ISBN-10 : 413033302X
ISBN-13 : 978-4130333023
コロナ下でのキューバについては、もう一つ特筆すべきことがある。それは国内におけるコロナとの闘いと並行して、国際的な医療支援、いわゆる「白衣外交」の展開を拡大したことである。
日本のメディアでも取り上げられたが、基本的にこの「白衣外交」とは、医療サービスが十分に提供されない地域を支援するために、自国の医師や看護師を派遣するという取り組みである。キューバの場合、1960年に大地震に見舞われたチリへの派遣が最初の事例であるが、長期で行われたものとしては、独立後、医師不足に陥ったアルジェリアへの派遣が先例となった。以後、連帯の名の下にキューバの医療従事者たちはラテンアメリカ、アフリカ、中東への飛び立ち、地道な支援活動に尽力してきた。
こうした活動は冷戦終結後も継続され、白衣外交の場はアジアや太平洋島嶼国にも広がっている。現在までに支援を受けた国の数は164にのぼり、活動に参加したキューバ人医療従事者の数は40万人を超えた。
また、キューバの国際的な医療支援は医師団の派遣にとどまらず、かつては治療のために、チェルノブイリ原発事故で被災し、白血病を患う子供たちを受け入れたことがある。発展途上国での人材育成を目的に、1998年に創設されたラテンアメリカ医科大学は、留学生の受け入れを無償で行ってきた(Fein-silver 2010)。
近年ではキューバ自身が経済的に苦しいため、ベネズエラや南アフリカなど資金に余裕のある国への医療支援の場合は経済的な対価を得ている。2018年において、その外貨獲得額は観光業を大きく上回ったとされる(Yaffe 2010)。
それでも医療スタッフが不足する貧困国や被災国の場合は、2005年のパキスタン北部地震や2010年のハイチ大地震の例に見るように、無償で行われてきた。2014年から2015年にかけて発生した西アフリカ(シェラレオネ、リベリア、ギネア)のエボラ出血熱危機でも、現地政府の要請に応じ、キューバが誇る「ヘンリー・リーブ国際医療支援部隊」(以下、ヘンリー・リーブ部隊)が無償へ派遣されている。
この医療支援の精鋭部隊は2005年、大型ハリケーン「カトリーナ」が米国ルイジアナ州を襲った際、当時の国家主席であったフィデル・カストロによって創設された。ヘンリー・リーブという名前は、合衆国からキューバ独立戦争に参戦し、落命した将校に敬意を払う形でつけられている。
ただし、当時のブッシュ政権はキューバの人道支援をあくまで「国策」と見なしていたため、キューバの提案を無視し、米への派遣は実現していない。米政府の見解が変わったのは、ようやくオバマ政権が誕生したあとである。まさに国交正常化交渉を発表した合衆国大統領の口から初めて、医療分野における将来的な両国の協力の発展への期待が表明されたのである。
では、なぜキューバはこうした無償の人道支援を続けてきたのだろうか。第一の動機は、大国中心の国際政治で生き残るために、道義的影響力や名声を積極的に求めたことである。冷戦期においてもソ連への依存をきらい、独自外交にこだわってきたキューバの歴史に鑑みれば、このことは理解しやすい(Fein-silver2010)。
第二には、低開発による医療サービスの発達不全、あるいは富の集中に伴う医療サービスの寡占という問題を厳しく批判してきたことである。すなわち、白衣外交の展開は、人命を助けるという医療の原点に立ち、世界共通の問題である貧困と格差の拡大において、危機に晒される弱者との「国際的な連帯」を目指すものであった(Huish 2014; Yaffe 2020)。
そして第三には、支援する側となるキューバ自身への反響が期待されていることが考えられる。合衆国でさえできないような大規模な医療支援をカリブ海の小国がやってのけるというストーリーは、清貧実直な若者たちに、貧しくても世界に貢献できるという理想と名誉欲を与え、奮起を促すはずだ。そもそもキューバでは、外貨にアクセスできる観光タクシーの運転手の方が医者よりも稼ぐ。金銭目当で医者になる人は、道を間違えている。
いずれにしろ、こうした動機が絡みあい、白衣外交の伝統はコロナ危機下においても守られた。コロナ感染が世界に拡大していく頃、すでに二万八千人超のキューバ人医療専門家が59カ国で活動中であり、彼ら彼女らは感染の拡大に対応し、現地の医療体制を下支えすることになる。
そしてキューバは、新たに各国政府から受けた緊急の協力要請を受け、前述のヘンリー・リーブ部隊の派遣に応じた。三月末までに、派遣国の数は友好国のベレズエラやニカラグアに加え、ハイチやグレナダ、スリナム、ジャマイカといったカリブ海諸国、さらには後述する欧州のイタリアを加え、14となる。