さて、今年に入ってから既に10記事を作成しましたが、そのうちの4記事は引用記事でした。そのため、以前にも少し触れたことではありますが、引用記事を作成していますと、その中で生じた思いや疑問などが、日常の中で生じるそれらとの反応によって、新しいオリジナルのブログ記事の作成にまで至ることが多いようです。
これを異言しますと、私の場合、オリジナルでのブログ記事作成に苦慮すると、引用記事をしばらく作成し、それを助走としてオリジナルでの記事作成に至るというたところが多々あるということになります。
以前は記事作成に対する勢い、活力が現在よりも旺盛であったことから、連続してしばらくの間、オリジナルでの記事作成が出来ていましたが、2000記事まであと100記事を切った現在においては、それは少なくとも旺盛ではなく、さきに述べたような、何らかの助走が重要なものとなってくるのです。
このオリジナルの記事作成への助走となるものは、前述の引用記事の作成だけでなく、日常の会話や頂いたメールなどであったりもします。
そして、それら刺戟の中から、ブログ記事の題材が浮かぶことが多いと云えます。とはいえ、こうした着想は、たとえば午前中に得たとしますと、その後、夕刻においては明瞭ではなくなってくることも多いのですが、このことを思い返してみますと、2017・2018年頃では日中に受けた着想を、概ね夜半過ぎでのブログ記事作成にて文章化、展開することが出来ていました。その点からも、やはり現在は、以前の1000記事到達以前の頃と比較しますと、得られた着想を言語化するという、ある種の「凝集力」のようなものが減衰しており、またそこから、オリジナルでの記事作成までの助走としての引用記事の作成を必要とするのかもしれません・・。
とはいえ、やはり、さきに述べた着想を言語化するための凝集力は、強いに越したことはないことから、また何らかの工夫により、あらためて強化してゆきたいと考えています。
「着想を言語化する凝集力」と書きますと「着想自体が言語で出来ているのではないか?」と思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、着想の時点では、それはあくまでも感覚的なものであり、これを言語、文章化するために、さきの述べた「凝集力」のようなものが必要になるのです。そして、ここまで引掛りをおぼえつつ書き進めてきましたが、この「凝集力」は、感覚を言語に変換する力であると同時に、その逆、言語を感覚に引き戻す力であるのではないかと思われました。
過日投稿の「科学技術の進化発展により生じることについて・・」は、以前に投稿した、いくつかの引用記事を組み合わせて作成した記事ですが、そこで、各引用記事の大意、概要を掴みつつ、それらを再構成する作業の中で不図思ったことを、つい先ほどの「引掛り」の中で想起されたのです・・。
そして、そうしたことが想起せられ、結節したところから、さきの「凝集力」が知覚され、そしてまた、あらためて、その強化をはかることも可能ではないかと思われるのです。
そこから、歴史などを題材としたブログ記事の作成も興味深いものではありますが、こうした抽象的とも云える独白形式のブログ記事もまた、多少は意味があるのではないかと思われました・・。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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