ISBN-10: 4163646205
ISBN-13: 978-4163646206
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「しかし現実の戦場で刀剣を振うということは、実は、昔から極めてまれなことでなかったかと思う。というのは、団体戦闘における近接戦の主力兵器は、洋の東西を問わず、昔から実際は槍であって刀でない。槍は銃槍、銃剣と変化し、また、ある特別の銃槍は、銃の先に槍の穂先がつくというより、槍の柄から弾丸が飛び出す態のものであったらしいが、結局この形態の近接戦兵器は、第二次大戦まで生き残ったわけであった。日本軍の銃も全部が銃剣式だったわけではない。内地の砲兵の馭者がもっていた四四式騎銃は銃槍式で、長い槍状のものが銃身にぴたりとはりつくように出来ており、これをぐっと引き起こすと、長い一種の槍になるようになっていた。
従って相当昔から、刀は、実質的には指揮官の「指揮杖兼護身用武器」に返歌していたことが実態であろう。これを明確に示すものが「指揮刀」で、内地で将校が下げていたのは、指揮刀であって軍刀ではない。日露戦争以来の平和は、指揮刀しか持っていない多くの将校を生み出した。戦地に行くことになって、あわてて偕行社で軍刀を買った人は、決して少なくないのである。といっても指揮刀は、多くの人が思い込んでいるように、軍刀の模造品・代用品ないしは装飾品ではなく、必需品であった。特に乗馬部隊や騎馬部隊は、これがなければ指揮できないのである。
中隊運動ぐらいまでは、確かに中隊長の声はきこえる。しかしこれが大隊運動・連隊運動となって、各中隊の四門四車両(弾薬車)が、馬蹄のカッカッという音と車輪の轟音とを立てて走りまわると、連隊長・大隊長の声は全然きこえない。こういう場合は、ただ連隊長・大隊長の指揮刀の合図だけで、全馬全車両が、あるいは縦列になりまた横列に広がり、右にまわり左にまわり、一糸乱れず自由自在に動くのである。
私が最初に入隊したのは近衛砲兵連隊で、これは言うまでもなく観兵式用の部隊だったから、この妙技は、まことに「人間わざ」とは思えないほどであった。その連隊運動は、自称「世界一」であったがー当時「輓馬砲兵」などというものは多くの国で姿を消していたから、本当に「世界一」いや「世界唯一」だったのかもしれない。もっともほかの師団には「キンポ(近砲)のお飾り部隊」という蔑称があったことは、予備士官学校で知ったが、今の言葉でいえば「パレード専用部隊」とでも言ったところであろう。ただ「近砲」の名誉のために言い添えれば、これは事実ではない。それどころか、彼らは他部隊に比して恐るべき過重な訓練を強いられていた。一月八日が「陸軍始観兵式」である。そのため「近衛に正月なし」が実情であった。
何しろ「陛下の御馬前」で失態を起こせば「切腹もの」の時代だから、確かにあの妙技は命がけの猛練習の結果である「至芸」で、鬼の大松の回転レシーブをはるかに凌駕する世界的妙技だったかもしれない。ちょうど、オーケストラの指揮者の指揮棒のちょっとした合図で、全バイオリンの弓が一斉にあがるように、指揮刀の先端の動き一つで、全連隊の自由自在が動くのである。指揮刀による指示にはもちろん細かい規定があった。
何しろ「陛下の御馬前」で失態を起こせば「切腹もの」の時代だから、確かにあの妙技は命がけの猛練習の結果である「至芸」で、鬼の大松の回転レシーブをはるかに凌駕する世界的妙技だったかもしれない。ちょうど、オーケストラの指揮者の指揮棒のちょっとした合図で、全バイオリンの弓が一斉にあがるように、指揮刀の先端の動き一つで、全連隊の自由自在が動くのである。指揮刀による指示にはもちろん細かい規定があった。
原則的なことだけあげると、垂直に高くあげてまっすぐ前に倒せば「前進」、同じく高くあげて垂直にそのまま下ろせば「停止」、右に水平にまっすぐのばして前方へ二度振れば「右前縦隊進メ」-横隊の右端から順次に行進して縦隊になる、垂直に高くあげて横に8の字を描けば「開け」-縦隊から横隊になる、等であった。
もちろんこれはほんの一例だけで、声は聞こえないkらあらゆる動作がこの指揮刀の動きだけで行われ、それはまさにオーケストラの指揮棒と同じ働きをしていた。こういうことはもちろんタクト同様に軽くて、刃がなく、片手で、しかも馬上で自由自在に振れる飾刀でないとできない。従って観兵式に下げていくのは指揮刀であって軍刀ではないのである。
オーケストラの指揮者は、男性なら一度はやってみたい職業だといわれるが、指揮刀一本による大部隊の指揮は、若い青年将校が、だれでも一度はやってみたいことのようであった。これはおそらく「軍国主義」とはまた別の願望であろう。同時に若者はいずれの時代でも「おしゃれ」であった。彼らとてその例外ではない。
そこで「おしゃれの青年将校」は、指揮刀に凝った。私などは無関心だったが、俗に「ロス」といわれる、まるで安全カミソリの刃のようにうすく、振るとバネのようにビューんとしなって羽のように軽い刀身の指揮刀を、細い美しい鎖を何条にも編んだグルメット(吊り鎖)が刀帯から吊り、チャラチャラと軽い音を立てて歩くのが、当時の「しゃれ者」の青年将校の姿であった。
しかし考えてみれば、当時は、指揮刀で指揮をするということすら、すでに「パレード」の世界にしかない時代だったのである。その時代に「立川文庫」の世界が事実として報ぜられ、それが今なお事実として通用するなら、そのこと自体が、新聞がいかに徹底的に国民をあざむきつづけて来たかの証拠にすぎないであろう。
その効力が2メートルに及ばない刀は、すでに実戦の兵器ではなかった。それは劇画・動画の中と新聞記者の妄想の中で活躍する兵器にすぎない。もちろん「槍」は必ずしもそうはいえない。だが、当時、それを知っているはずの軍隊内にすら奇妙なことが起っているのである。
軍刀が「日本刀の模造」という形態になったこと自体が、実はそう古いことではないはずである。ここに妙な逆コースがあったように思われる。というのは、古い将校、たとえば私の部隊長がもっていた軍刀は、日本刀型ではなく、日本刀と指揮刀とを混合したような、非常に奇妙な形の刀だったからである。日露戦争時代の絵にこの奇妙な刀が出てくるが、実物を見た人は少ないであろう。近代戦の実態を考えれば、日本刀はこのように変形して、やがて指揮刀となり、ついて地位を示す象徴となって、最終的には消えて行くのが順序だったはずである。
オーケストラの指揮者は、男性なら一度はやってみたい職業だといわれるが、指揮刀一本による大部隊の指揮は、若い青年将校が、だれでも一度はやってみたいことのようであった。これはおそらく「軍国主義」とはまた別の願望であろう。同時に若者はいずれの時代でも「おしゃれ」であった。彼らとてその例外ではない。
そこで「おしゃれの青年将校」は、指揮刀に凝った。私などは無関心だったが、俗に「ロス」といわれる、まるで安全カミソリの刃のようにうすく、振るとバネのようにビューんとしなって羽のように軽い刀身の指揮刀を、細い美しい鎖を何条にも編んだグルメット(吊り鎖)が刀帯から吊り、チャラチャラと軽い音を立てて歩くのが、当時の「しゃれ者」の青年将校の姿であった。
しかし考えてみれば、当時は、指揮刀で指揮をするということすら、すでに「パレード」の世界にしかない時代だったのである。その時代に「立川文庫」の世界が事実として報ぜられ、それが今なお事実として通用するなら、そのこと自体が、新聞がいかに徹底的に国民をあざむきつづけて来たかの証拠にすぎないであろう。
その効力が2メートルに及ばない刀は、すでに実戦の兵器ではなかった。それは劇画・動画の中と新聞記者の妄想の中で活躍する兵器にすぎない。もちろん「槍」は必ずしもそうはいえない。だが、当時、それを知っているはずの軍隊内にすら奇妙なことが起っているのである。
軍刀が「日本刀の模造」という形態になったこと自体が、実はそう古いことではないはずである。ここに妙な逆コースがあったように思われる。というのは、古い将校、たとえば私の部隊長がもっていた軍刀は、日本刀型ではなく、日本刀と指揮刀とを混合したような、非常に奇妙な形の刀だったからである。日露戦争時代の絵にこの奇妙な刀が出てくるが、実物を見た人は少ないであろう。近代戦の実態を考えれば、日本刀はこのように変形して、やがて指揮刀となり、ついて地位を示す象徴となって、最終的には消えて行くのが順序だったはずである。
だが、不思議なことに、この点だけでなく他のことでもいつもそうならない。そして何としまいには、戦闘機の搭乗員までが重い大きな日本刀型軍刀をもって機に乗ることになる。これは一体なぜであろうか。おそらくあらゆる面で「成瀬関次氏のデータ」といったものを無視し、何かをーこの場合なら「日本刀」をー絶対視して、この主張を一方的に言いまくると、それが通ってしまうという精神構造から来るのかもしれない。ある種の経済学者の主張などを聞いていると、私はいつも、何か日本刀の模造品を下げた将校を連想するのである。
だが話を軍刀にもどそう。確かに例外はあるだろう。しかし時局はS氏の指摘する通り、ほとんどすべての者が日本刀を使用する機会がなく戦争が終わったので、その実態はだれも知らず、従って昔のままの「日本刀神話」が今も生き続けているのだと思われる。
だが話を軍刀にもどそう。確かに例外はあるだろう。しかし時局はS氏の指摘する通り、ほとんどすべての者が日本刀を使用する機会がなく戦争が終わったので、その実態はだれも知らず、従って昔のままの「日本刀神話」が今も生き続けているのだと思われる。
一方的に頭に注入された「定説」に基づく「思い込み」ぐらいこわいものはない。今もわれわれは、マスコミによってさまざまの「思い込み」をさせられていると思うが、確かに日本刀についてのある種の「思い込み」を疑わなかったという点では、私にも、ほかの人を批判する資格はないので、あまり偉そうなことは言えない。」
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