活力の反応には、活力節約と活力消耗の二つの性質があります。活力節約は、主に義務を果たす刺激によって起こります。義務を果たすことは社会的に望ましいとされており、また組織の発展に重要な役割を果たします。他方の自由な活力発現は、趣味や娯楽などで重要です。釣りや読書、運動など多様な活動がこれに当たります。また、文学や科学、哲学などもこの自由な活力発現の一環と云えます。活力の発現や進化、持続は開化においてとても重要であり、外部からの刺激によって我々の活力の反応が理解することができます。
さて、以上の活力の二つの性質は、現代の我々の社会においても、さきの義務に対しての消極的な活力節約と、道楽に対しての積極的な活力消耗の双方が相互作用を起こして、そこから進歩的な変化が生じるのではないかと考えます。
これを具体的に述べますと、活力節約においては、少ない時間でより多くの仕事を効率的に処理出来る様に努力がされます。それにより自動車や列車や艦船そして飛行機や電話やインターネットなどの便利なものが生まれましたが、これらは本質的には手間を省くための、いわば活力節約を目的とするものであり、端的には、より多く体力を使いたくないがために生みだされたものであると云えます。
他方で、上述のような便利な道具があるにもかかわらず、自らの体を使い、積極的に体力を消耗して疲れを求めるような時もまたしばしばあります。我々が趣味で行っている運動などは概ね、これにあたると云えます。
しかしながら、こうした積極的に体力を消耗したい時ばかりに、その機会があるわけではありません。むしろ逆に、あまり動きたくない時にそうした機会があることの方が多いと云えるのではないでしょうか?
そして、実際にそうであったからこそ、訪問から郵便そして電報から電話やメールへと、進化とも云える変化を遂げてきたのではないかと考えます。これは要するに、あまりやりたくない仕事は避けて快適に生きたいというわがままな要求や、あるいは働いても報われないといった不満から、さきの活力節約の側の力が大きくなり、やがて事態の変化・発展をもたらす力へと成長するのではないかと思われるのです。
以上が、さきに述べた「義務に対しての消極的な活力節約と、道楽に対しての積極的な活力消耗の双方が相互作用」を具体的に述べたものですが、これら性質の相互作用とは、往々にして同時代での道徳観と合致するものではなく、あるいは非難されることもあるのでしょうが、しかし実際のところ、こうしたダイナミズム(相互作用の過程)を経ることなしに、事物とは進化的に発展することは難しいのではないかと思われます。
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