週のはじめではありますが、本日も帰宅が遅く、日をまたいだ今現在より記事を作成することになりました・・。
さて、先日記した紀州、和歌山名物の「なれずし」についてですが、かつて食品の冷凍、冷蔵技術が飛躍的に発展する以前の時代においては、こうした発酵食品が一般的なものであり、また東部日本に比べ温暖湿潤な気候風土である西日本においては、より一層その傾向が強かったのではないかと思われます。
現在、納豆といえば関東(特に水戸)などが著名ではありますが、おそらく、かつてのそうした時代(冷凍、冷蔵技術の進化以前)においては、納豆もさきの「なれずし」同様、西日本においても一般的な食品であったと考えるの自然です。
奈良、平安時代における朝廷での宴会の献立、あるいは各地方から朝貢される食品の記録などを見ますと、そこには様々な発酵食品が見受けられることから、納豆も名称こそ現在と異なるかもしれませんが、それらの中に入っていたものと考えられます・・。
(未だに納豆の語源が納得できません・・(笑)。
では、何故現在の紀州、和歌山を含む関西、近畿地方とは、納豆文化が東日本に比べ人気がなく、また一般的ではないのだろうか?(まあ、あくまでも一般論ですが・・)と考えてみますと、そこにはあまり明確な原因、理由が見受けられず、ただ単に「住民達の食文化、食品に対する嗜好が変化したのではなかろうか?」ぐらいとしかいえません・・。
また、それと関連して中尾佐助が述べた東アジア南部を中心に広がる「照葉樹林文化論」の生活文化の中には、納豆を含む発酵食品の製造、嗜好が挙げられております。
御存じではあるかと思いますが、納豆とは日本特有の食品ではありません・・。
ともあれ、我が国の場合、全体的な植生において西日本(大体フォッサ・マグナ以西)の方が常緑性照葉樹が優勢であり、まあ、こうした植生となる気候風土の地域において、そうした生活文化が自然に発生し、それが営まれた易かったのではないかと考えられます・・。
また、それと関連して、大陸における銅鐸と類似した要素を持つとされる精銅の祭器とは、現在の中国南部、東南アジア北部といった、さきの照葉樹林文化圏において、時代は多少異なるものの見受けられ、その埋納の仕方などに類似点があることが指摘されております。
こうしたことも我が国の歴史、文化を考えてみる上でなかなか面白いのではないかと思います。
本日は何故か、こうした話が思い浮かびました・・。
また、それと多少関連するかもしれませんが、先日も少し書きましたが、ある書籍で地名に関しての大変面白い記述を見つけましたので、近日中にその部分を抜粋引用しようと思います。
ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
さる九州、熊本での大地震にて被災された地域の速やかな復旧そして復興を祈念しております。」
0 件のコメント:
コメントを投稿