2026年6月23日火曜日

20260623 株式会社文藝春秋刊 山本七平著『現人神の創作者たち』pp.191-195より抜粋引用

株式会社文藝春秋刊 山本七平著『現人神の創作者たち』
pp.191-195より抜粋引用

ISBN-10 ‏ : ‎ 4163382402
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163382401

売国奴と愛国者のあいだ
 ここで少々横道にそれ、補助線として、岸田秀氏との対談、「日本人と『日本病』について」(文藝春秋刊)の岸田秀氏の「プロローグ」を取りあげてみたい。
 この中で岸田氏は、日本軍の行動と神経症にかかったネズミとを対比して、「わたしには、このネズミと日本軍がダブって見える」と結論されている。一体なぜ、そう見えるのであろう。以下に少し、要約して、岸田氏の「プロローグ」を引用させていただこう。

『ネズミをT字路のスタートラインに置き、突きあたって一方に曲がれば餌があり、他方に曲がれば電気ショックを受けるようにしておく。この場合、右側へ曲がれば必ず餌があり、左側へ曲がれば必ず電気ショックがあるようにしておけば、ときには右側が明るく左側が暗く、ときには左側が明るく右側が暗いという不規則性を加えても、そのうちネズミは、とにかく右側へ曲がればいいということを学び、必ず右側に曲がるようになる。これは明るい側(または暗い側)に必ず餌があり、暗い側(または明るい側)に必ず電気ショックがあるようにしておいても同じで、そのうちネズミは、それが右側であるか左側であるかにかかわらず、とにかく明るい側(または暗い側)へ行くようになる。このようにして形成されたネズミの条件反応には臨機応変性、柔軟性があって、必ず右側(または明るい側)へ曲がるように条件づけられたネズミを、今度は、左側(または暗い側)に餌があるT字路においてやれば、そのうち左側(または暗い側)へ曲がるようになる。反応形式は状況に応じて変更できるわけである。
 ところが、餌と電気ショックが、ときには右側、ときには明るい側、ときには暗い側という具合に、いっさいの規則性を欠いたT字路にネズミをおくと、そのうちネズミは、状況を無視した固定的、強迫的反応を示しはじめる。たとえば、餌があろうがなかろうが、右側なら右側へ曲がる反応が固定する。いったん、たとえば右側へ曲がる反応が固定すると、今度そのネズミを、右側へ曲がれば必ず電気ショックがあるT字路においても、依然としてネズミは、何度電気ショックを受けて痛い目に会っても、右側へ曲がりつづけるのである(消去抵抗)。このネズミの行動を擬人的に解釈すれば、ネズミは、何ら規則性が発見できない状況に放り込まれてどうしていいかわからず不安になり、しかし、腹が減ってくるから何らかの行動を起こさざるを得ないので、不安から逃れるため、とにかく根拠はないが、右側なら右側に曲がるという方針を決定し、いったん決定すると、何度失敗しても断乎として方針を変えないわけである。わたしには、このネズミと日本軍がダブッてみえる』

 大分長く引用させていただいたが、確かに日本軍はそうであった。「情況は全くわからなくなった。わからないならわからないで致し方がない。断乎、自分の行き方を貫くまでだ。それで全滅するなら、全滅して本望だ」とばかりに、何度失敗しても、同じことを全滅するまでやるのである。その点では確かにネズミ的である。だが日本軍とは日本人であり、日本人とはその歴史の産物である。そこでこれをさらに大きく歴史的に見ていったらどうであろうか。ある状況に於て右に曲がったら非常に痛い目にあった。そこで左に曲がったらうまくいった。そのため以後は専ら左に曲がりつづける。情況が変化しないなら、これはうまくいくであろう。だがひとたび情況が変化すれば、左に曲がることによって右に曲がったと同じ結果を生ずる。だが同じ結果を生じても左に曲がれば大丈夫と信じ、痛い目に会いつづけても左に曲がっていれば、ネズミは餓死するに至るであろう。もしそういう行動をとったら、それはネズミ以下ということになる。というのは、岸田氏の記されたネズミはもうちょっと柔軟性があるからである。一体、近代史を通じてみればこの間の日本人の行き方はどうなっているのであろう。
 そう考えてみて以上のことを幕末・戦前・戦後の日本にあてはめてみると面白い。戦前の日本人は、ある行為をすれば亡国になり、その逆をすれば必ず勝者となって安全であると信じ込んでいた。もちろん、何によってそう信じ込まされたかは忘れたか、消したかしてしまった。従ってそれは一種の呪縛のようになり、だれもこの行き方をどうすることもできない。これは全日本性的態度で、軍隊はただそれが鮮明に出ているにすぎないのである。では何が日本人をそうしたのか。簡単にいえば浅見絅斎が「謝枋得」編で長々と記した宋滅亡の経過とそれへの朱子の批評である。ここでは北方の金と講和を策する和平派は全部売国奴でその象徴が秦檜であり、李綱や尽忠報国の岳飛に象徴される軍人はみな愛国者なのである。従って、軍人の言う通りにしていれば、謝太皇太后が国を元に献じて亡びるような事態にはならなかったであろうという結論が一応出てくる。こういう図式を頭の中に叩き込まれていれば、李鴻章は狙撃され、小村寿太郎は売国奴とされ、東大に「バイカル七博士」が出現し、講和反対の焼打ち事件が起って不思議ではない。何しろ「謝枋得」編を読んでいくと「譲歩は敗北への道だ」になるから、軟弱外交否定、決裂も辞せず一歩もひくなと、断固主張するのが勝利と国家保全の道であり、これをつきつめれば、譲歩妥協して他国と条約を結ぶことさえ悪になってしまう。
 日本は大体そのようにし、そうしていれば国は保持できるという呪縛にかかっており、軍人だけでなくマスコミも世論も、三十余年前の八月十五日までそれを主張しつづけた。ところがこの考え方・行き方により、大変に「痛い目」に会った。そこで戦後の日本人はほぼその瞬間に、戦前の逆をやれば安全と信じ込んだ。いわばT字路に置かれたネズミは、明治には「謝枋得」編の宋滅亡の逆の方向(これを右としよう) へ曲がることによって一応成功した。いわば「痛い目」より「餌の方」へと曲がって、近代化という成功を克ちとった。ところがこれが固定し、客観情勢が変っても同じように右に曲がりつづけ、大変に「痛い目」に会った。そこで左に曲がって意外な戦後的成功を克ち得た。すると今度も客観情勢が変化しても左に曲がりつづけよと主張される。ところが今になってまことに規則性のない国際情勢の中に放り出された。もっとも過去にも国際的環境は戦場と同様元来は規則性がないのだが、自らのうちに呪縛化した規則性に基づき、その通りやったり、その逆をやったりして、その成功と失敗を規則性として来たわけである。それが少々あやしくなって来たわけだが、そうなると変化する情況に対応できなくなり、この辺で岸田氏が指摘する消去抵抗が出て来て、どちらか一方へ、客観情勢の変化に関係なくまた曲がりつづけるかも知れない。というのは、それと大変似た状態を過去にも現出しているからである。
 一つ一つあげて行けば際限がないが、実際は別として少なくとも発想で「戦後」とは「戦前」の「反世界」であり、それを主張しさえすれば、その人間が「義」であることは事実であった。これはちょうど戦前に於て「謝枋得」編の宋滅亡の経過の逆を主張していればそれが「義」であったのと似ている。たとえば戦前は強大な陸海軍をもち、すべての国を敵としたから戦後はその逆に非武装中立ですべての国と仲よくしようとなり、そうすればあのようなことはないという発想になる。この種の「戦前=悪、その逆をすれば義」的な考え方は、戦前は「親共」が悪、戦後は「反共」が悪といった裏返し状態を例にあげるまでもなく、新聞の投書その他の到る所にある。それを要約すれば「逆コース」という批判の内容になるであろう。この言葉を、岸田氏のネズミと対比すれば、戦後の「コース」は戦前を基準とすれば「逆コース」ということになり、戦後を基準とすれば戦前が「逆コース」ということにもなる。従ってこの言葉の背後にあるものは、通常使われるのは後の意味だが、この「逆コース」を悪とするなら、戦前の逆をやればよろしいということなのである。と同時に戦前は、絅斎の指摘したように、宋が滅亡へと進むコースの逆を行けばよく、宋の道を歩めば逆コースだったわけである。そしてこの考え方は右に出ようと左に出ようと、最終的には、非常に把握しにくい客観情勢の変化が入る余地がなくなってしまうのである。