ISBN-13 : 978-4907188313
人文学者は、「この歴史」をたった一回の奇跡として受け取る。したがって、偶然としか考えられないような歴史の細部もすべて重視し、伝統の継承なしには前に進めないと考える。対して自然科学者は、「この歴史」を、無限の反復のなかの一例、統計のひとつのサンプルと解釈する。彼らにとって、本質は歴史ではなく歴史を産出する原理のほうであり、したがって、偶然の出来事はノイズとして排除すべきだし、教科書は新しければ新しいほどよいと考える。人文学と自然科学の制度や慣習のちがいは、基本的に歯この差異から帰結する。
このように整理すればあきらかなように、人文学と自然科学は、どちらが正しいとか、どちらが優位とかいったものではない。人間は、普遍を認識することができるが、実存としてはただいちどしか生きることができない。人類は、普遍的な認識に到達することができるが、その認識へはひとつの歴史を通してしか到達しない。人文学と自然科学の「対立」は、このような人間の存在構造そのものにより生み出されたものであり、「学際的」云々によって乗り越えられるようなものではない。人間は、人文学だけで生きていけないのと同じように、自然科学だけでも生きていけない。そもそも自然科学はその本質において自律的ではない。反復可能な事象を扱う自然科学、それそのものが反復不可能な「ヨーロッパ近代」の産物でしかないという矛盾については、かつてフッサールが「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」で扱い、またデリダも、同書付録論文への長いコメンタリーである『「幾何学の起源」序説』で主題としている。
さて、あらためて依頼された主題に立ち返るとするならば、それゆえ、人間が人間であるかぎり、人文学がなくなることはないというのが筆者の考えである。人類が、ただいちど「この歴史」のなかでしか文化を築けないかぎり、いくら自然科学が発達し世界の物理的制御力が増したとしても、人文学の伝統が消え去ることはない。かりに人間が生物学的には人間ではなくなり、意識が情報になり、記憶が反復可能になり、「わたし」の数が無限に増殖可能になったとしても、そのなかに「このわたし」がいるかぎり、文学や哲学がなくなることはない。その点で人文学の未来は保証されている。人文学を必要とする人間はかならずいる。ただし、その従事者が、これからも現在のような優遇された労働環境を享受し続けることができるか、前世紀までのような社会的影響力をふたたび回復することができるのかといえば、それは保証のかぎりではない。
人間が人間であるかぎり、人文学がなくなることはない。それは裏返せば、自分が人間であることに気づかない人間にとっては、人文学はほとんど価値がないということである。そして、いつの時代も、たいていの人間は自分が人間であることに気づいていない。
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