当時住んでいた場所の近くに24時間営業の大型商業施設があり、その中に入っている書店は時間に関係なく本を探せ、読めるため、重宝し、よく出入りしておりました。
そうした時、岩波文庫の書棚にて立ち読みしている際、偶然手に取ったのがコンラッド著の「闇の奥」でした。
その後、他のコンラッドの著作に大分ハマったようで、長編を含む数作品を比較的短期間で読んだ記憶があります。
しかし、そうであっても、やはり最初に読んだ「闇の奥」に一番感銘を受け、また、この著作がフランシス・フォード・コッポラ監督作品の「地獄の黙示録」(1979)の原作、ベースであることを知り、何度かこの作品を観返したりもしました・・。
ちなみに当時の私が取り組んでいたテーマは紀州、和歌山で行われていた雨乞い祭祀についてであり、その包括的な理解、把握のための方法論の一環としてフレーザーの「金枝篇」などにも手を伸ばしておりました。
現在考えてみますと、こうしたことは、扱う題材が我が国古来の民俗、風習であるのに対し、その用いる方法、依拠する書籍が(自然と)欧米的であったことに気が付かされます・・。
しかし、こうした題材(我が国古来の民俗、風習)を社会科学分野の研究としての体裁を整えるためには、そうした方法が(明治以来現在に至るまで)最も適切であるのかもしれません・・。
また、こうしたことは理系学問分野においては概ね当然のことであるのでしょうが、人文社会科学系の我が国の事物を扱う研究の場合、おかしな感じを受けなくもないと思います・・。
ともあれ、当時はそうしたことを殆ど考えず、単に自身の取り組んでいる対象の理解、把握に対し(大いに)効果的であると考え、それら著作に対し(自分なりに)「内容」を見出していたのではないだろうかとも思います・・(内容とは何でしょう・・?)。
また、そうはいうものの、あの時期に「闇の奥」に出会ったことは、なかなか不思議で面白く、その後しばらくの間、周囲の方々にこの著作のことを吹聴して回っていたような気がします・・(苦笑)。
さらに面白いことは、この著作(「闇の奥」)を原作、ベースとした、さきに挙げた映画「地獄の黙示録」内で登場人物の一人(カーツ大佐)が手に持っていた書籍が「金枝篇」であったことです・・。
もちろん当時の私はこうしたことを知らず、単に参考文献の一つとして「金枝篇」を読んでいたのですが、これを知った時はかなり不思議に思いました・・。
もちろん当時の私はさきと同様、このことを周囲の方々に吹聴して回ったことはいうまでもありません・・(苦笑)。
そして、こうした一連の現象(偶然による類似性の発見およびその吹聴)をも含みM2病と呼ぶのではないかと思います(笑)。
・・意外と、こうした経験が大事であるのかもしれません・・。
こうしたことは、私の経験から理系学問分野においても同様に生じていると思いますが、今もって理解できないのは、その作用機序、メカニズムです・・。
とはいえ、その作用機序、メカニズムは置いておいても、そうした現象が各地で同時多発的に生じたり、それらの相互作用などが為されることにより、様々な学問研究とは進化発展し、また同時に学問的潮流なども生じるのではなかろうかと思いますが、これを読んだ皆様は如何お考えになるでしょうか?
また、そうしたことと関連があるかどうかわかりませんが、私は時折手紙を書く際に、この著作(「闇の奥」)から時宜に適い且つ印象的であると思った部分を抜粋引用を行うことがありますが、この記事の場合においては以下のものが(もしかしたら)適切ではないかと思いますが如何でしょうか?
「・・No, it is impossible; it is impossible to convey the life-sensation of any given epoch of one’s existence-that which makes its truth, its meaning-its subtle and penetrating essence.
It is impossible. We live, as we dream-alone…」
「Heart of Darkness」 Collins Classic Joseph・Conrad p.32
「・・そう,それは無理だよ.自分の存在の忘れ難い一時点で覚えた生の感覚というものを,他人に伝えるのは不可能なんだよ.その感覚こそが人生の真実,その意味―その微妙で深く浸透する本質なのだが.無理だな.ちょうど夢を見るのと同じように,僕らは生きているんだ―ただひとりぼっちでね・・」
「闇の奥」三交社 藤永茂訳 pp.74-75
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる熊本での大地震により被災された地域の諸インフラの早期の復旧そして復興を祈念します。」