2026年2月27日金曜日

20260227 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地③

 これまでにも述べましたが、当初私は、北海道から南紀白浜への転勤は大変嫌でしたが、そこでの生活を通じて、地域の自然風土や歴史文化に興味を持つようになり、それが、かねてよりの大学院進学への希望と歯車が噛み合い、動き出し、そして県北部の和歌山市に住むことになりました。つまり、私は最初に、都市からは遠く、南方的な自然が横溢とした南紀に住み、次いで、大都市である大阪府にほど近い、県庁所在地の和歌山市に在住しました。この在住の順番は、現在考えてみますと、前出のコンラッド著「闇の奥」の文体に惹かれたことにも関連があるように思われます。と云いますのも、直近の投稿記事にて「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べましたが、これは、紀伊半島南西部を流れる、北から紀ノ川、有田川、日高川、南部川、会津川、富田川、それぞれ河川の流域において、歴史の積層の様相が認められ、また、各流域毎の歴史の推移についても、類似している点もあれば、異なる点もあると云った様相が認められたからです。そして、現代においては、各河川最下流域の様相は異なり、たとえば紀ノ川であれば、地域で最も栄えている県庁所在地である和歌山市を流れます。次いで、有田川であれば、紀ノ川最下流域ほど栄えてはおらず、川を南北から挟む紀伊山地から延びた山並みには、一面に蜜柑の樹が植えられており、その花が咲く5月頃の有田市や少し上流の有田川町では、以前述べた2月下旬頃のみなべ町の梅の花の薫りのように、さらに規模も大きく、蜜柑の花特有の、あの爽やかで甘い薫りが地域一帯に包み込みます。つまり、有田川下流域一帯は、紀ノ川のそれと比べ、自然がより多く、他方、建造物の数が少なくなり、また、それら建造物も紀ノ川下流域と比べ、時代が遡るものが目立ちます。つまり、粗く云えば、紀伊半島西南部を流れる各河川流域の景観をも含む様相とは、北の紀ノ川から有田川そして日高川と南下に伴い、その様相が示す時代も遡り、最南端と云える富田川最下流域まで行ってみて、その河口部に立ちますと「たしかに紀ノ川よりも河川の規模は小さいけれども、こうした景観は、往古、神武東征の頃の紀ノ川河口にも似ているのではないだろうか?」と考えさせられ、また、そうした考えは、有田川や日高川に架かる橋を渡る際にも想起させられます。そして、そうしますと、紀伊半島を北部の和歌山市から南下して、途中の各河川を渡るに伴い、段々と時代が遡っていくような感覚を覚えるのではないかと考えるのです。実際、私はそのように感じられ、そして、その感覚は南紀白浜在住時には得ることはなく、その後の和歌山市在住時に自転車で紀ノ川大橋を渡っている際に、周囲の景色を見てそのように感じられたのです。そして、そうした感覚を保持しつつ、以下の、これまで引用記事として投稿したコンラッド著「闇の奥」導入部の記述、そして、その記述に触発されて作成した当ブログ投稿記事を読んで頂きますと、さきに「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べた、その背景にある感覚をもう少しご理解あるいは共感して頂けるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

*三交社刊 ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」
pp.19-21より抜粋
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625

「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。
 そのあと、この河から光明が流れ出て行くようになったんだ―騎士たちが出立して行ったと言うのかい?それでもいいさ。
 だが、それはね、平原を妬いて突っ走る野火、雲間にひらめく稲妻のようなものだ。われわれ人間の生なんてはかないものだ―せいせいこの古ぼけた地球が回り続ける限り、それが続くことを祈ろうじゃないか。
 しかし、暗黒はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ。まあ想像してごらんよ。地中海に浮かぶ―ああ、なんて言ったっけな―そうそう、トライトリームという立派なガレー船の副長だった男が、突然、北辺に行けと命令された時の気持をね。
 急いでゴール人の地の陸路横切って北海に出て、古代ローマの軍団の船の一艘の司令を任されるわけだ。
 物の本にあるところを信用すれば、彼らはそうした船を、一月か二月のうちに、何百と造ったものだそうだ―ずいぶんと器用な連中だったに違いないね。
 さて、世界の最果て、鉛色の海、煙色の空、六角アコーディオンと同じくらいの堅牢さしかない船―その船に兵糧、兵士、その他あれこれを積んで、その船長がこのテムズを遡ってくるところを想像して見たまえ。砂州、沼沢、森林、蛮民、―文明人の口に合うものなどほとんどなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。
 ―寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、―空気のなかにも、水のなかにも、薮のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
 兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない。だが、もちろん、船長は任務完遂、それも、あれこれ思い惑うこともなく見事にやってのけたのかもしれない。
 彼らこそが暗黒に立ち向かうに十分な強さを備えた男たちだった。
もし、ローマにいくらかのよいコネがあり、このひどい気候風土を生き抜いたあかつきには、やがてラベンナの艦隊への昇進もあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ。
 あるいはだな、トーガを身にまとった人品いやしからぬ少壮のローマ市民が―さいころ遊びでもやり過ぎた挙句ににさ―一旗揚げ直してみるともりで、知事とか、収税吏とか、はたまた商人などに混じる一行に加わって、この土地にやって来たところを想像してみよう。
まず沼地に上陸し、森や林を抜けて、やがてどこか内陸の駐屯地にたどり着く。そこで、彼は未開地の荒涼さ、全くの荒涼さがすっぽりと彼を包み込んでしまったと感じるのだ、森のなか、ジャングルのなか、そして野蛮人の胸の奥にうごめいている荒野の神秘な生命のようなもの全体が、ひしひしと身に迫ってくる。
 そうした神秘に参入する儀式や手ほどきなどありはしない。彼はその理解を絶したもののただ中で生きてゆかねばならず、それはまた、嫌悪すべきことでもある。
ところが、その神秘はある魅惑も備えていて、それが彼の心にじわりじわりと作用を及ぼしてくる。
 嫌悪感の蠱惑とでも言えようか。思っても見たまえ。日々につのる後悔、逃げ出したいとあせる気持、それができない腹立たしさ、結局は屈服し、ただ憎悪が残るのだ」

*ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで…M2病の妄想?

「この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。

ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガフレイザーバタイユコンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・

『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』」

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。


0 件のコメント:

コメントを投稿