2024年4月17日水曜日

20240417 和歌山大学経済学会 経済理論 別刷 第415号 2023年12月 阿部秀二郎 著「ケアンズの価値論の背景-ジェヴォンズの価値論の背景に注目して-」pp.7‐9より抜粋

和歌山大学経済学会 経済理論 別刷 第415号 2023年12月 阿部秀二郎 著「ケアンズの価値論の背景-ジェヴォンズの価値論の背景に注目して-」pp.7‐9より抜粋

第2章 ケアンズの価値論

第1節「中間原理」

 ケアンズの価値論が明確に指示されているのが1874年に出版された、「経済学の主導的な原理」であろう。

 本章では、第1章で指示したケアンズの原理(理論)と事実(データ)との関係について見ていこう。

 この原理(理論)と事実(データ)の融合こそが、「経済学の主導的な原理」の目的であった。導入部分でケアンズは、当時、多くの経済学の新たな動向が存在していることを認識しながら、自身の研究が「スミス、マルサス、リカードウそしてミルの労働によってつくられた科学の態度」の延長線であるとする。具体的にケアンズが同一であるとする内容は、人間の性格や経済科学の究極的な前提を構成する自然の物理的条件に関する仮説である。そしてそれらの前提と事実から導入された結論もスミス以降の経済学者のものと異ならないとする。

 一方でケアンズは究極的な原理と結果としての事実との結びつき自体は間違っていないと信じ、その結びつきを説明する原理に問題があるとしており、その説明原理の適切性の必要を説く。

「彼ら(スミス、マルサス、リカードウ、ミル:訳者)と意見が異なる点は、ベイコンの言葉で「〈中間原理(axiomata media)〉」と呼ばれるものである、この中間原理によって、詳細な結果が生み出される高度な原因が説明される。…現時点で一般的に受け入れられている経済学のこの部分における間違った素材はない。そして現在のすべきことは、現在の批判に耐えることができるように、弱い要素をより良い要素にできるだけ替えていくことである。」                       (Cairnes [1874]1)

「中間原理」は、方法論に関するケアンズの書「経済学の性質と論理的方法」で指摘されている。その指摘を利用して、ケアンズが原理をより良いものにしようとしていたことについて説明する。

 書の第3講「経済学の論理的方法」で、ケアンズは社会科学と自然科学の方法を比較する中で、社会科学が自然科学に対して、相対的な利益を有する部分もあると指摘している。(Cairnes[1888]81)それは自然科学は法則を成立するのにとても長い時間を要するのに対して、「〈経済学者は知識や究極的な原因からスタートできる〉」(Cairnes[1888]87)からである。

 経済学では次のような他の科学から得た具体的な事実を利用できるのである。心理的な感情、動物的な性向、生産を支える物理的条件、政治制度、産業上の状態、などであり、これらは他の科学の分野が生み出した結論なのである。

 ケアンズはベイコンの「諸科学の成長(De Augmentis Scientiarum)」やヒューウェルの「帰納科学史」などを利用して、自然科学の歴史的展開について説明する。人間は問題をそのまま未解決にすることを好むのではなく、固定的な概念を、長時間の考究の上で獲得したがるものであり、複雑な現象に対する究極的な原理を古代から想定してきたと説明する。

 タレス、アナクシメネス、ピタゴラスなどの哲学者により、観察に基づき究極的な原理が考えられてきた。その際に用いられた方法は帰納法であり、その方法こそが自然科学の考察の土台であった。そして帰納法に基づき推測された結果と事実との整合性に関する長い調整の結果として確実な前提が得られるようになるとともに、演繹法が確実に影響力を発揮するようになってきたとケアンズは指摘する。

「演繹的推論での発見の成果として・・・高度な原理と経験との結びつきを媒介する多くの原理(中間原理:筆者)が存在した。物理科学の進歩は、アルキメデスや古代の思想家がなしたことにも関わらず、ガリレオと同時代人が主要な動的原理を確立するまでは、歩みが遅かった。しかし一度確立されると、・・・力学、流体学、気学などより土台となる原理に含まれるものが、急速に続いた。」               (Cairnes[1888]85)

ケアンズの指摘する修正すべき「中間原理」は、したがって他の学問より帰納的そして演繹的に獲得された究極的な原理から、ミルまでの古典派経済学者が演繹を行い説明しようとする、まだ事実によって検証され確定されてはいない原理(説)を指す。