『我が国の古代史において最大の問題とされるものは統一王権成立の時期であると云える。
しかも、その背後には歴史学的問題と同様、現今の思想的問題をも連想、示唆させるという意味において、一層この問題を(精確に)扱うことを困難にさせる。
すなわちそれは、記紀に書かれている神話、伝説をどのように認識するかという問題であるとも云える。
この問題について一つの足掛かりとなる考え方とは、山本七平によると富永仲基、内藤湖南などが述べた『古代の神話、伝説とは古い時代に向かって徐々に発達していくという加上の原則』であると考える。
それはある地方を中心として発達した政権(王権)が、成長し周囲のクニグニを征服していく時、そのクニグニの神話、伝説が征服した王権に輸入され、それが歴史的事実として述べられ、そして信じられていくということであるのだが、征服した王権の歴史とは、ある時代以降は比較的明瞭であるため、征服されたクニグニの神話、伝説とはその間に割り込ませることが困難となる。
それ故、それら神話、伝説を自らの歴史の遡った方へつけ加えていくといった傾向である。
たとえばヤマト王権と出雲との関係とは、ヤマト王権側には日本武尊の出雲健征伐という比較的歴史に近い段階の伝説の形にて伝承されているが、これが出雲では大国主の国譲り伝説として残っている(要はヤマト王権の出雲征服)。
おそらくこれは出雲がヤマト王権に完全に服属、同化された時期に出雲から大和へ齎されたのであろうが、さきの理由から、これはその時代においては置き場所がなく、歴史から遡った神代の話として記紀に収められたのではないかと考えられる。
ともあれ、そうした理由により、記紀の神代の話とは畿内を中心としないで地方、辺縁地域における神話、伝説を以ってより多く(比率的に)充たされているのではないかと考える。
また、多少の疑問もまたあるが、ヤマト王権が次第にその勢力範囲を西方に拡張した際にもっとも頑強に抵抗したのが九州の諸部族であり、我が国におけるこうした構図とは明治維新あるいは西南戦争に至るまで幾たびか繰り返されているのかもしれない。
彼ら九州の諸部族とは当時の先進地域であった朝鮮半島と早くから交易し、進んだ大陸文化を我が国に広く輸入紹介した功労者であり、また、まさに倭の真髄であるのだが、おそらくはその文化の先進者であったことがかえって仇をなし、文化的には後進地域であったヤマト王権に制圧・併呑されてしまったのではないかと考えられる。
それはあたかも北方の遊牧騎馬民族により幾度も征服された中国、同じく古代ギリシャ諸都市国家群から北方蛮族と見做されたマケドニア、あるいはドイツ諸那から東方の辺境国とされたプロイセンとの関係とも幾分類似した歴史的構図が示されるのではないかと考える。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸インフラの復旧・回復および復興を祈念しています。
昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
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