2024年7月3日水曜日

20240702 株式会社筑摩書房刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「呪われた部分ー全般経済学試論・蕩尽」 pp.74‐76より抜粋

株式会社筑摩書房刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「呪われた部分ー全般経済学試論・蕩尽」
pp.74‐76より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480098402
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480098405

我々は、メキシコ先住民の人身御供を、それ以前の人身御供よりも、完全に、そして生々しく知っているのだが、このメキシコの人身御供ときたら、宗教儀式の残酷史を頂点へ至らしめているのである。

 神官たちはピラミッドの高みで生け贄を殺害した。彼らは生け贄を石の祭壇の上に横たえて、その胸を黒曜石の刃物で突き刺すのだ。それから、まだ脈打つ心臓を取り出して、太陽へ掲げるのである。大多数の生け贄は戦争の捕虜だった。それゆえ、太陽の生命に必要な戦争という考えは正当化された。戦争は、征服ではなく、蕩尽という意味を持っていたのだ。戦争がなくなると、太陽が地上を明るく照らすこともなくなるとメキシコ先住の人々は考えていた。

 「復活祭のころに」一人の若くて、非の打ちどころのない美しい男が、生け贄に投じられた。この男は、すでに一年前に捕虜のなかから選ばれていたのだ。以後彼は大貴族のように暮らしていた。「手に花を持って、お供の人々に囲まれて町の中を練り歩いた。会う人みなに優雅に挨拶すると、挨拶された方も、彼をテズカトリポカ(最も偉大な神の一柱)の化身とみなし、彼の前に跪いて敬意を表するのだった。」ときどきカウチクシカルコのピラミッドの上の神殿で彼の姿が見受けられた。「彼は、昼でも夜でも気が向くと、その頂きに行って、横笛を吹き、それが終わると、世界の様々な所へむけてお香を焚き、自分の住まいへ帰るのだった。」彼の生活の優雅さや貴公子然とした気品のために人々はありとあらゆる気配りをした。「彼が太りだしたときには、細身の体型を維持できるようにと、人々は彼に塩入りの水を飲むように促した。」供儀の祭に先立つ二〇日間、この若い男は四人の成熟した娘をあてがわれ、彼女たちと肉体関係を結んだ。この四人の娘はこの目的のためにとても大切に育てられてきたのである。娘たちはそれぞれ女神の名前を与えられていた。(・・・)生け贄にされる祭の五日前には神として尊ばれた。王は宮殿のなかにいたが、宮廷の人々はこの若い男に付き従った。彼のために涼しくて快適な場所で様々な宴が催された(・・・)。彼の死の日が近づくと、彼はオトラコシュカルコと呼ばれる礼拝所へ連れて行かれた。しかしそこに行き着く前にトラピトザナヤンという名の地点に達すると、お付きの女たちは彼から離れ、彼を捨て去った。殺害される場に着くと、彼は神殿の階段を自分で登るのだが、その一段一段で、一年の間、音楽を奏でるのに用いてきた横笛の一つ一つを壊していくのだった。ピラミッドの頂きに達すると、彼を殺害する準備を整えた権力者たち(神官たち)が彼の身体を取り押さえて石の台の上に投げ置く。仰向けに寝かされると、彼は、手と足と頭をしっかり固定される。黒曜石の刀を持った神官が一撃でその刃物を彼の胸に突き刺す。刀を引き抜くと、今度は、その切り開いたばかりの開口部へ手を入れて心臓を抜き取り、すぐに太陽へ奉納するのである」・

 この若い男の遺体は大切に扱われる。神殿の中庭へゆっくり降ろされるのだ。並の生け贄の場合は、ピラミッドの階段の下まで投げ捨てられる。最も激しい暴力が常態なのである。たとえば遺体から皮をはがしたりする。そして神官がすぐにこの血みどろの皮をまとうのだ。何人かの人間を一個のゆで釜のなかへ入れておくこともある。そこからかぎ針で吊るし出して、生きたまま石の台の上に乗せるのだ。多くの場合、生け贄に供された人体の肉は食された。祭りは休みなく次から次に行われ、毎年、神事のための生け贄は途方もない数にのぼった。二万という数まで出されている。生け贄のなかで神の化身となった者は、まさに神のように列席者に囲まれたまま、供儀の場へ登っていき死の局面へ至るのである。

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