本日は夕刻に雷が鳴り雨もそこそこ激しく降りました。
この時丁度外出中であったため、急ぎ雨宿りをしました。
しかし、その雨の降り方は既に冬のものではなく、春の雨であることを感じさせました。
また、明日は気温もいくらか上昇するとのことで多少安堵している次第です・・(笑)。
さて、そこで不図思い出したのは以下の文章です・・(笑)。
「温度もまた生命に影響すること甚大である。温度の上昇は物理化学的現象の発現のみならず、生命現象をも一層活発にする。
温度の低下は物理化学的現象のエネルギーを減少して生命現象を鈍らせる。
天然の外界においてはこの温度の変化はいわゆる季節となって現れるが、これは結局地上における動植物生活の変化によって特徴づけられているにすぎない。
これらの変化が生じるのは、植物や或る動物の内界即ち有機的環境が外界と平衡しているためである。
もしも植物を温室の中に入れておくならば、冬の影響はもはや感じなくなる。
冬眠する冷血動物にしても全く同じことである。
然るに温血動物になると、いわば細胞を温室の中に保っているようなものである。
それ故このものは冬眠の影響を感じない。
しかしながらこれも結局外界と温度の平衡を保とうとする一種独特の内界の抵抗にすぎないのであるから、ある場合にはこの抵抗が破れて、温血動物でも熱くなったり冷たくなったりすることがあり得る。」
岩波書店刊 クロード・ベルナール著 三浦岱栄訳 「実験医学序説」P.196より抜粋引用
そして、上に示した抜粋引用部をあらためて読んでみますと3月29日投稿分の記事「みた夢のハナシ、師匠との会話などから・・」にて夢をみて起床直後の『震え』の記憶が想起されます(苦笑)。
そしてまた、こうした感覚とは、これまで何度か味わった記憶がありますが、それらの中で最も『怖い』と感じていたのは2012年秋頃のある記憶です・・。
この記憶に関しては今現在、比較的明瞭に憶えており、また憶えているからこそ、現在でも『怖い』と感じることが出来るのですが、しかし同時に、この記憶のことを文章化することは未だ躊躇を覚えます・・。
そして何故、躊躇するのかと考えてみますと、それは、この記憶とは『怖い』ものであると同時に、自身にとって大変大きな意味を持つと考えることから、そう簡単には文章化したくない、出来ないのではないかと思われます・・。
それに加え、実際にその記憶を文章として著した場合『何だ、そんなことか!』と他者から無惨に嗤われるのも、またイヤであるといった、いささかケチくさい了見もあるのではないかと思われます・・(苦笑)。
しかしながら、その一方で、これまでブログ記事の継続的な作成が出来た一つの主要な原動力がまさに、この時の経験、記憶であると自身は考えるのです・・。
また、おそらく、こうしたことは、あまり他者に書いても、説明しても精確には伝わらずに終わってしまうのではないかと思われるのです・・。
それ故、一面における現在の自身の言語・コトバの能力の限界といったものが、この辺りにあるのではないかと思われる次第です・・(苦笑)。
そして、そうしたことを書いておりますと、何故だか思い起こすのが下に示す文章です・・。
「・・そう、それは無理だよ。自分の存在の忘れ難い一時点で覚えた生の感覚というものを、他人に伝えるのは不可能なんだよ。
その感覚こそが人生の真実、その意味ーその微妙で深く浸透する本質なのだが。無理だな。ちょうど夢を見るのと同じように、僕らは生きているんだーただひとりぼっちでね・・」
三交社刊 ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」pp..74ー75
“No, it is impossible; it is impossible to convey the life-sensation of any given epoch of one’s existence--that which makes its truth, its meaning--its subtle and penetrating essence. It is impossible. We live, as we dream--alone.”
「Heart of Darkness」 Collins Classic Joseph・Conrad P.32
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に発生した熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。」
A「あと20記事未満の投稿により、総投稿記事数が600に至ります。
この600記事とは果たしてどの程度のものであるかイマイチよく分かりませんが、それでもキリの良いところまでは書き続けないとどうも気持ちが悪いものです。
しかし、その場合、果たして600という数字がキリが良いのかどうか分かりかねるところではありますが、まあ少なくとも直近のキリの良い数字としては、自身にとって多少の意味があるのではないかと思われます・・(笑)。
さて、本日分の記事は先ほど既に投稿しましたが、本日は休日ということもあり、もう1記事書くことが出来るのではないかと思い、新たに記事作成を開始した次第です・・。
こうした試みはこれまでにあまり為されていなかったことから、多少不安ではあるのですが、実際に書き始めてみますと、そこまで逡巡することなくキーボード上の手は動いてくれるようです・・(笑)。
とはいえ、その書くべき主題といったものは今現在決まっておりません・・(苦笑)。
しかし、そうした状態から書き起こし、大抵の場合はどうにか記事作成を行うことが出来ておりますので、とりあえず書き進めるにしたがい、何かしら主題は思い付くのではないかと思われます・・。
そういえば、先月の最も読まれた記事は3月10日分の記事「保守は右翼、革新は左翼・・?」であり、これも他記事の閲覧者数に比べダントツといって良い状態でした。
何故、この記事が多くの方々に閲覧して頂いたのかは書いた自身もよく分からないところではあるのですが、少なくとも現在の表層的にウヨク・サヨクに分け、難癖を付けるような風潮においては多少は意味があったのかもしれません・・(苦笑)。
また、その意味において現在の文学、映画といった文化一般において、こうしたことを能動的に考えてしまうような重み、深みがあれば良いのではないかとも思われます・・。
(現在においては時代遅れの意見であるのかもしれませんが、さまざまな文化的事物における価値の根源にあるものとは、時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」ではないかと考えます・・)
しかし一方、表層的な人気を得ようとする作品とは、概ね、そうしたことを意識的に避ける傾向があります。
たしかに、そちらの方が「君子危うきに近寄らず」で安全ではあるのかもしれませんが、そうした文化事物にて世の中が埋め尽くされてしまいますと、それはそれで逆に息苦しい社会となってしまうのではないでしょうか・・(苦笑)。
いや、それら文化の系譜、成り立ちを知らなければ、そうした状態を息苦しいとすら感じることもなく、それが当たり前と感じ、その中において文化事物に対する別の尺度による評価が為されるようになるのかもしれません・・。
また、これまでのさまざまな文化の発展もまた、見方によれば、そのような感じで為されたものも少なからずあるのではないかとも考えられます・・。
つまり、こうしたこともいわば「勝てば官軍」であり、実はその為される評価とは曖昧模糊とした基準であるのかもしれません・・。
それでも先に述べた、時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」とは存在するのではないかと自身は考える次第です。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
A「昨日は休日ということもあり、久しぶりに公募サイトを閲覧してみました。
年度の変わり目ということもあり、公募の件数も大分減ってはいるようでしたが、それでも興味をおぼえる職種幾つかがありました・・。
しかしその一方「応募したらどうなるのか?」と考えてみますと、多少不安にもなってくるのです・・。
確固たる『専門』と云える分野がある方の場合、おそらく、その応募に値する職種とは、ある程度限定されるのでしょうが、自身の関しては、これまでの履歴、職歴から、職務内容および応募資格を見て、応募出来そうな職種をある程度限定し、その中から、さらに精選していくことになるのですが、実際そのようなことを行いますと、そこで精選された職種、職務内容もまた割合多岐に渡ることから、再度その中から「どれが良いのだろうか?」と考えることになるのです・・。
そして、このようなことを行っていく間に本当に自身に合った職種とは見つけることは出来るのでしょうか?
いや、それよりも、とりあえず応募出来そうな職種全てに対し、応募してみるという手段は確かにありますが、さすがにそれはいい加減であり、また時間と費用もまた掛かり過ぎるのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、どのような職種であれ応募しないことには何も始まりませんので、興味を持ち、応募資格を満たしているものであれば、やはり応募した方が良いのかもしれませんが・・。
そうしますと「興味を持ち」が重要になってくるのではないかと思われますが、しかし、自身の興味と公募職種において必要とされる経験、技能などが上手くマッチングするかどうかが応募に際し毎度よく分からないところであるのです・・。
いや、あるいは、公募職種内容を熟読することにより、そうしたことは、ある程度理解できるようになるのでしょうか?
また、こうしたことは考え始めますと、上記のように延々と循環論法のように考え、そして悩むようになってしまうことが少なからずあります・・。
また、自身の経験から、こうした状態、そしてそれが継続することは危険(精神衛生上良くない)であると思われますので、それに対応する策として、出来るだけアンテナは高くしておき現在の日常生活を送りつつ、そこで感知される募集情報に対し、反応していくことが良いのではないかと思われます。
しかし、果たしてそれで良いのであろうか・・?
『そうしている間にも自身の知らない公募が流れていってしまうのではないだろうか?』と考えてしまうのですが、案外これが危険なことであるのかもしれません・・(苦笑)。
今回は愚痴のようなことを書いてしまいました。
とはいえ、これも一応自身の考えではありますので、一つの記事とします・・。
そして、後日、この記事を自身はどのように読むことになるのでしょうか・・?
読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
本日もまた特に確たる主題が決まらないままブログ記事作成を開始しました・・。
そこで、今週作成した記事について書いてみようと思います。
今週作成した記事の中で最も閲覧された記事は「スーパーに並んでいて不図思ったことから・・」であり、それはダントツといって良いと云えます。
そのため、この記事をあらためて読んでみたところ、その内容は、あくまでも自身が思ったところを述べたまでであり、特に新奇なことが書かれているわけでもありません・・。
とはいえ、そこに少し付け加えるならば一般的に我々は、各々の住んでいる場所、地域周辺に対して『のみ』何と言いますか『血の通った興味、関心』を持つことができると云えます・・。
しかし、それは特に悪いことでもなく、ただ我々の日常的な生活とは、概ね、そのような基盤の上に成り立っているものであると云えます。
もっとも、こうしたことにも地域性、国民性といったものはあり、それにより『血の通った興味、関心』を持ち得る範囲もまた幾分変化するのではないかと思われます。
そしてまた、世界で生じている、さまざまな出来事の報道などを見聞きしますと、その地域、国の人々が持ち得る『血の通った興味、関心を持ち得る範囲』といったものの一面が理解することが出来るのではないかとも思われます・・。
また、そうした考えとはベルクソンが述べた『閉じた、開いた社会』とも多少関係があるのではないかとも思われます・・。
とはいえ、このベルクソンの考えによる『開いた社会』は、あくまでも理想であり、現実にそのような社会とは、これまでに存在しないと云えます。
しかし、ここで重要なことは、そうした理想を広く社会にて『持つか、持たないか』であると考えます。
さらに、こうしたことは特に我が国をも含む世界の近現代史を考える上で示唆するものが大きいのではないでしょうか?
現在、世界各国にて排外的、求心、凝集的な動きが活性化していますが、こうした動きは20世紀以降の歴史を見ても周期的に生じていることであり、そして、そうした動きに乗る、便乗することは、一見安全策と見えて実は大変危険なことではないかとも思われるのです・・。
また、そうした動きに乗らずに(創造的に)乗り切りためには、先ほどのベルクソンが述べたような理想を『考え』として持つことが大事ではないかと思われるのです。
我が国が経験したさきの大戦においては大東亜共栄圏という理想がありましたが、それは実践の段階において、まさしく現実とのさまざまなギャップに苦しみ、またそこから野狐禅的に各々組織の自己利益が正当化され、後に敗戦によって、それは全て悪いものとされました・・。
とはいえ、その野狐禅的性質とは、現実において自身も含め、我が国の経済活動の実質的な指導原理となっているのではないかと思われることがあります・・(苦笑)。
(案外この歴史も古いのかもしれない・・。)
ともかく、こうしたことを考えてみますと、問題は『理想』の社会での浸透以前の、社会における内発的、能動的に考える姿勢の欠如、未発達であるように思われます・・。
これはおそらく教育が大きく関与していると思われるのですが、この点について、当然ではありますが、我が国とは、他の欧米を中心とした先進国と比べ、その基盤、背景となる歴史、文化が大きく異なると云えます。
しかし一方、具体的にそれは歴史、社会学者の多くが述べるような『圧制による負の遺産』ばかりでもないようにも思われるのです・・。
何れにせよ、こうしたことはもう少し考え続けなければならないのでしょう・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。
本日の首都圏は一日を通じて降雨そして気温もあまり上がりませんでした。
また、天気予報によりますと、明日も気温はあまり上がらずに真冬日になるとのことです・・。
とはいえ、ブログ記事の方も580記事に至り、目標とする600記事まで残り20記事を切りましたが、先日の記事に書いた通り、あまりそうしたことを考えずに今後もとりあえず600記事までは書き続けようと思います・・。
また、先ほどブログ頁を開いてみたところ、昨日投稿の記事も投稿翌日にしては多くの方々に閲覧して頂いたようでした。
読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そういえば、本日の帰宅の途中、先日投稿した記事に書いた『大変面白く読ませて頂きました。』との評価を頂いた書籍の指摘箇所を書店にて読んでみますと、その箇所に前後する文脈が、あるいは現在の我が国にて生じているさまざまな出来事に対する評価ともとらえることが出来、あるいはそちらの方がその方のご意見であったのではないかとも思われた次第です・・(笑)。
多少飛躍、考え過ぎの感はあるものの・・。
また、その書籍の著者とは、これまでに当ブログ記事にて数多く、その文章を抜粋引用している加藤周一であり、この著者のことを何かのきっかけで話しますと
『いやあ、でも、あの人はサヨクでしょ・・?』あるいは『一番タチが悪い、いわゆる進歩的知識人てヤツだ。』
といった評価を聞くことがありますが、たしかに一面においてはそういった主張は自身も分からなくはないです・・。
しかし他方で『ではさきに示したような評価をされる方々とは、その著作にて述べられていることがらについて、どの程度能動的に考えたことがあるのでしょうか?』と云ってみたくなることも少なからずあるのです・・(自身もそこまで考えたとはいえませんが・・)。
これも見方によれば非生産的として社会的に日の目を見ることが少ない元文系院生の戯言、恨み言とも聞こえるのかもしれません・・(苦笑)。
さらに、そのようなところから、さきに述べたような飛躍、考え過ぎの感に結節したのではないかとも考えられます・・(笑)。
そして、そのようなことを書くと今度は『では、その前後する文脈とやらを述べよ』といった反応が生じる可能性がありますので、記憶を頼りに書いてみます。
それは著作内の戦前期のことを述べた箇所であり、そこで著者加藤周一の大叔父にあたる帝国海軍軍人が『急進的、狂信的な国家主義者・自称愛国者が台頭するようになると国がダメな方向に行く』という意味のことを述べていたことが記されています・・。
このことは現在の我が国での社会にて生じているさまざまな出来事を考える上においても示唆するものが多い、あるいは(少なくとも近代以降の我が国においては)普遍的な現象であるのかもしれないとも考えさせられます・・。
とはいえ、こうした現象の基層に流れている、ある種の性質とは、我が国が古来より保持しているかなり根強いものではないかとも考えさせられるのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
A「本日作成する記事により総投稿記事が580記事となります。
そうしますと、残り20記事にて600記事到達ということになりますが、これに関して未だ感慨らしきものはありません・・。
そして、このままのペースにて記事を作成し、600記事に到達した場合においても果たして何かしら感慨らしきものは生じるのでしょうか・・(笑)。
さて、本日もまたつい先ほどブログの頁を開いてみますと、昨日程ではなかったものの、ありがたいことに自身としては少なからず閲覧されている方がいらっしゃるようでした・・。
また、昨日お目に掛かった師匠とのハナシですっかりお話しすることを忘れていたことを思い出しました・・。
それは大したことではありませんが、ここ最近、北杜夫著『楡家の人びと』の英訳版を古書にて購入したことです・・。
この著作は古書になりますと、そこまで高値ではないようであり、また実際に手元に届いた一冊とは、値段の割に古書としては大変状態が良いものであると云い得ます。
とはいえ、この著作は原本の場合、文庫三冊分であることから、それを洋書にて一冊の装丁としますと、かなりの頁数、ボリューム(厚さ5㎝以上はある!)となっておりました・・(笑)。
そのことから、おそらくこの一冊は、気軽に持ち歩くことは出来ないであろうと思われます・・(笑)。
また同時に、現在読んでいる洋書の小説があるため、おそらくこれを読みはじめるのは、しばらく後になるのではないかと思われます・・(苦笑)。
それはさて置き、昨日師匠との会話にて、またどちらかというと重厚な古典とも云える著作を、あるクラシック楽曲とのからみにて聞くことになりました・・。
また、悔しいことに(?)その著作を後で調べてみますと、これがまた大変面白そうなのです・・(苦笑)。
そして、こうした何と云いますか、人を見て、その都度面白そうな著作をからめてハナシをされる技能、才能に関しては(少なくとも今現在)この師匠は自身よりも数段上であると感じざるを得ません・・(苦笑)。
ちなみに自身はこれまで、この師匠との会話にて出て来た著作をその後、少なからず読んでいるのではないかと思われます・・(中には師匠御自身が読了してない著作をも含めて)。
また、多少おかしなハナシになるかもしれませんが、自身はそうした読書経験と、それと直接には関与しないさまざまな経験との複合によって、これまでどうにかブログ記事を作成出来ているのではないかとも思われることもあります・・(苦笑)。
しかしながら、それでも自身の考えを決定付けるような影響を持つ重大な著作とは、やはり各個人が独自に、そして偶然に書棚から見つけ出すようなものではないかと思われます。
自身の場合、その著作が何であるかは書きませんが、お分かりになっている方も少なからずいらっしゃるのではないかと思われます・・(笑)。
あるいはまた、そうした『大きな影響を受けた著作』とは、人それぞれ成長段階ごとに何冊かあるのではないかとも思われます・・。
また、こうした言説とは、おそらく文系の方々にはあまり違和感なく受け入れられるのではないかと思われますが、理系の方々に関してはどうもよく分からない感じを受けることがあります。
無論これは『そうでなければならない』ということではなく、ただ単に、ある種の『気質』の違いによるものではないかと思われますが・・。
さて、そこからハナシは変わりまして、本日講座先輩からドイツのお土産にてオーデコロンの小瓶を頂きました。
『どうもありがとうございます!』(橋のハナシも大変興味深かったです(『モノのカタチ』に対するセンスとは、概して理系の方が優れているのではないかと思われます)。
さて、そこで、このオーデコロンから想起されたことは、昨日の師匠がかつてこのオーデコロンを使用されていたことです・・。
また、当時の自身とは現在に比べ、そうしたことに少なからず興味がありましたので研究室にて『そのハンカチに振りかけているのは何ですか?』と聞いたところ、留学からの帰国後まだ間もない師匠は18世紀後半~19世紀初頭のフランス都市部にける排水、下水、衛生事情からはじまりフランス革命、ナポレオンの台頭、ロシア遠征そして何故、オーデコロンとはフランス語にてケルンの水という意味でありながら、我が国にて、その名称が香水一般を指すかについて一通りの説明をされた記憶があります・・。
こうしたところは昨日の会話においても大きく変わるところがなく、また、こうした性格もしくは才能(こそ)が一つの典型的な人文社会学系の研究者ではないかと思われた次第です・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」
A「本日はつい先ほど帰宅しました。
この比較的遅い帰宅により、本日のブログ記事作成は割合本気で止めておこうと考えつつ、ブログの頁を閲覧してみますと、これまでになく多くの閲覧者数を示しておりました・・。
そのため、多少作成される文章は粗く、短くなろうとも、とりあえず何かしら書き、更新する方向に考えを変えた次第です・・(苦笑)。
さて、その閲覧されていた記事は多岐にわたるものの、最も多い閲覧者数を示していたのが、直近に作成、投稿した記事でした・・。
また、それに関連するのでしょうか、昨晩いや、正確には本日の明け方ではないかと思われますが、かなり久しぶりに記憶に残る程に鮮烈な夢をみました。
その夢の内容とは、自身がどこか山荘のようなところに入り、その部屋を見分し、奥にある部屋に入ってみますと、部屋左手の暗がりの方から比較的大きな西洋人をモデルとする古めかしく着飾った人形(フランス人形?)が歩いてくるという夢です・・。
もちろん夢の中の自身はそれを怖がり、ドアを閉じて、逃げるのですが、しばらく時間をおき、再度その部屋のドアを開けてみますと、また同じようにその人形が左手暗がりから現れるのです・・。
この夢の印象とは最近では珍しい程に鮮烈であり、起床後すぐに、寒さとは別に少し震えていることに気が付いたほどです・・。
そうしたことから、後になりインターネットにてその夢の意味を調べてみますと、さまざまな解釈があり一概には云えないようですが、どうやら、そこまで悪い意味ではないようでした・・。
また、その日の夜半には、かなり久しぶりに師匠にお目に掛かり、しばらくハナシをしましたが、この時の会話により、さきの夢の印象とは大分ボヤけたようにも思われます・・。
久しぶりにこの師匠と会話をしますと、自身でも驚くことに、アタマの中のどこにしまってあったのか不思議に思うほど、さまざまなかつて知った知識、記憶が甦り、そして展開するのです・・。
これらのことから人間の記憶とは、さきの夢について述べたように後の経験、記憶によってボンヤリとすることもある一方、久しぶりに会った師匠との会話にて、何時知ったのかも忘れてしまっていることまで甦り、展開することもあるという随分不思議なものであるようです・・(笑)。
加えて、そこでの会話においても、先日のブログ記事に書いた大学への求職活動を再開する旨を師匠にお伝えすると、特に『良い』とも『悪い』とも評することはありませんでした・・。
また、それとは別件ではありますが、本日伺った歯科医院院長のお母様へ、以前の会話にて関連があるのではないかと思い、後日お持ちした書籍を『大変面白く読ませて頂きました。』との感想を聞くことができました。
こうした世代の異なる、しかもどちらかというと感情を率直にあらわす傾向のご婦人から、自身の選んだ書籍を喜んで頂けたことは、あまり経験がないことからか、なかなか嬉しく感じられた次第です・・(笑)。
また、書くまでもないことであるかもしれませんが、このご婦人がその書籍を楽しく読んで頂けたことは、その細やかな女性らしい感性による興味を持たれた記述内容に対する説明からも理解することが出来ました・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」