どうにか6年間、10日のうち7日はブログ記事の更新をしてはきましたが、それによって自信がついたといった自覚はほぼありません・・。一方で世の中を見てみますと、現今において自信なるものは、その稼ぐ金銭の多寡によって決まるといった風潮があるように見受けられます。
これは経済活動の首府でもある東京において、著しくその傾向が強いように思われます。また、それに対抗し得る学術・芸術といった文化活動においても、多くの場合、最終的には経済活動に収斂され、丸め込まれ、本来それらが持っていた価値が、少なからず減じられているように思われるのです・・。
他方でそれは「経済活動が盛んであり、多くの富が蓄積され、さらに流通すれば、自然と、そこでの学術や芸術といった文化活動も盛んになる」といったメカニズムを別の視点から眺めたものであるとも云えます。
つまり、肥料としての冨が豊富であれば、その地の文化活動も盛んになるということですが、しかし、経済活動による富と文化活動の関係性において、文化活動とは一方的に肥料を与えられる受動的なものなのでしょうか・・。
これは文化活動の分野にもよると思われますが、医療の基礎たる医学研究を文化活動の一つとして捉えますと、分かり易いと思われます。つまり、そうした文化活動があることから、我々の社会は漸進的ではあれ進化しているのだとも云えるのではないでしょうか。
しかし、さきに述べたように、分野によっては社会に対しての貢献が見え難く、特に人文社会科学分野などは、非常に分かり難いと云え、あるいは疾病保険か生命保険の掛け金のように(半ば無為とは思いつつも)肥料を与え続けなければならないものであるようにも思われます・・。
してみますと、そこで「合理化・効率化」といった概念やコトバが広く一般的に用いられるようになりますと、そこから、さきの人文社会科学分野などは(無駄なものとして)真っ先に槍玉に上げられ易くなると云えます・・。
そして、ここに至って大事であると思われるのは、やはり「さまざまな歴史」であると思われるのです。「経済状況があまり芳しくなくなり、合理化や効率化といったコトバ・考えが重視されるようになると、不図、頭に浮かぶさまざまな事物は、本当に全て無駄なものとして排除しても良いものなのだろうか?」といった疑念を持った場合、参照されるのは古今東西の類似した状況であると思われます。
しかしながら、それはただ、そうした事柄が記されている各種資料が存在していれば良いというわけではなく。それを類似していると考え、指摘出来る方々、また、以前からそうしたことを考え続けている方々が、意見を発信し、さらに関連諸分野の方々との議論・検証等を経て、ある程度分かり易いカタチとして世の中に広く発信することが大事であると思われるのですが、こうした作業を大きく歪ませるものが、以前からの伝統的価値の力が大規模な敗戦によって著しく減衰し、その代わりに更に重視されるようになった経済活動による諸価値の判断であるように思われるのです・・。
坂本龍馬に続き、渋沢栄一を一種の英雄として扱いたがる世間の価値観とは、詳細は別として、半世紀を通じ、大きくは変化していないものと思われます。あるいは団塊の世代の青年期と老年期での理想像の変遷といったものを示しているのかもしれません・・。
そういえば、登場人物達が揃いも揃って美男美女であり、衣装もセットもやたらとキレイな歴史ドラマが普通に制作出来て、それが当り前にヒットするような国や地域とは、たとえ他方の経済活動による合理性や効率性が重視され、それが活きた活動指針とはなっていても、やはり何かがおかしく、数世紀にわたる持続的な発展などは困難であるように思われるのですが、さて、いかがでしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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