pp.44-48より抜粋
ISBN-10 : 4121019210
ISBN-13 : 978-4121019219
モチの次にスシの原型と考えられるナレズシが、やはり照葉樹林対とその周辺に次々と分布していることに注目してみよう。
ナレズシは、日本では琵琶湖のフナズシによくその原型が残っているが、魚を開いて腹をきれいに掃除して塩をふり、その魚の切り身と炊いたり蒸したりした飯とを交互に重ねて、甕や桶の中に漬け込んだものである。半年ひど置いておくと飯が乳酸発酵してどろどろになるが、乳酸発酵で雑菌の繁殖が抑えられて、魚や肉の保存食となる。このようなナレズシをアッサムのシロンの露天市で、カーシー族の女性が売っているのをみかけたことがある。一包み買って開くと異臭が強く鼻をついて困ったほどだった。
知られているかぎり、このカーシー族のものを西の端としてナレズシは点々とそれから東方に分布している。タイの中北部やラオスなどでは、川魚に塩をして、それと飯を交互に漬け込むナレズシが広く分布し、中国でも華南や江南地方の照葉樹林帯に住む少数民族のもとでは、今もナレズシをつくる慣行が広く残っている。私も貴州省東南部のミャオ族やヤオ族、トン族のところでナレズシが、今も盛んにつくられていることを確認している。(次頁のコラム参照)。このほか、カンボジアや北ボルネオ、あるいはフィリピンのルソン島など、照葉樹林帯以外の東南アジアの地域にもその分布が広がっているが、ナレズシの中心はあくまで照葉樹林帯とその周辺地域である。
石毛直道氏はその著「魚醤とナレズシの研究」(1990年)の中で、塩をした魚に加熱した穀物(コメあるいはアワ)を混ぜて乳酸発酵させたナレズシは、魚醤(魚に塩を加えて発酵させた食品)に米飯が加わったものと考え、その起源は魚醤の利用のもっとも盛んなラオスと東北タイ一帯の水田耕作地帯と考えている。しかし、中国の湖南省(湘西のミャオ族)や台湾山地、中部日本(静岡県大井川上流域や岐阜県根尾川上上流域など)や朝鮮半島など、照葉樹林帯の周辺部には米飯ではなくアワ飯を使う古いタイプのナレズシが点々と分布している。そうしたことから、私はむしろナレズシは長江中・上流域の照葉樹林帯のアワを主作物とする焼畑地帯で起源して照葉樹林にまず拡がり、東南アジアへはドンソン文化の稲作などとともに南下したのではないかと考えている。いずれにしても、その起源について確定的なことはまだわからない。
コラム ミャオ族のナレズシ
中国・貴州省東南部のミャオ族の間では、今でもナレズシづくりが盛んである。そこでは、まず魚の腹を裂き、内臓を捨て、塩を魚の腹にすり込む。その魚の切り身を囲炉裏の上の火棚で半月ほどいぶしながら乾かす。その後、蒸したモチゴメに塩やトウガラシを混ぜ、それを魚の腹につめこみ、その魚の切り身を専用の密閉式の甕(48頁の写真参照)の中につめこんで密閉し、3~6カ月ほど発酵させる。魚は河川でとれる川魚を用いることもあるが、今は水田で養魚したコイやフナを用いることが多いという。
凌純声氏らが戦前(1930年)に調査した湖南省西部のミャオ族では、軽く鍋の中で加熱処理した魚に塩を加え、数日間天日で乾かし、(炊くか蒸すかした)アワとよく混ぜて密閉した甕の中に1カ月ほど漬け込んだナレズシが盛んにつくられていた。また魚肉のほか、牛肉やブタ肉も塩をしたあと、コメの粉と混ぜて甕の中に密閉して発酵させて食べたという。
また同じ貴州省のトン族やヤオ族では直径40~50センチほどの木桶の底に蒸したモチゴメを敷き詰め、その上に塩をした生の魚の切り身をびっしりと並べ、さらにその上に蒸し米と魚の切り身を交互に積み重ね、最後に蓋をしてその上に大きな重しを置く、というやり方でナレズシを今もつくっているという。このように加熱や燻製などの前処理をほとんど行わず、甕でなく木桶に漬け込むトン族やヤオ族のやり方や湖南省のミャオ族のコメでなくアワを用いる調理法などは、ナレズシづくりの古い形式をよく伝えるものとみることができる。
0 件のコメント:
コメントを投稿