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2026年5月31日日曜日

20260530 腸内細菌叢に関する資料をあたり思ったこと

 我々の身体の中には、もう一つの生態系とも云うべき腸内細菌叢が存在しています。これは単に食べ物を分解するだけの存在ではなく、免疫機能の調整、代謝の制御、慢性炎症の抑制など、全身の恒常性を支える重要な役割を担っています。こうした知見は、近年、腸内細菌叢の研究が急速に進展したことに因りますが、その背景には、次世代シーケンサー(NGS)の登場があります。これにより、従来の培養法では観察することが困難であった多くの腸内細菌をDNA配列から直接解析できるようになり、そこから、我々の腸内には想像をはるかに超える多様な細菌・微生物が共生していることが明らかになりました。そしてまた、この次世代シーケンサー(NGS)による技術革新は、人間を一つの生物として捉える従来の見方から、人間と微生物との共生体(ホロバイオント)として理解する新たな視点をもたらしました。
 こうした視点に基づき、昨今、欧米ではアッカーマンシア属(Akkermansia muciniphila)が「次世代の善玉菌」として注目を集めています。この菌は腸粘膜を覆うムチンを利用しながら生育し、腸管バリア機能の維持や代謝調節との関連が報告されています。一方で、他の研究からは、我々日本人では欧米人に比べてアッカーマンシア属の割合が低い傾向も報告されています。とはいえ、こうした腸内環境の違いから「我々日本人の腸内環境は欧米人よりも劣っている」と考えることは適切ではありません。むしろ、そこには長い歴史の中で形成されてきた食文化や生活環境への適応の結果として、それぞれ異なる特徴を持つ腸内細菌叢が形成されたのだと云えます。
 そして、こうした特徴の違いは、欧米社会における一神教的な世界観と、我々の社会における多神教的なそれに例えることが出来るのではないかと考えます。もちろん、実際の腸内細菌叢は極めて複雑であり、単一の菌が全体を支配しているわけではありません。しかし、欧米の研究では、アッカーマンシア属のような特定の有益菌が腸粘膜の恒常性維持に重要な役割を果たしていることが多数報告されています。言い換えますと、比較的目立つ中心的な存在がいる構図として理解することが出来ると考えます。
 これに対し、我々日本人の伝統的な食生活には、海藻、野菜、豆類などの食物繊維や、味噌、納豆、漬物などの発酵食品が数多く存在します。こうした環境では、プレボテラ属をはじめとする多糖類分解菌や、海藻由来成分を利用できる菌群など、多様な細菌がそれぞれの役割を担いながら相互に代謝産物をやり取りし、その結果として短鎖脂肪酸の産生や腸管環境の維持に寄与しています。そのため、我々日本人の腸内細菌叢は、特定の菌種のみが突出して機能するというよりも、多様な菌群が相互に補完しながら働く「分散型」の生態系として理解することが出来るのではないかと考えます。また、こうした様様は、まさに「八百万の神々」が、それぞれ固有の役割を担いながらも全体として均衡を保つ、多層的で柔軟な秩序にも通じるように思われます。
 そして、こうした腸内細菌叢の特徴や傾向を考える上で、近年注目されているのが「口腸連関(oral-gut axis)」です。お口は単なる食物の通り道ではありません。毎日大量の細菌が腸へと送り込まれる消化管の最初の入り口です。そのため、口腔内環境が乱れてしまうと、本来は口腔内に留まるべき細菌が消化管へと流入し、腸内細菌叢や全身の炎症状態に影響を及ぼす可能性があると指摘されています。
 特に歯周病関連菌として知られるフソバクテリウム・ヌクレアタム(Fusobacterium nucleatum)は、近年、大腸がんや炎症性疾患との関連が世界中で研究されています。この菌が直接病気を引き起こす原因であると断定することは出来ませんが、腸内の炎症環境に関与する可能性が示されており、腸内生態系のバランスを乱す要因の一つとして注目されています。
 そして、先述しました我々日本人の多様性のある腸内細菌叢は、多くの菌が協力しながら機能することで安定性を保っています。そのため、お口から炎症性細菌が継続的に流入する状況が続きますと、その細菌叢のバランスに少なからぬ影響を与える可能性があります。また逆に云えば、お口の健康が維持されていれば、腸は余計な炎症刺激にさらされにくくなります。もちろん、お口の健康管理だけで腸内環境の全てが決まるわけではありません。しかし、お口の健康を維持することは、健康な腸内細菌叢を支える一つの要因であるとは云えるでしょう。
 このように、腸内細菌叢における民族あるいは個人での特徴の相違は、単に医学的なものだけではなく、長い歴史の中で形成された食文化や生活習慣の違いを反映した、生態系そのものの個性を示すのではないかと考えられます。そこから、昨今流行の「菌活」と称してサプリメントなどで特定の菌を補おうとするだけでなく、お口から腸までを一つの連続した生態系として捉える視点を得ることも重要ではないかと思われます。
 我々日本人は、しばしば古来土着の神道における「八百万の神々」という言葉を用いますが、そうした世界観とは、あるいは思想や宗教観といった観念的なものとして存在するだけではなく、我々の身体そのものの中に、腸内細菌叢として微細ながらも物理的な存在として刻み込まれているのかもしれません。
 ともあれ、少なくとも近年の腸内細菌叢の研究が示しているのは、我々人間は決して単独で生きる存在ではなく、無数の他者との共生の上に成立しているという事実であるとは云えます。
 そしてまた、そのように考えてみますと、我が国の歴史において、古来からの神々による世界観の上に、当時、外来思想であった仏教が受容され、普及を図られたこととも関連性があるようにも思われてきます。「聖徳太子」として後世知られる厩戸皇子等が主導して制定した「十七条憲法」は、外来の仏教を新たな「国是」として掲げました。これは、それまでの古墳時代から続いて分権的であったヤマト王権から、中央集権的な律令国家にする宣言であったと云えます。また同時に、その憲法の第一条に「和を以て貴しと為す」が据えられていることも大変興味深いと云えます。それは、外来の思想を国是としつつも、既存の世界観を排除するのではなく、むしろ、それらを含め、大きな「和」と云うシステムに包摂、共生を目指した柔軟性のあるグランドデザインであったと考えられるからです。もちろん、当時の十七条憲法の制定者等が、腸内細菌叢の存在を知っていたはずはありません。
 しかし同時に、近年、最先端の生命科学が示す前出の「共生(ホロバイオント)」とは、我々の先祖が歴史を通じて経験的に培ってきた世界観とも、どこか通底するものがあるように思われます。そして、そのように考えますと「和を以て貴しと為す」という憲法冒頭もまた、単に政治的理念や道徳律としてだけでなく、多様な存在が互いを活かしながら、一つの系(システム)として調和するための普遍的な知恵として、現代の我々に新たな意味を投げかけているようにも思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?そして、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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ISBN978-4-263-46420-5

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2024年7月6日土曜日

20240706 株式会社筑摩書房刊 J.G.フレイザー著 吉川信訳「初版 金枝篇 下巻 pp.133-137より抜粋

株式会社筑摩書房刊 J.G.フレイザー著 吉川信訳「初版 金枝篇 下巻 pp.133-137より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480087389
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480087386

 アイヌ民族が行っている熊の生贄の意味についてもまた、不確かなものがある。これは日本列島の島、エゾとサハリン、および千島列島の南部にも住む未開民族である。アイヌの熊に対する態度は、容易には理解しがたい。彼らは熊を「カムイ」という、「神」を意味する名で呼ぶが、一方で同じ語は外来者に対しても用いられるので、おそらく、超人的な力を備えているとみなされる存在以外の何者をも指してはいないだろう。またつぎのようにも言われている。「熊は彼らの主要な神である」。「アイヌの宗教において、熊は主要な役割を果たしている」。「動物の中で、とりわけ偶像として崇拝されているのが熊である」。「彼らは熊を独自の方法で崇拝する。…この野生の動物が、自然の非動物界の力よりも強力に、人に崇拝の念を呼び起こすものであることは疑いを容れない。アイヌ民族は、熊崇拝者と分類してよいだろう」。だが一方で彼らは、殺せるときはいつでも熊を殺す。「男たちは、秋と冬と春には、鹿と熊を狩って過ごす。貢物や税はその毛皮で支払われ、その乾燥肉を食べて暮らす」。実際熊の肉は彼らの主食のひとつである。生のまま食べることもあれば、塩漬けにして食べることもある。また熊の毛皮は彼らの衣服となる。事実、この主題について述べている著述家によれば、その「崇拝」は、もっぱら死んだ動物に対してのみ行われるものと見える。つまり、彼らは殺せるときはいつでも熊を殺すが、その死体を解体する過程で、入念に敬意を表し、謝罪のことばを述べながら、この神性を宥めようと努める。彼らが殺したのはその神の表象なのである」。「熊が罠にかかったり矢で射抜かれたりすると、猟師たちは謝罪の儀式ないし贖いの儀式を執り行う」。殺された熊の頭蓋は、小屋の中野栄誉ある場所に置かれるか、小屋の外の神聖な場所に置かれ、大変敬意をもって扱われる。これには「サケ」という名の神酒が捧げられる。キツネの頭蓋もまた小屋の外の神聖が場所に固定され、悪霊に対する護符とみなされ、また神託を求められる。だがつぎの点ははっきりと述べられている。「生きているキツネは生きている熊と同様、崇められることはほとんどない。人々はむしろこれを、できる限り避けようとする。ずる賢い動物と考えているのだ」。したがって熊は、アイヌによって神聖な動物として語られることはない。また明らかにトーテムではない。というのも、人々は自らを熊と称することはないし、自分たちが熊の子孫であるという伝説を持っていないように見える。彼らはこの動物を好きなように殺し、食するのである。

 だがここでわれわれに関係があるのは、アイヌの熊の祭り(いわゆる「イオマンテ」、「熊送り」を指す)である。冬の終わりになると、彼らは幼い熊を捕らえて村に連れてくる。最初はアイヌの女が乳を与え、その後は魚が与えられる。強い大人の熊に育ち、入れられている木の檻を壊す恐れがあるほどになると、祭りが催される。しかし「とりわけ驚かされるのは、幼い熊が単に上質の食べ物を与えられるのみならず、呪物として、あるいはむしろ、一種の高次の存在として扱われ、崇められている事実である」。祭りは一般に九月か十月に行われる。その前にアイヌたちは神々に謝罪し、これまでこの熊を可能な限り大切に扱ってきたが、もはやこれ以上食事を与えることはできず、殺さざるを得ない、と申し立てる。熊の祭りを行う男は親戚や友人を招き、小さな村ではほとんど村人全員がこの祭りに加わることになる。このような祭りのひとつについては、ショイベ博士が目撃し、記録している。博士が小屋に入ると、およそ三十人のアイヌたちがいた。男も女も子どもも、皆盛装している。この家の主人はまず、炉で火の神に神酒を捧げ、他の客たちもこれに倣う。つぎに神酒はこの小屋の聖所で家の神にも捧げられる。その間、これまで熊を育ててきた家の主婦は、ひとり悲しみに沈んで静かに座り、ときおり涙を溢れさす。彼女の悲しみに偽りがないことは明らかであり、それは祭りの進行とともに深まるばかりである。つぎに、家の主人と何人かの客が小屋から出て、熊の檻の前で神酒を捧げる。数滴は皿に入れて熊に与えられるが、熊はすぐにこれをひっくり返す。そして主婦たちと娘たちが、檻の前で踊る。熊の檻に顔を向け、膝をわずかに曲げ、起き上がっては爪先で飛び上がるという踊りである。踊りながら女たちは手拍子を打ち単調な歌を歌う。家の主婦と、これまで多くの熊を育ててきた少数の老婆たちも、涙を流しながら踊る。熊に向かって両腕を差し出し、愛情のこもったことばで呼びかける。若者たちはほとんど悲しみとは無縁の様子で、笑いながら歌を歌う。騒がしさに心乱された熊は檻の中で激しく動き回り、悲しげな遠吠えを上げる。つぎに、アイヌの小屋の外に立てられている、イナウ(著者はinabosと記しているが、複数のイナウの意であろう。幣同様、神事に用いられる木製の幣束)という名の神聖な細枝の束に、神酒が捧げられる。この枝は二フィートほどの長さで、先端は削られ、螺旋状の鉋屑のようになっている。この祭りでは、笹の葉を付けた五本の新しいイナウが立てられた。これは熊が殺されるときにはかならず立てられるものである。笹の葉には、熊が甦るようにという願いが込められている。熊が檻から出されると、首に縄が掛けられ、小屋の周りを引き回される。この間、男たちは、ひとりの長に先導され、先端に丸い木の付いた矢を放つ。ショイベ博士もこれに加わらなければならなかった。つぎに熊はイナウの前に連れてこられ、一本の棒が口に入れられる。九人の男が膝で抑えつけ、柱に首を押しつける。五分後には熊は声も上げずに息絶える。一方主婦たちと娘たちは男たちの後ろに立ち、歎きながら踊り、熊を殺した男たちを打つ。つぎに熊の遺体は、イナウの前に敷かれた筵の上に置かれ、イナウの中から取り出された剣と箙が熊の首に下げられる。熊が雄の場合、首飾りと耳輪もつけられる。そして雑穀の煮汁と雑穀の塊、および鉢一杯の酒が、食べ物ととして熊に捧げられる。死んだ熊を前にして筵の上に座っている男たちは、これに神酒を捧げ、大酒を飲む。一方主婦たちと娘たちは、悲しみの跡をすっかり消し去り、陽気に踊り、老婆たちもまただれにも劣らず陽気に踊る。宴たけなわとなった頃、熊を檻から出した二人の若者が、小屋の屋根に上り雑穀の塊を皆に投げる。皆は老若男女の区別なく、これを奪い合う。つぎには熊は皮を剥がれ、はらわたを抜かれ、胴から首が切り落とされるが、このとき、皮は首のほうに残るようにする。血は椀に受けられ、これを男たちが大いにありがたがって飲む。禁じられてはいないものの、女と子どもは飲まないようである。肝臓は細かく切り刻まれて生のまま塩をつけて食されるが、これは女も子どもも食べる。肉とその他の内臓は家に持ち帰られ、翌々日まで保管されるが、その日には、宴に参加した者たち全員がこれを分け合う。血と肝臓はショイベ博士にも配られた。熊がはらわたを抜かれている間、主婦たちと娘たちは最初と同じ踊りを踊る。だが今回は檻の周りではなく、イナウの周りを踊る。この踊りで、先ほどまで陽気だった老婆たちは、再びさんざん涙を流す。熊の頭から脳が取り出され、これが塩とともに飲み干されると、頭蓋は皮から切り離され、イナウの傍の竿に吊るされる。熊の轡となっていた棒もまた、竿に括り付けられ、遺体に下げられていた剣と箙も同様に竿に付けられる。後者は一時間ほどで外されるが、他はその後もそこに立てられたままになる。人々は皆、男も女もこの竿の前で騒々しく踊り、今度は女たちも加わって酒宴が始まり、これが終わると祭りも終わる。


Chatgptを用いて作成した要旨
アイヌ民族が行う熊の生贄の意味は明確には理解されていない。アイヌは日本列島のエゾ、サハリン、千島列島南部に住む民族であり、熊に対して「カムイ」という「神」を意味する名を用いる。しかし、この言葉は外来者にも使用され、超人的な力を持つ存在を指している可能性が高い。熊はアイヌの主要な神であり、特別な崇拝の対象であるとされる一方で、彼らは熊を頻繁に狩り、肉や毛皮を利用する。熊の肉はアイヌの主食のひとつであり、熊の毛皮は衣服として使われる。この矛盾した態度は、彼らが熊を殺す際に入念に敬意を払い、謝罪の言葉を述べながら解体することに現れている。殺された熊の頭蓋は神聖な場所に置かれ、神酒が捧げられる。キツネの頭蓋も同様に扱われるが、生きているキツネは熊ほど崇拝されない。アイヌは熊をトーテムとは見なしておらず、自らを熊の子孫と称する伝説も持たない。

特に重要なのはアイヌの熊の祭り「イオマンテ」だ。冬の終わりに幼い熊を捕まえ、アイヌの女が乳を与え、後には魚を与える。熊が成長し、檻を壊す恐れがあるほどになると、祭りが催される。祭りは九月か十月に行われ、熊に対する謝罪の言葉と共に熊を殺すことが申し立てられる。祭りには親戚や友人、村人全員が参加し、神酒が捧げられ、踊りが行われる。熊が檻から出され、首に縄を掛けられ、小屋の周りを引き回され、矢を放たれる。熊が殺されると、その遺体は神聖な場所に置かれ、剣と箙が首に下げられ、雑穀の煮汁と酒が捧げられる。死んだ熊の前で神酒を捧げ、大酒を飲む一方、女たちは悲しみから陽気に変わり、踊り続ける。熊が皮を剥がれ、はらわたを抜かれた後、その肉は保管され、参加者全員で分け合う。熊の頭蓋は皮から切り離され、神聖な竿に吊るされ、祭りが終わると共に、皆で酒宴が始まる。

このように、アイヌの熊の生贄の儀式は単なる食料確保や毛皮利用以上の宗教的、社会的意味を持つものであり、熊は崇拝される対象でありながら、生活の一部として狩猟される存在である。アイヌの熊に対する態度は、自然との共生や霊的な関係を示すものであり、彼らの文化や信仰の深層に根ざしている。

2024年7月3日水曜日

20240702 株式会社筑摩書房刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「呪われた部分ー全般経済学試論・蕩尽」 pp.74‐76より抜粋

株式会社筑摩書房刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「呪われた部分ー全般経済学試論・蕩尽」
pp.74‐76より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480098402
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480098405

我々は、メキシコ先住民の人身御供を、それ以前の人身御供よりも、完全に、そして生々しく知っているのだが、このメキシコの人身御供ときたら、宗教儀式の残酷史を頂点へ至らしめているのである。

 神官たちはピラミッドの高みで生け贄を殺害した。彼らは生け贄を石の祭壇の上に横たえて、その胸を黒曜石の刃物で突き刺すのだ。それから、まだ脈打つ心臓を取り出して、太陽へ掲げるのである。大多数の生け贄は戦争の捕虜だった。それゆえ、太陽の生命に必要な戦争という考えは正当化された。戦争は、征服ではなく、蕩尽という意味を持っていたのだ。戦争がなくなると、太陽が地上を明るく照らすこともなくなるとメキシコ先住の人々は考えていた。

 「復活祭のころに」一人の若くて、非の打ちどころのない美しい男が、生け贄に投じられた。この男は、すでに一年前に捕虜のなかから選ばれていたのだ。以後彼は大貴族のように暮らしていた。「手に花を持って、お供の人々に囲まれて町の中を練り歩いた。会う人みなに優雅に挨拶すると、挨拶された方も、彼をテズカトリポカ(最も偉大な神の一柱)の化身とみなし、彼の前に跪いて敬意を表するのだった。」ときどきカウチクシカルコのピラミッドの上の神殿で彼の姿が見受けられた。「彼は、昼でも夜でも気が向くと、その頂きに行って、横笛を吹き、それが終わると、世界の様々な所へむけてお香を焚き、自分の住まいへ帰るのだった。」彼の生活の優雅さや貴公子然とした気品のために人々はありとあらゆる気配りをした。「彼が太りだしたときには、細身の体型を維持できるようにと、人々は彼に塩入りの水を飲むように促した。」供儀の祭に先立つ二〇日間、この若い男は四人の成熟した娘をあてがわれ、彼女たちと肉体関係を結んだ。この四人の娘はこの目的のためにとても大切に育てられてきたのである。娘たちはそれぞれ女神の名前を与えられていた。(・・・)生け贄にされる祭の五日前には神として尊ばれた。王は宮殿のなかにいたが、宮廷の人々はこの若い男に付き従った。彼のために涼しくて快適な場所で様々な宴が催された(・・・)。彼の死の日が近づくと、彼はオトラコシュカルコと呼ばれる礼拝所へ連れて行かれた。しかしそこに行き着く前にトラピトザナヤンという名の地点に達すると、お付きの女たちは彼から離れ、彼を捨て去った。殺害される場に着くと、彼は神殿の階段を自分で登るのだが、その一段一段で、一年の間、音楽を奏でるのに用いてきた横笛の一つ一つを壊していくのだった。ピラミッドの頂きに達すると、彼を殺害する準備を整えた権力者たち(神官たち)が彼の身体を取り押さえて石の台の上に投げ置く。仰向けに寝かされると、彼は、手と足と頭をしっかり固定される。黒曜石の刀を持った神官が一撃でその刃物を彼の胸に突き刺す。刀を引き抜くと、今度は、その切り開いたばかりの開口部へ手を入れて心臓を抜き取り、すぐに太陽へ奉納するのである」・

 この若い男の遺体は大切に扱われる。神殿の中庭へゆっくり降ろされるのだ。並の生け贄の場合は、ピラミッドの階段の下まで投げ捨てられる。最も激しい暴力が常態なのである。たとえば遺体から皮をはがしたりする。そして神官がすぐにこの血みどろの皮をまとうのだ。何人かの人間を一個のゆで釜のなかへ入れておくこともある。そこからかぎ針で吊るし出して、生きたまま石の台の上に乗せるのだ。多くの場合、生け贄に供された人体の肉は食された。祭りは休みなく次から次に行われ、毎年、神事のための生け贄は途方もない数にのぼった。二万という数まで出されている。生け贄のなかで神の化身となった者は、まさに神のように列席者に囲まれたまま、供儀の場へ登っていき死の局面へ至るのである。

2023年5月28日日曜日

20230527 ブログ2000記事到達に際して

当記事の投稿により、総投稿記事が2000に到達します。当ブログをはじめてから約8年ほどで2000記事の投稿と考えてみますと、その期間は、10日間のうち6~7日は1記事投稿してきたことになりますので、私としては思いのほかに継続したのではないかと思われます。とはいえ、現在、当記事を作成していても、感興や感慨のようなものは皆無と云えます。

また、以前、当ブログにて自分にとって転機となった南紀での経験を述べてみたいという考えから作成した【南紀について】は比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、大学関係者の方々で、新たな医療介護リハビリ系の専門職大学あるいは科学技術大学院大学などの設置を検討されていましたら、南方熊楠が後半生を過ごした口熊野とも呼ばれる紀伊田辺は、南紀白浜温泉にもほど近く、風光明媚であり、教育・研究の環境として悪くないと思われますので、類似した環境と云える紀伊半島南部の東側の新宮と併せて是非、ご一考頂ければと思います。

さらにもう一つこじつけますと、紀伊田辺・新宮双方から通じている熊野本宮大社の主祭神は、家都御子神または家都美御子神(けつみ(み)このかみ)ですが、実は、これは出雲系の神である素戔嗚尊のことであり、この神は、木の国だけに樹木の神であると同時に、穀物の神でもあることから食の神とされています。そして実際に紀州・和歌山は、鰹節や醤油などの我が国の食文化には欠かすことの出来ない食材の発祥の地であり、さらに伝統食品である梅干しの生産量もダントツの首位であることから、語義通り、日本の味のルーツが今なお息づいている地域であると考えます。

そして、前段が幾分長くなってしまいましたが、こうした文化的背景を持つ地域に、食材の専門家である管理栄養士を主軸として、それに関連する職種と云える歯科衛生士などの医療介護リハビリ専門職を養成する学費が安価な高等教育機関(専門職大学)を、ある程度の規模の病院など医療機関がある紀伊田辺・新宮双方に設置しますと、西日本・東日本双方の受験生にも対応出来て、とても良いのではないかとも思われます。

そして、それら専門職大学では、各々専攻する専門職の養成課程科目と語学課目とは別に、各学生さんの内発的な興味に即した人文系の自由研究科目を必修として、それを在学期間を通じて学び続けるようなカリキュラムにすることにより、これまでとは少し異なった知的背景を持つ専門職の方々を養成することが出来るようになるのではないかと思われるのです。

以前、当ブログにて自らのことを「私は課程博士を修了した初めての歯科技工士ではないか?」と述べましたが、その路程は兄の死や、指導教授(師匠)の予期せぬ退職などが重なり、それなりに辛いものでしたが、同時に歯科理工学実習にて鋳造や鑞付けを担当させて頂き、2012年からは教授も准教授の先生もいない状況下にて、実習書や教科書に記載の情報以外は、人文系ネタを随所に散りばめつつ実習を進めることが出来たことは、自分の性質に合っていたのか強く記憶に残っています。

学生さんとしては、実習にて30歳過ぎのオッサンの本能と知性が噛み合って駆動している様子を、何やら「おかしなもの」として見ていたのではないかとも思われます・・。実際、私が人文系ネタを話しながら、実習手順や使用材料などについて説明していますと、後ろから小声で「民明書房刊・・」と聞こえたこともありました・・(苦笑)。

しかし他方で、自分としては最も多く人文系ネタを散りばめた実習を行った2012年度の実習後から2013年初旬にかけて、どうしたわけか、休日での市内の散歩や、喫茶店での読書の際に、実習時に担当した学生さんから話し掛けられることが何度かありました。

若い女性が町なかで、数度の面識しかない中年男性に話し掛けることは、あまり一般的な行為ではないと思われますので、ありがたいことであるのか、ともあれ、少なくとも危険視はされていなかったのではないかと思われます・・(笑)。

また、そこでの会話のさなかに、性懲りもなく人文系ネタを話してみても興味深そうに聞いて頂き、また、私としても、その都度のご質問にも、あまり逸らさない返答が出来たのではないかと記憶しています・・。

そして必修である実習以外の場面で、自分が話す人文系ネタを面白そうに聞いて頂けたり、それに対しての質問などの知的な反応を頂いたという経験は、それまで人文系を背景とする歯科技工士の大学院生として、あまり良い目を見たことがなかった私としては、それなりに画期的、いや革命的なことであり、以前にも述べましたが、そうしたいくつかの経験が複合的に作用して、今回の2000記事達成に至るのだと云えます・・。

とはいえ、であるからと云って、私はその学生さん達に恋慕しているわけではありません。おそらく、彼女等の多くは、鹿児島弁でいうところの「よかおごじょ」らしく、比較的早くに結婚されて、現在は子育てをされているのではないかと思われます。しかし、それらの方々が10年前の学生時代の実習時に、変なことを話していて「何だか面白そう・・」といった感じであるのか、町なかで話し掛けた中年男性は、8年近くかけて2000記事のブログを作成程度のことはしたということで、各々の「見る目」のご参考にして頂ければと願うところです・・。

おかげさまで(どうにか)2000記事に到達することが出来ました。そして今後はしばらく記事作成を休もうと考えていますが、また思いのほか案外早い時期に再開してしまうのではないかとも思われます・・。

そして2000記事到達となる今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年12月11日日曜日

20221211 【空想】新たな医療介護系専門職大学の立地について

ここ最近寒くなってきたためであるのか、先日少し体調を崩してしまい、直近数日間はブログ記事作成はしませんでした。とはいえ、先日述べた目標である「年内での1920記事到達(±5程度)」を達成するためには、さらなる記事作成を要します。また、以前にも述べました通り、引用記事にて、あと10数記事作成して1920記事まで到達することも可能ではありますが、さらに先もあることから、ここは自らの文章による記事作成にて進めた方が良いと考えました・・。現在は特にスランプでもなく、単に体調が万全ではない程度であり、作成を始めれば、どうにか波に乗ることは出来るであろうと踏んで始めた次第ですが、はじめの勢いにて、この程度まで作成することが出来れば、とりあえずは及第であると云えます。

さて、以前に何度か当ブログにて述べてきたことではありますが、今後、高齢化が進む社会への対応にくわえ、国際的な競争力向上のためにも、我が国は、その国民性とも云える此岸的性質を善導して、英語あるいは中国語を用いることが出来る、より多くの医療介護専門職の養成を行うことが効果的な施策であると考えます。

とはいえ、既存のそれら専門職の養成機関である大学や専門職大学や専門学校が、軒並み、新たな学部や学科を新設することが可能であるかと考えますと、それは困難であると思われます。そこで、ツイッターで私の固定ツイートにて述べている「半官半民での学費が安価な医療介護専門職大学の新設」が(もう少し)検討されても良いのではないかと思われるのです・・。

そして、ここからは空想になりますが「では、その専門職大学は何処に設置するのか?」と考えてみますと、先ずは学費を安価にするため、教員の多くは、若手の成りたての研究者と、一度、定年退職をされた大学研究者・臨床家の先生方に就いて頂くのが良く、またその立地は、国内の比較的温暖で温泉があり、また近隣に学生の臨床実習のための医療・介護施設が既にある場所が適当ではないかと思われます。

そうしますと、その具体的な候補としては、静岡県東部の伊豆地域と、南紀白浜を含む紀伊半島南部地域が挙げられるのではないかと思われます。これら地域のうち伊豆地域では既に医療系学部がいくつか点在しておりますが、それらの大学にて養成を行っていない専門職の養成であれば、地域的にも、既存大学側としても、あまり問題はないと思われます。むしろ、進学先の候補ともなる地元の高校生にとっては喜ばしいことであると思われます。またもう一方の南紀地域は、私自身がそこで何年間か在住した経験から、この地域は近代以降より高等教育機関が乏しく、大都市圏と云える大阪に比較的近く、県庁所在地がある和歌山市以南では、たしか中紀の御坊市に和歌山工業高等専門学校が立地するのみであったと記憶しています。

くわえて、古くからの温泉地である南紀白浜に隣接する自治体の一つが紀伊田辺であるのですが、この紀伊田辺はあまり多く聞くことはない地名であるかもしれませんが、江戸期においては、徳川御三家の一つ紀州徳川家の御附家老である安藤氏が治める3万8千石の城下町であり、また近代以降においては、我が国が誇る博物学者である南方熊楠(和歌山市出身)が後半生を研究活動をしつつ過ごした場所でもあります。

つまり、その仔細な地域の精神的背景は未だ明確には分かりませんが、私の感覚として、当時の紀伊田辺は、あまり大きくない地方の街としては立派な書店がいくつかあり、また城下町の一つの特徴と云える地域にある老舗の和菓子店(織豊期以降の武家文化と茶道には親和性があり、そして茶道があれば和菓子店が必要となる)もあり、ありきたりな表現となってしまいますが「古き良き日本」がいまだ遺っている地域であると云えます。

こうした地域と高等教育機関である大学との相性は、おそらく、少なくとも悪いものではなく、また、さきに述べましたとおり、中紀の御坊以南に高等教育機関が存在しない県南部は、そうした新たな試みとなる高等教育機関を設けるのに適切な立地であると思われるのです。

さらに、この紀伊田辺と類似した背景(紀州徳川家の御附家老云々)を持つのが紀伊半島南部の東側に立地する新宮市です。こちらは街の規模としては紀伊田辺の半分以下となっていますが、田辺市は以前に周辺自治体との大規模な合併がありましたので、その主要な市街地部の規模としては、紀伊田辺と新宮では、大きくは変わらないかもしれません。

ともあれ、そのようなこともあり、新宮にも、そうした高等教育機関を設けても良いのではないかとも思われましたが、ちなみに、こちらは少し南に行ったところに南紀勝浦温泉があります。

勉強や研究を終えた学生や教員が気軽に温泉に浸かりに行くことが出来るような自然環境と市街地とのバランスが取れて、そして、古来からの土着の優れた文化が生きている地域に新たな試みとしての医療介護系専門職大学を設置するのは、我が国の高等教育にとっては良い効果を齎すのではないかと私には思われるのですが、さて実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


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2022年3月20日日曜日

20220320 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309227368
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309227368

人々が信じなくなった途端に消滅してしまいかねないのは、貨幣の価値だけではない。同じことが法律や神、さらには一帝国全体にも起りうる。それらは、今、せっせと世界の行方を決めていたかと思えば、次の瞬間にはもはや存在しなくなったりする。ゼウスとヘラはかつて地中海沿岸では絶大な力を誇っていたが、今日では何の権威も持たない。誰も両者を信じていないからだ。ソ連はかつて全人類を滅亡させられるほど強力だったが、いくつかの署名によってその存在に終止符を打たれた。1991年12月8日午後2時、ヴィスクリ近くの国有の別荘で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの指導者がベロヴェーシ合意に署名した。その合意には、「我々、ベラルーシ共和国、ロシア連邦、ウクライナは、1922年に連邦結成条約に署名したソヴィエト社会主義共和国連邦の設立国家として、国際法の対象と地政学的現実としてのソヴィエト社会主義共和国連邦がその存在を終えることを、ここに確定する」とあった。それでお仕舞いだった。ソ連はもはや存在しなくなった。

 貨幣が共同主観的現実であることを受け容れるのは比較的易しい。たいていの人は、古代ギリシャの神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしかないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や自分たちの価値観がただの虚構であることを受け容れたがらない。なぜなら、これらのものは、私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。私たちは、自分の人生には何らかの客観的な意味があり、自分の犠牲が何か頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。とはいえ、じつのところ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。

 意味は、大勢の人が共通の物語のネットワークを織り上げたときに生み出される。教会で結婚式を挙げたり、ラマダーンに断食したり、選挙の日に投票したりといった、特定の行動は、なぜ有意義に思えるのか?それは、親もそれが有意義だと考えているし、兄弟や近所の人、近くの町の人々、さらには遠い異国の住人までそう考えているからだ。では、なぜこれらの人々はみな、それが有意義だと考えるのか?それは、彼らの友人や隣人たちも同じ見方をしているからだ。人々は絶えず互いの信念を強化しており、それが無限のループとなって果てしなく続く、互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外、ほとんど選択肢がなくなる。

 それでも、何十年、何百年もたつうちに、意味のウェブがほどけ、それに代わって新たなウェブが張られる。歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で最も重要に見える事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解することだ。

2020年7月5日日曜日

20200704 この度の南九州での大雨災害から

先ず、このたびの大雨によって甚大な被害を被った南九州地域での行方不明となった方々の早期の生還・救出そして、さまざまな生活インフラの早期の復旧を祈念いたします。また、報道番組などで、当地域の映像が出てきますと、さまざまな記憶が思い起こされてきます。

今回、多くの被害を被った球磨川流域、人吉市は、鹿児島在住時に訪問したことがあります・・。さらに当地ご出身の学生さんがおられたことも思い出されましたが、今回の大雨で被害に遭われていないこと願っています・・。

鹿児島在住時、球磨川流域の人吉市を訪れたのは、2011年の初秋であり、川下りのラフティングのためでした。これを企画して頂いたのは、当ブログにて何度か取り上げさせて頂いている先輩院生の方であり、2009年に兄が亡くなり、さらに、2010年には指導教員が心ならずも退職されることになり、失意のどん底にあった私を、おそらくは見るに見かねて、企画してくださったのではないかと思われます・・。

とはいえ、この先輩は、そうした気配を全く見せることなく「実は中止にしようと思ったんだけれども・・。他の参加者の様子を見に研究室を訪ねてみたら、皆でYouTubeでラフティングの動画を喜々として見ている光景を目にして引くに引けなくなった・・。」と、国道225号沿い、南鹿児島駅近くのリンガーハットで皿うどんを食べながら話してくださったことが思い出されます。ちなみにこの先輩は皿うどんが好物であり、そこに酢を多くかけるのが特徴的でした。

しかし、こうした一種、露悪的とも云える言動は、現在考えてみますと、私に余計な気を使わせないためであったのではないかとも思われるところですが、そうしてみますと、私が学位審査前でおかしくなっている頃も、同様に、そうした行動や言動を取り、またそれは、当時私の周囲におられた多くの研究室関係者においても同様であったのではないかとも思われてきます。

他方、当時の私は、おかしくなっていたものの、そのことに少しは気が付いていたフシもあり、学位審査を終えて結果が出た後、天文館で開かれた祝賀会にて私が「ええと、この度、私がどうにか学位取得に至ることが出来ましたのは、自分の努力以上に、ここにおられる諸先生方の「運」を少しづつ分けて頂いたことによると云えます。」と宣ったところ、しばらくの間、場が固まり、そして、当時、他講座の助教であった指導教員門下の最年長の先生が「ささ!まあ、それは良いとして、とりあえずは乾杯を!」と流れを変え、その場の雰囲気を変えましたが、実のところ、あの場で私が云ったことはまさに図星であったのではないかと思われるのです・・。そして、図星であったが故に、その場におられた先生方は、その話題を深入りされたくなかったのではないかと思われるのです・・。



しかし、現在になって考えてみますと、さきにも述べましたが、兄の死と指導教員の突然の退職が重なり、かなり落ち込んでいた私を、そのまま放置せずに、あまり気が進まない素振りは見せつつも、さまざまな危機的な局面で救って頂き、また、良い方向への進路変更をさり気なく促してくださったのは、こうした周囲の先生方であり、あるいは、あまりこうした事情をご存じでなかった学生さん達であったのではないかと思われるのです。

そして、今現在、学位取得の2013年から既に7年近く経っていますが、そこから自分自身が、有意に変わったとは、どうしても思うことが出来ないのです・・。つまり、2013年から現在までは「本当にどうにか生きてこれた・・。」ような感じがしてなりません・・。

それは、何かしら精神的な傷によるものであるのか、あるいは、そこで芯が疲れ切ってしまったのか、はたまた、それがごく普通の生き方であるのか分かりませんが、私としては、もう少しハリのある、自身を生かし、精神の自転運動を惹起させるような、生き方をしたいと願うところですが、それは、少し高望みし過ぎなのでしょうか・・(苦笑)。

ゲーテの「ファウスト」に『心をよみがえらす泉は自分の胸中からわいてこねば、心身をよみがえらすことはできない。』といったコトバがありましたが、今後、私はその泉を自分の中に見出すことが出来るのでしょうか・・そして、それは当ブログと関係があるものなのでしょうか・・イマイチよく分かりません(苦笑)。

ともあれ、上記のような経験の記憶を私に与えてくれた南九州における、この度の大雨災害による被害が出来るだけ軽微であり、また、そこからの復旧が速やかに進むことを願っています。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

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2020年1月19日日曜日

20200119 昨日の続き、歴史の理解・認識について

さて、昨日投稿分の記事にて「歴史の理解・認識」について書きました。その主旨は、歴史など手に触れたり、見ることが出来ない、所謂「抽象的」なものに対しては、それについて書かれたさまざまな著作を読み続け、油絵の重ね塗りのようにして、その様相を理解・認識していくといったものでしたが、それと同時に、その歴史と同時代に作成されたさまざまな物を通じた理解・認識もまた、重要であると云えます。

そして、それら双方による理解・認識を通して、はじめて明瞭・クリアな歴史像を得ることが出来るように思われます・・。たとえば、具体的なハナシとしては、和歌山県和歌山市の紀ノ川北岸に立地する大谷古墳から、我が国では出土が珍しい戦闘時の馬に装着する「馬冑」というものが出土しています。この「馬冑」は、古来から乗馬文化を持っていた北東アジアを淵源とするものであり、中国北部や朝鮮半島の墳墓からも出土、さらに墳墓内壁画での描写、副葬品陶俑での表現などが見受けられます。

我が国における「馬冑」の出土は、さきの和歌山県、その他は福岡県、埼玉県の古墳からの3例のみであり、それらの時代はいずれも5~6世紀代とされています。また同時に、この時代は、記紀が伝えるように朝鮮半島内部での国々の争いに、ヤマト朝廷が派兵していた時期でもあり、そこから、おそらく上記3古墳の埋葬者は、この朝鮮半島への派兵に強く関与していたと考えるのが妥当と云えます。

つまり彼等は、ヤマト朝廷の朝鮮半島派兵に従って渡海し、現地にて「馬冑」を入手したのではないかということです。とりわけ、さきの大谷古墳に関しては、5世紀後半に在地豪族である紀氏に属する紀小弓また、その子である紀大磐が朝鮮半島での軍事活動に従事したという記録があることから、その信憑性は高いと云え、あるいは大谷古墳に前記二者(紀小弓・大磐)のいずれかが埋葬されていなくとも、同時期に朝鮮半島派兵に従った紀氏に連なる誰かが埋葬されているとも十分に考え得ることから、さきの「馬冑」の出土と、その背景にある記録されている歴史像は、整合性を持ち結節することが出来ると云えます。

そして、そのようにして抽象的な歴史像と同時代における作成物を重ね合わせますと、そこには、単に抽象的とは云いきれない、具体的なイメージを伴った歴史像が形成され得るのではないでしょうか。また、こうしたことは、歴史を扱ったマンガ・映画などにおいてはその評価をも左右する極めて重要な要素であると云えます。とはいえ、欧米で製作された歴史を題材とした映画と、我が国のそれを比較しますと、我が国の場合、製作された時代が現在に近づくにつれ、その描写が「必ずしも妥当とは云えない」といった作品が多くなっているという印象を受けます。あるいは端的に、我が国の歴史を題材とした映画作品は、全体的に過去と比べ、背景となる歴史への考証が必ずしも適切に為されていないといった感じを受けます。

この意見には、おそらく異論を持たれる方々も少なからずいらっしゃるとは思いますが、それでも、いくらか、そうした作品を読み、観てきた私からしますと、どうしても、そのような印象を受けるのです・・。さて、皆様、こうしたことについて、どのようにお考えになるでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
日本福祉大学
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2018年5月24日木曜日

20180524 人文社会科学系学問の価値について (インターネットおよび端末機器の普及から)

本質的には自然科学系であろうと人文社会科学系であろうと各学問領域間には上下関係、ヒエラルキーはないと云えます。しかし一方、世間一般においては、こうしたものは厳然と存在し、現在であれば医学部医学科がこのヒエラルキーの頂点にあると云えます。

また、そうした状況から波及してか、近年においては特に医療領域学部・学科の人気も高まり、これが以前に述べた今世紀以降顕著になった四年制看護学部・学科の新設・増設の背景にある潮流と云えます。

その一方で、もう一つ顕著なことは、人文社会科学系領域の衰退であり、無論、その背景には現在進行中の少子化もありますが、それと同時に特に実学的要素が少ないとされる思想・哲学、文学、歴史などといった原理的な人文社会科学系領域の衰退とは、おそらく今後数年の後、何らかのカタチでツケが来ることが予測されます。

とはいえ、近年のインターネットの普及、端末機器の進化発展により、以前と比べ、我々は膨大な知識・情報量を即座に検索し知ることが出来るようになりました。この一連の出来事は15世紀欧州における活版印刷技術の発明にひけを取らないものであると云え、おそらく、こうした環境の形成が為されていなければ、現今我々が関心を寄せている、さまざまな社会での出来事に対しあまり関心を持つこともなく、またそれだけに、社会はある意味において平穏であり続けたのではないかと思われます・・。

このように即座に運用可能な知識・情報量が膨大なものとなれば、精神もしくは頭脳に知識・情報をインプット(内在化)する作業としての学習に価値を見出すことが困難になるのかもしれませんが、人文社会科学系学問の価値の神髄は、おそらく運用可能な内在化された知識・情報量を増やし、社会的有用性の高い人間を育成することだけではなく、知識・情報のインプット・アウトプットを能動的に継続して行うことが出来る人間を育成することが主であると考え、本来動物でもある我々人間は、この過程によってのみ、より不可逆性の強い進化(変化)をすることが出来るのではないかと考えるのです・・。

あるいはこのことを言い換えますと、インターネット検索により簡便に知り得た知識・情報は、おそらくその後の定着率が低く、もしくは精神に埋入される深さが浅いことから、その後の活動に寄与・関与することは乏しく、他方、能動的に知識・情報のインプット・アウトプットを継続していますと、そこで知り得た知識・情報はより精神の深いところに埋入され、そして同時にその後の持続可能性もまた担保され得るのではないかと思われるのですが、さて如何でしょう・・? 

そのように考えてみますと、将来安定して貨幣を得やすい学問領域に人が集中するのは仕方がないことであるのかもしれませんが、一方で社会全体がそうした考え方を肯定するようになってしまいますと、その後の社会全体の劣化が著しくなり、持続可能性や創造性もまた損なわれていくように思われるのです・・(あるいは現在がまさしく、そうした時代であるのかもしれません・・。)。

そしてまた、こうしたことを考える際に有効と思われるものは頭脳・精神に定着、深く埋入され、さらに血肉化し、自在に用いて考えることが出来るにまで至った思想・哲学、文学、歴史などの知識・情報であると考えます(これはおそらく付け焼刃は出来ません、自然科学系のそれと同様に・・)。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前から現在に至るまで日本列島において発生した、現在も継続している大規模自然災害によって被害を被った、諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5













2018年4月17日火曜日

20180415 昨日投稿記事から思ったこと 背景学問の重要性について・・

昨日の天気予報によると本日は終日降雨とのことでしたが、結局のところ夜に至るまで雨は降りませんでした。また、昨日投稿の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。しかしながら、当記事は作成はしてみたものの、その内容が、これまでにブログ記事として述べた内容と異なることから、上手く書くことが出来たように思われません。

傾向として、当ブログでは、我が国の近現代史であれば概ね戦前・戦中までを題材として扱い、そしてその中から看取された特徴・傾向などを現代社会に照らし合わせ、記事として述べてきたと云えます。そして、昨日記事にて、はじめて戦後冷戦期を題材として記事を作成しました。また、書いた後になり気が付いたことですが、おそらく当記事作成の背景には先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』そして同じくDVDにて観たスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』からの影響があったのではないかと思われます。特に後者映画作品に関しては最近映画を観る習慣が乏しくなった中で久しぶりに観ましたが、かなり面白く、以前に好んで観たフレデリック・フォーサイス原作の映画とも通じる部分が少なからずあるように思われました。

ともあれ、そうした自身の近況と昨日、地中海東岸某国にて生じたことが反応し、昨日の記事作成におよんだと云えますが、しかしながら、その記事はさきにも述べた通り上手く書けたように思われないのです・・(苦笑)。また、そうした実感を通じ、これまでに半ば当然のように作成してきた歴史を題材とした記事に関してもまた、機会を見つけ新たに再検討を行う必要性を考えるようになりました・・。また、それと同時にブログ記事といえども、ある程度確からしい内容を書くことを試みるのであれば、その分野における血肉化された知識・知見の重要さを改めて知りました・・(苦笑)。

さて、さきに挙げたスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』は冷戦期の国際情勢を知るために有益な一作であると思われ、出来ればロジャー・ドナルドソン監督の『13デイズ』そしてスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』あたりと一緒に観ることにより、さらにその理解は深まるものと思われます。しかしながら、こうしたことを書いておりますと、不図、文系分野での師匠の話し口調が思い起こされるのです・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに列島各地において発生、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害により被災された(されている)諸地域の各種インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。



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昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

ISBN978-4-263-46420-5






2015年9月22日火曜日

20150922 中央公論新社刊 中公クラシックス 竹山道雄著「昭和の精神史」pp.56-58より抜粋


人間は巨大な外界の中にいて、自らもその一部分である。しかし、人間はこの外界の事実の動きにただ機械的にしたがっているのではない。それに順応したり反撥したりして、意欲し行動する。これによって外の事実に新しい展開が起こり、その新しい展開に対してさらに人間は反応する。

「科学的」解釈は、歴史の中に人間の主体的意思を認めず、この事実には目を塞いで右のような交互作用による各段階の展開ということを考えない、これは硬い図式を擬制して、人間はあらゆる段階においてつねに同じ目的のために意欲して行動して、この図式を完成するとしている。複雑な現象の中からただ一つの要素のみを取り出して、これによって固定した世界像を組み立てている。

しかし、自分のはじめからの図式を完成しうるものはいない。歴史は意外な動きをする。行きすぎ、過誤、外国の反撃とそれへの抵抗、勢い、偶然・・などがからみあって、しまいにはヒョウタンから駒が出たような結果になってしまう。昭和十年ころには、誰が、対米・英・仏・蘭・・ソ連を予想していたろう!誰がその準備をしていたろう!

「大隈伯昔日譚」に維新を回顧して次の様な感想が述べてある。―「一寸先は闇の世とは是等の時機をいふならむ。明治維新を去る僅かに三四年前においては、天下の志士は啻に前途を観察する能はざりしのみならず、大概皆紛乱の場に転輾したるに過ぎざりし。・・有りのままを言へば、かかる際に処したる人は、何れも破船の激浪怒濤の中に漂ふに異ならず、眼界汪洋として東西を弁ふ能はず、彼方へ泳がむと欲して此方に流され、北に向はむとして南に却き、遂には意外の方向に於て彼岸に達するが如し。唯其賞賛すべき所は気力と忍耐と臨機の智能にすぎず。・・僅々数年間に幕府を倒して大政を奉還せしむに至るとは、夢想にも及ばざりし事ならむ」そして、維新も結局はある抗しがたい時代思潮の力だった、と感慨している。―「余は前にも断言せり、今又茲にも断言す。維新改革の原動力は薩長の手に存したるに非ず、公卿の間に出たるものにも非ず、又幕府の中に宿せしにも非ず、総て九州の端より奥羽の辺に至る迄、天下各地の青年書生の頭脳に渙発し、時勢と共に其力を養ふて遂に我国空前の偉業を奏したりと。維新の歴史を描く者は之を特筆大書すべし」

私には、これが歴史に対するセンスを持った観察だと思われる。この歴史の中で活動していた人が後年になって回顧したとき、彼は事実を枉げて図式の中に押し込むには堪えなかったのであろう。そして、この大隈伯が見たようなことを、我々も見たのではなかったろうか?


西洋では社会科学者は普遍化し一般化し、歴史家は個体化し特殊化して、その間にある対立があるが、今の日本では社会科学が人文に関する一切を説明しつくす全体的世界観のごときものとされているから、歴史も事象の意味の関連を求めようとする時には社会科学に呑み込まれてしまっている。
しかし、ある特定の立場から世界を体制化したものをもって、すなわち世界の全体だとすることはできない。科学は自分の領域の中にあっては偉大なものであるが、それを出てすべてを説明しつくす世界観をもって自任すると、かならず擬似宗教のようなものになってしまう。

歴史をはじめからすべての文化現象の中から、人間の心を抜いて考えるのが科学的であるとする一世紀前の独断は、もはやとうてい維持しがたきものである。これは、自分の要求に叶う世界像を論理によってえがきだして、それに耽るという、かえってこれこそ「むなしい唯心論」に堕している。

竹山道雄 
大隈重信
昭和の精神史
昭和の精神史 (中公クラシックス)
ISBN-10: 412160122X
ISBN-13: 978-4121601223

小林秀雄「科学する心」