人灯篭踊り)が演じられているのを偶然見かけ、それが大変印象的であったことに端を発します。

その後、余程このまつりが印象的であったのか、就寝後の夢の中でも思い起こし、夢と現(うつつ)の境で「よへほ~よへほ~」と云っておりました・・(笑)。

これを読まれている大方の方々は「おそらくウソでだろう・・。」と思われているかもしれませんが、ウソではありません・・(笑)。
そして、さらにその後しばらくしてテレビのお昼の情報番組にて、この「山鹿灯篭まつり」の特集が為されているのを観て更に嬉しくなりました・・。

それで気を良くしたのか、あるいは調子づいたのか、周囲の熊本御出身の方々に「山鹿灯篭まつり」について聞いて廻っていた記憶もまたあります・・(苦笑)。

そして、ここまで記していて、この「山鹿灯篭まつり」のことが気になりインターネットにて検索しますと(なんと!)その開催時期が丁度明日からとのことで、これもまた何だか嬉しくなりました・・。

これもまた読まれている方々は「これまたウソ、でっち上げではないだろうか?」という疑念を抱かれると思われますが、これもまた偶然なのです・・。

・・これにはいささか自分でも驚いております・・(笑)。

ともあれ、如上のような偶然(?)について考えてみますと、私がこれまでに継続してブログ記事を作成してきた(より)大きな背景には、これら九州での記憶の体系が、その奥深くに存在するのではないかと考えさせられます・・。

あるいは、何かしら創造性を惹起、駆動させる文章を記していて生ずる面白い出来事とは、大小ありましょうが、一つにはこういったことが含まれるのではないでしょうか・・(笑)?

そして、もしかすると、こうしたこと(創造性の惹起、駆動)とは、経済状態の改善、向上と同程度に国の盛衰において大事な要素ではないでしょうか・・?

あるいはまた「かつての時代(明治以前)とは、現在の我々よりもそうしたことを熟知、通じていたのではないだろうか?」とも考えさせられます・・。

その意味において、古の文化、風習を単なる迷信、観念的な遺物としてのみ扱い、表層のみにおいては(あるいは経済的な有用性により)丁重に扱うその二枚舌的な態度(ジョージ・オーウェル著「1984」曰くダブルシンク)とは、そうした文化とは、思いのほか罪深いものであるのかもしれませんが、如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月に発生した熊本における大地震によって被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

                     山鹿灯籠まつり・千人踊り ~ よへほ節 ~





20160813 分水嶺・・

本日は日中所用のため東京方面に出ておりました。
本日もまた、通常のこの季節の如く気温が高く、決して快適なものではありませんでしたが、所用を終え帰宅する頃になりますと、若干陽もかげり、それに伴い幾分涼しくもなりました・・。

とはいえ、夕刻を過ぎる頃になりますと、日中の高い気温のためか、若干疲れが出たものか大変眠くなってきました。

以前にもこうしたことは時折あったのですが、このまま寝てしまいますと、本日分のブログ記事作成が出来なくなると考え、つい先ほど意を決して、記事作成のために起きだした次第です・・(苦笑)。

さて、本日はそのような状態にて一体どのような記事を記すか?といった意味において、なかなか興味深いものであると自身で考えております・・(笑)。

また、本日は以前より何度かブログ記事にて扱った野上彌生子「迷路」下巻を持って出かけて途中電車内で読んでおりました・・。

この著作とは、下巻のある章だけを読んでみても、それは一つの物語(短編)として成立しており、今回はその意味においてなかなか興味深く読むことができました。

そういえば短編の名手として知られた芥川龍之介も野上彌生子同様、夏目漱石の弟子であり、そこから不図思い起こしたことは、「近代以降、長編を手掛けた著述家とは首都東京出身者が極めて少ない」というどこかで読んだ記述です。

たしかに東京出身で長編を手掛けた著述家とは、その全人口からの比率、あるいは我が国の文化の先端であることなどを加味して考えますと有意に少ないのではないでしょうか・・?

また、こうしたことは諸外国においても同様の傾向が存在するのかどうか分かりませんが、あるいはこうしたことを調べてみるのもまた、なかなか面白いのかもしれません・・(笑)。

また、そのように考えてみる場合、先ず前提として長編の定義、各々著述家の出自の定義などが重要な要素になってくるものと考えます・・。

さらに一方、こうした調査・研究・考察?とはどういった学問分野の範疇に入るのでしょうか?
文学史の中に入るのでしょうか?
あるいは社会文学史などといった分野が存在するのでしょうか・・(笑)?

そのように考えてみますと、我々とは、案外自国のこうした要素について(一般的な議題として)あまり考えないような傾向があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

とはいえ、であるからといって「こうしたことを考えるようにしましょう!」というのもあまり良いものでなく、その考えた結果から変な傾向が生じ、おかしな方向に行くというのが、少なくとも我が国社会における通例のパターン(の一つ)であるといっても良いと思われますので、まあ調査・研究・考察するのは良いとして、あまり知られないでとりあえず文書化しておくといったのが、適当であるのかもしれません・・(笑)。

そのように考えますと、文系のそうした(あまり華々しくない)研究一般とは、医学等をはじめとする理系学問諸分野のように、その研究成果が目に見えて世の中の何かを改善するといった(大層な)ものではなく、ただ後に続く同じような学問的興味を持つ(ごく少数の)人々のための指針、思考上の分水嶺にでもなれば良いといった感じで存在するのではないかと思われます・・。

あるいはそのように考えてみますと、こうしたことは理系諸学問の研究においても概ね同様であるのかもしれません・・。

とはいえ、そうした蓄積の有無とは、一見あまり価値が無いように思われますが、しかし、それこそが大きな発明、発見、開発などの礎となるのですが、通常においては、あまりこうしたことは重要なこととして認識されないようです・・(苦笑)。

それはあたかも山頂付近の小さな分水嶺を流れる小川から海に流れ込む川の状態を認識、想像し難いことに似ているのかもしれません・・(笑)。

また、ここまで記していて想起したことは、鹿児島在住時の師匠との登山の際、基礎研究の重要さを実際の小さな分水嶺を前にし、さきに記した比喩を用いて、師匠が相変わらずの口調にて説かれたことです・・。

そしてまた思うことは「ここまでどうにか私がブログ記事を継続して作成出来ていることは、もしかすると首都圏、東京から離れていたことによるのかもしれない・・。」ということです。

これは科学的根拠を示せといわれてもキビシイのではありますが、私はおそらくそうであると考えております・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に発生した熊本での大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」