また、物理学者の寺田寅彦は「物理学を理解するにはギリシャ神話を理解する必要がある。」といった意味のことをどこかに記していました・・。
その意味とは、おそらくギリシャ神話の物語のスジが様々な物理法則の骨子、基盤となっているということではないかと思います。
また一方において、心理学者の河合隼雄は「心理学(欧米の)で用いられる概念の多くは、その骨子、基盤をギリシャ神話から引用している。」といった意味のことをどこかで述べていました。
さらに加えて、我が国をはじめ、世界各地にて、その昔、古代と云われる時代においては、その国、地域で語り継がれてきた「神話」こそが歴史であり、またそれが、支配者の統治権を自他に対し、正当化、正統化するものであったと、小林秀雄が何かで述べていました。
上記のわずかな事例から、総括を行うこと、また、それらを論拠とすることは早急であるとは思いますが、自身のこれまでの(わずかな)経験から考えてみますと、おそらく神話を含めた過去の様々な出来事を(概ね)時系列的に大きな物語と成し、さらにそれを概念化するといったことは、世界各地において、概ね普遍的に男性の受け持ち、職分であったのではないかと思われます。
そして、それは統一国家が形成される以前、多くの地域国家が並存していた時代において、その各々(地域国家)において、神話もまた各々ガラパゴス的に存在、並存していたのではないかと思われます・・。
そうしたことを我が国に適用してみますと、統一国家が編纂した古事記、日本書紀と同時に国内各地に風土記が存在してことから、上記の状況が過去において存在していたことではないかと考えさせられます・・。
また、その(各風土記)内容とは、決して統一国家の賛辞に終始しているわけではありません。
それに加え、そうした地域毎の神話とは、風土記に収録されたもの以外にも、おそらく数多く存在し、それは、柳田國男が我が国の妖怪について述べたことと類似し、統一国家の価値観によって徐々に地域の神(神々)から妖怪に転落し、それは同時に神話から民話(地域の物語)への変化でもあったのではないかと考えさせれます。
そのように考えると、近代以降の我が国の理系立国とは、期せずして、その基盤が国内各地に各々存在していたのではないかと考えさせれるのです・・。
一般的に理系学問とは、普遍性が重要ではあるのですが、その「基盤」とは、明確には認識し難いのかもしれませんが、案外、さきに述べた局地的な神話と同様、地域性といったものがあるのではないかと考えさせられます・・。
その意味において、現今為されつつある理系立国的な施策とは大変良いものであるとは思いますが、その基盤として、ホンモノの普遍的、局地的な歴史、伝統、文化を「尊重」することもまた案外、重要なことなのではないかと考えますが如何でしょうか?」
九州・熊本の大地震から早や一カ月が経とうとしております。被災された地域の出来るだけ早期の復旧・復興を祈念いたします。
また、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
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