2024年12月10日火曜日

20241222 11/14の和歌山での対話

A:「先日の勉強会以来ですので、あまりお久しぶりではありませんが、今日は是非先生のご意見を伺いたく思い、訪問させて頂きました。ご多忙のなか、お時間取って頂きどうもありがとうございます。」

B:「ええ、構いませんよ。ただ、メールでもお伝えしましたように午後二時から外せない会議がありますので、それまでになりますが、大丈夫ですか?」

A:「はい、大丈夫です。では、早速本題に入らせて頂きますが、つい先日、***大学****学部の開設10周年の記念講演会がありまして、これに出席させて頂いたのですが、その登壇者の先生方が揃って「現在の世界は大きな変化の時代であり混乱している。」との見解を述べられていました。このこと自体は、私はかねてより思ってきたことでしたので、特に驚くことはなかったのですが、しかし同時に、それがある程度共有されている見解であることを実感しました。そこから「では、現在の混乱して大きく変化している世界情勢のなかで、我が国は、どのように処することにより、来るべき時代のなかで発展し続けることが出来るのだろうか?」と思ったのです…。というのも、昨今の我が国は「失われた30年」といったコトバがよく聞かれ、そして実際、低迷し続けていることは、おそらく先生も納得されると思うのですが、こうした状況から、より良い方向への変化をもたらすヒントを人文系研究者であるB先生からお聞きすることが出来ればと思い、今回訪問させて頂いた次第です。」

B:「…なるほど、それは責任重大ですね…。それで、具体的にAさんはどのようなことをお聞きになりたいのですか?」

A:「はい、では、さきの「失われた30年」といった状況から、より良い方向へ漸進的に、そしてまた根本から変えていくための手段は、やはり教育以外にないと思うのです…。とはいえ、いきなり教育制度を大きく変えても、それはそれで社会にとって大きなストレスとなり、後々悪しき影響が出てくるのではないかと思われます…。そういえば、先生、今年のノーベル経済学賞を受賞されたのは、マサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル教授とサイモン・ジョンソン教授、そしてシカゴ大学のジェームズ・ロビンソン教授の3人で、その受賞理由は「社会制度がどのようにして形成され、そして、それが国家の盛衰にどのような影響を与えるかについての画期的な研究」であったことはご存じであると思いますが、そこで私も彼等の著作「国家はなぜ衰退するのか」に興味を持ち、立ち読みしたところ、これが大変面白く、購入して現在読み進めていえうところです。...あ、すみません、前振りが長くなってしまいましたが、それで、この「国家はなぜ衰退するのか」では、国の政治体制や社会構造が、その国の興亡や盛衰に、どのようなメカニズムで影響を及ぼすのかについて、さまざまな具体例を挙げて述べているわけですが、これまでに読んだところでの、かなり大雑把な要旨は、中央集権体制は、その後の社会発展のためには重要ではあるのですが、それがさらに進み、収奪的あるいは専制的な傾向が強くなると、そうした社会では「出る杭は打たれる」方式で技術革新やイノベーションが生じなくなって衰退に向かっていくということなのです。そして、この指摘には、我が国の「失われた30年」にも通底する要素があるのではないかと思われるのですが、この点について、いかがお考えになりますでしょうか?」

B:「…なるほど、発言の最後の方に出てきた「技術革新やイノベーション」は、先日の勉強会で度々出てきたシュンペーターの「創造的破壊」やベルクソンの「創造的進化」とも関連性がありますからね…。そして、Aさんがその時に我が国でイノベーションや技術革新が自然に生じるようになるためには科学(Science)・技術(Technology)・工学(Engineering)・数学(Mathematics)などの論理的思考力を重視した所謂「STEM教育」が重要であると述べられましたが、それは私も「なるほど」と思い、その後、関連する文献や資料などをあたってみたところ、直近の国際的な認識では「STEM」を構成する4つの分野だけでは不十分であり、これに芸術分野(Art)の頭文字である「A」を追加した「STEAM」教育の重要性が指摘されています。この芸術分野(Art)の本来の語義は、絵画や彫刻や音楽などの、いわゆる一般的に云われるところの「芸術」だけではなく、古くからの人文系も含まれています。そして、この「STEM」にArtの「A」を追加することによって、はじめて、その人の知識体系全体が統合されて、創造性が駆動を始め、さらに、そうした方々が増えることによって、やがて、社会を変えるようなイノベーションや技術革新が生じるといった考えであると云えます。」

A:「STEM」に人文系を含むArtの「A」を追加することにより、個人や社会での創造性が駆動し始めるということですか…。なるほど、それは初耳ながら大変興味深い見解ですね。もう少し続きを伺ってよろしいでしょうか?」

B:「ええ、これが重要なところなのですが、人文系を含むアートを取り入れることによって、創造性や感性を育み、理論や理屈だけでは解決できない複雑な問題に対して適切に対応出来る感覚を養うことがその大きな目的と云えます。そして、こうした現象はルネサンス期のヨーロッパともよく似ていると思うのですが如何ですか?」

A:「ルネサンス…文芸復興ですか…?確かに、当時は中世以来のキリスト教的な道徳に縛られない、新たな文化芸術が勃興した時代でしたよね…。」

B:「ええ、そうです。ルネサンスは、単なる新しい文化芸術の発展ではありませんでした。それはAさんもご存知のウンベルト・エーコの「薔薇の名前」からも分かるように、当時は古代ギリシャ・ローマあるいは、それ以前からのさまざまな知識を再発見して、それらを融合させることで創造性を高めていった時代であったのです。そしてまた、現代のSTEAM教育も、社会における創造性の復興を目指しているのだと云えます。」

A:「なるほど…しかし、正直に直言いますと、現在の我が国では、文化や芸術の復興というよりもアニメやマンガあるいはアイドルやゲームといった、所謂サブカルチャーばかりが目立っているようにも見受けられるのですが…。」

B:「ええ、その点については深刻な問題があると私は考えています...。さきほどのアニメやマンガ、あるいはY本のお笑い芸人や*ャニーズのアイドルの方々が、我が国のさまざまな場面で席巻している状態は、たしかに一見すると多様な文化の象徴のようにも見えますが、実際のところそれは、社会全体の創造性を搾取している側面があるのではないかと考えています。」

A:「…それはどういう意味ですか?アニメやマンガやお笑いやアイドルなどのサブカルチャーが社会の創造性を搾取しているということですか...?」

B:「ええ、端的にマンガやアニメをはじめサブカルチャー全般は、より多くの人々から受容されるために直感的且つ単純で理解し易いコンテンツとなってしまう傾向が強く、現実に即した難解なテーマや長期的あるいは多角的な視点を持つ思考を省略しがちであると考えます。また、お笑いに関しても同様に、即物的と云うのか、瞬発力のある笑いを重視する傾向が強く、それが社会問題への真剣な議論や熟考された洞察を後回しにしてしまうといった傾向があるのだと考えます。」

A:「...ええ、たしかにそうですね。サブカルチャー全般は、あまり考えなくても享受できるような「楽しさ」を(過度に)重視しているようにも見受けられますね…。そして、それを継続することによって、人々から能動的な探究心や熟考する力を奪っているということですか?」

B:「ええ、そうです。そうした刺激を受動的に享受し続けていますと、徐々に、その人が本来持っている能動性や、そこから派生する思考や創造性といったものを減衰させてしまうのではないかと考えています…。もちろん、それはさきのサブカルチャー全般だけでなく、今やネット上に溢れている二次元・三次元を問わないポルノ・コンテンツも同様であり、そして、それらのコンテンツが社会に浸透すればするほど、それに伴い、その社会全体の創造性が蝕まれていくのだと考えています。また、そうしたいわば安易な楽しみを重視する刺激の危険性に対して警鐘を鳴らしても、多くの方々は、そうした刺激をもたらす文化事物を「文化の多様性」や「表現の自由」などを盾として、そうした警告めいた主張を「古めかしい家父長制時代の残滓」として断じ、逆に論難してくるのは、前世紀のマンガ文化が勃興しつつあった時代の様相と概ね同様ではないでしょうか…?」

A:「…たしかにそうですね。また、そうした様子は、敗戦などの大規模な挫折があった国や地域においては、比較的多く見られるのではないかと思われますが、その意味において、おそらく、現在の我が国を席捲あるいは代表しているとも云える、さきの一連の文化事物の多くも、その淵源は敗戦直後のドサクサ期に力をつけてきたものが多いようですからね…。そして、それが社会に主要な娯楽文化として定着したのは、我が国の戦後復興が目覚ましい時代でしたから…「まあ、国も順調に栄えつつあるのだから、そうした文化などに、いちいち目くじらを立てなくとも良いのではないか?」といった余裕もあったのでしょうが、しかし、その後、その娯楽文化が、さらに広汎に社会に認知されて人気を博するようになりますと、我が国の経済的な力が衰えてきて、やがて、前世紀末頃からは、今なお続く「失われた30年」が始まりましたので、見方によれば、そうした娯楽文化の多くは、新たな文化様式の創造に寄与することが出来なかった、あるいは寄与する性質を持っていなかったのではないかとも思われますね…。」

B:「ええ、今Aさんが仰った歴史的経緯の読みに私も同意します。かつてのヨーロッパでのルネサンスが古代以来の知識の再発見を通じて創造性を駆動させて社会を変化させたのに対して、現代の我が国では、(過度に)娯楽文化化したサブカルチャーをイタズラに称賛、そして消費することで、未来に生じるかもしれない創造性が浪費されてしまったのではないかと考えます。そしてまた「このままだと我が国はマズいことになるのではなか?」といった危惧も抱かせます。」

A:「そして、その対策として、さきほどのSTEAM教育があるといった認識で良いのでしょうか?」

B:「ええ、そうです。STEAM教育は、若い世代に能動的に探究心と創造性を育み、あるいは取り戻させるための取り組みと云えます。そして、それによってサブカルチャーなどに頼らない、ニセモノではない文化的教養によって、もう一度、我が国の社会に活力や創造性を取り戻すことができるのではないかと考えています。」

A:「確かに、それが実現することができれば、もっと広い視野で深く物事を考えられる人材が育ちそうですね…。ただ、こうした制度を変えるには時間がかかりますよね。もっと短期的にできる取り組みとして、どのようなものが考えられますか?」

B:「…短期的には教育現場での『横断型プロジェクト』のようなものを導入することが効果的であると考えます。例えば、学生が複数の分野の知識を組み合わせて社会課題を解決するような課題に取り組む場を設けることです。これによって、自然に分野間のつながりや創造性の重要性に気付くことができます。また、企業や自治体との連携によるインターンシップやフィールドワークも良いでしょう。実社会において分野の垣根を越えて活動することの意義を体感できるはずです。」

A:「なるほど、現場レベルから変化を促す取り組みですね。それは現実的で効果がありそうです。ところで、先生ご自身は、これまでのご経験や研究を通じて、特に重要だと感じる創造性の要素は何だと思われますか?」

B:「そうですね…。創造性の本質は、多様性と好奇心にあると考えています。異なる背景や考え方を持つ人々と接することで新しい視点が得られ、それが創造の種となります。また、自分が興味を持ったことに対して深く掘り下げる好奇心は、その種を育てる肥料のようなものです。ですから、多様性を尊重し、好奇心を持続させる環境をいかに整えるかが、創造性を育む鍵になるでしょう。」

A:「多様性と好奇心ですか…。なるほど、それは、何も教育だけではなく職場や社会全体でももっと意識されるべき点であると思いますね…。本日は多くの示唆を頂き、感謝いたします。そして、このお話をぜひ他の多くの方々とも共有したいと思います。」

B:「そう言っていただけると嬉しいです。お役に立てたのでしたら何よりです。そしてまた何かありましたら随時ご連絡頂ければと思います。」

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2024年12月9日月曜日

20241209 クリミア戦争について

クリミア戦争は、19世紀中盤の欧州において、ナポレオン戦争以来の大きな転換点となった出来事と云える。この戦争は、単にロシアとオスマン帝国の間の対立だけではなく、列強諸国の複雑な利害と戦略が絡み合った国際的な衝突であった。

戦争の大きな背景には、衰退するオスマン帝国と、それを利用して南下を狙うロシアの野心がある。また、バルカン半島での民族主義運動は、ロシアにとって、同胞スラヴ民族を保護・支援する名目でオスマン帝国領土に介入する好機と考えた。そして、こうした一連のロシアの動向の先には地中海への進出という大きな戦略的野望があった。しかし、それは西欧列強であるフランスや英国からの強い警戒を招くものであり、特に第二帝政時代のフランスのナポレオン3世は、国内での支持を集めるためロシアとの対立を選び、英国はインドへの航路の安全確保のため地中海の安定を最優先とした。こうした背景からフランス・英国共にロシアの更なる南下を阻止するためオスマン帝国側で参戦した。

1853年7月にロシアがオスマン帝国領内に軍を派遣し、バルカン半島への進攻を開始したことで戦争は始まった。当時の西欧列強は、1815年のナポレオン戦争以来のウィーン体制を維持しようと試みたが、この戦争の勃発により、この体制は崩壊した。ロシアの行動は欧州全体の平和を脅かすものとされ、列強間との対立が一気に表面化した。そこで、外交交渉が試みられましたが、ロシアはこれを拒否して戦争へと突き進んだ。

戦場の中心はクリミア半島であった。特にセヴァストポリ攻防戦は、近代的な兵器や塹壕戦が初めて大規模に使用されたことで、新たな戦争の様相を示した。そして、この戦争では70万人以上が命を落とし、また、戦場の不衛生な環境による感染症での戦病死者数も多く、そうした様子は、写真を掲載した新聞によって速やかに本国に知らされ、近代的な戦争の残酷さが浮き彫りになった。フローレンス・ナイチンゲールは、この戦争を通じて看護活動の重要性を世界に示し、後の近代的な医療制度の基礎を築いた。

1856年、パリ条約によって戦争は終結した。この条約によりロシアは黒海での軍事力を制限され、領土の割譲を強いられた。結果とし欧州諸国の勢力均衡は再編されて、ロシアの影響力は一時的に後退した。一方で、英国とフランスが中心となる、新たなパワーバランスが形成された。

クリミア戦争は近代化された戦争を象徴する出来事であり、同時に国際社会のパワー・バランスを変えた。この戦争からの教訓は、工業化を経た近代の戦争がいかに破壊的であり、また、医療体制がいかに重要かを示している。さらに、国際関係では、列強諸国が新たな勢力均衡を模索するきっかけにもなった。そして、この戦争による影響は、現在なおも続いている第二次宇露戦争の経緯や帰趨を考えるする上においても重要であると云える。

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20241208 「文明開化の光と影:日本社会の発展と文化的アイデンティティ」開戦の日に寄せて

 明治維新による西洋近代化の影響は、現代の我が国の社会に深く根付いていると云えるが、我々の多くは、この影響の元である明治以降の西洋近代化について、あまり多くは理解していないのが現状と云える。そこから、現代の我が国社会にも影響を与えている西洋近代化、即ち「文明開化」について考え、その本質を理解することは、今後の社会を考えるうえで重要であると考える。

 「文明開化」を考えるに際しては、ある程度、明瞭な定義を付与するのが適切と云える。しかしながら、定義があまりにも厳密であると、現実での変化に定義の方が対応し難くなり、たとえば、円を「中心から円周上の任意の点までの距離が等しい図形」と定義しても、現実世界の円とは常に完璧な形状ではない。そこから、定義に対する柔軟性の重要さは、我々の活力の発現の仕方にも通じるものがあり、時には活力が節約され、あるいはまた別の時には、好んで消費されるといった様相をがあると云える。

 このことをもう少し述べると、活力には、効率を求めエネルギーを節約する性質と、楽しみや快楽を追求して積極的に消耗するといった性質がある。そして、これらの性質が相互に作用し合い、競争が激化したり、生活が複雑化してきたが、概して、我々の社会は進化発展を遂げてきたと云い得る。

 我が国の文明開化とは、19世紀当時の西欧列強からの圧力による外発的な社会変化の典型例であると云える。そして、急激な外圧による影響を受ける過程で、我が国の社会は、それまで自然に行ってきた自らの国・地域の文化伝統を十分に時間を掛けて吸収するだけの余裕を失い、さらに続く西洋からの影響を受容するために、以前からの文化伝統をも放棄せざるを得ない場面が多くなり、そのたびに不安や虚無感を覚え、やがて、ものごとを深くから理解しようとする内発性が徐々に削がれていった。

 そして、我が国で文明開化が進行するほど、我々の生活は競争が激化して、困難を伴うものとなり、他方で幸福度はあまり向上せずに矛盾した様相を示すようになった。そこから、この「文明開化」は一見すると、その後の我々の社会に便利さや繁栄をもたらしたとは云えるが、その反面で、急速な変化への適応によって内的葛藤を強いている。競争が激化し、生活が複雑化する一方で、生存に対する不安や努力の本質といったものは、時代を超えて変わらない点は注目すべきことである。

 こうした状況下で、我が国の文明開化では「外発的な刺激による急速な変化」を特徴とする一方で、内発的な変化に伴う自然な感覚や、その持続性を欠いていたことから、我々は常に文化的な変化のさなかに自らのアイデンティティ(自己同一性)を模索し続けなければならなかった。こうした外発的な変化が与える心理的負担は、現代においてもなお継続しており、それが我が国国民多くの抱える精神的な困難の根源であると考える。

 文明開化により形成され、現在までも続く我が国の社会は、西洋技術による効率化などの恩恵を享受しながらも、文化的アイデンティティ(自己同一性)の喪失などに不安や戸惑いを覚えている。これらを踏まえると、さきの文開化を再評価して、社会が持続可能な発展を実現するためには、一方的に外部からの影響を受容するだけではなく、内発的な文化の成熟を育む努力が必要であるのではないかと考える。

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2024年12月2日月曜日

20241201 読書に関連する記憶と時代精神の変化

 昨日の投稿記事は少し異なりましたが、ここ直近数回は、現在も読み進めているダロン・アセモグルおよびジェームズ・ロビンソンによる「国家はなぜ衰退するのか」を基軸としたブログ記事を作成して、その興味深い点についても述べましたが、後になり、またいくつか思い出すことがあったため、本日はそれについて書きます。

 先日投稿のブログ記事にて、さきの「国家はなぜ衰退するのか」と関連性が認められるものとして、近年特に名高いユヴァル・ノア・ハラリによる一連の著作、そしてジャレド・ダイアモンドによる「銃・病原菌・鉄」をはじめとする一連の著作そして、それらに加えて、宮崎市定や会田雄次、司馬遼太郎などの一部の著作、そしてフレーザーによる「金枝篇」などを挙げましたが、さらに追加して、先日の和歌山訪問による影響であるのか、人文系院生当時、受けていた上野皓司先生による講義のテキストとして朝日新聞出版刊 クライブ・ポンティングによる「緑の世界史」上下巻が指定されて、購入して読んでみたところ、大変興味深く感じられたことが思い出されました。

 そして当時、よく議論をしていた周囲の方々に「緑の世界史」について話したところ「そういった内容であればジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」に近いのではないか?」とのご意見を頂き、さらに「近代経済学や会計学以外の専攻分野の経済学の修士院生であれば「銃・病原菌・鉄」ぐらいの著作は普通は学部時代に読んでいますよ。」とも云われ、当時私はその著作を読んでいなかったことから、負けん気と羞恥心から「いや、しかし私はサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」やポール・ケネディの「大国の興亡」は社会人時代に読みましたが、それらの著作は読んでいますか?」と訊ね返しました…。

 すると、彼らはそれらの書名は知っていたものの、読んではいなかったことから、その裏を取るように議論を続けていると、納得されたのか、険悪な雰囲気にはならずに「じゃあ続きはまた…」といったカタチで終わり、そしてその後も、たびたびこうした議論が為されたことは、当ブログにて何度か述べました。

 しかし、そうしたことを現在進行中の読書から新たな記憶が想起されたことは、これまでに何度か経験しましたが、それでも、なかなか興味深いものがあり「記憶」の面白さについて考えさせられます。そして、そうしたことを考えてみますと、さらに、関連することとして想起されたのは、さきに挙げたジェームズ・ロビンソンとジャレド・ダイアモンドが編著、そしてダロン・アセモグルが分担執筆した慶應義塾大学出版会刊「歴史は実験できるのか」を購入した時のことです。

 当著作は2019年の徳島在住時に購入した記憶がありますが、当時の私は、そのうちの二人の著者が5年後にノーベル経済学賞を受賞することは知らず、ただ、立ち読みをして興味深いと思われたことから購入したわけですが、しかし同時に、現在思い返してみますと、当時既に、さきに挙げたジャレド・ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリによる著作が書店で平積みされており、そこから出版物を介して、ある種の時代精神のようなものが看取され得たのではないかとも思われます。そして、その後、当著作の執筆者たちがノーベル経済学賞を受賞されたことは、私にとっては興味深いことであると云えます。

 くわえて、直近以外でのノーベル経済学賞受賞の研究は、その多くが数学的なアプローチによるものであり、私にとっては理解が困難な研究テーマばかりでしたが、その意味において2024年のノーベル経済学賞の受賞には、同年の物理学・化学賞の受賞テーマが人工知能についての研究であったことにも通底するレジーム・チェンジあるいは時代精神の変化があったのではないかと思われました。そして、そうした変化があったのであれば、おそらく、その大きな要因は、近年の世界規模でのコロナ禍、第二次宇露戦争、そして昨年からの中東での紛争やさらに不安定化しつつある東アジア情勢といったものがあるのではないかと思われました。
 
 あるいは経済学賞だけについて考えてみますと、端的に、これまでの西洋文明に属する欧米諸国を中心とした国際秩序、異言しますと、16世紀以降からの西力東漸の延長にある国際秩序が以前よりも通用しなくなってきた世界の状況を反映しているのではないかとも思われました。

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2024年12月1日日曜日

20241130 情報過多の時代で歴史を学ぶ意味について

 現代の社会では、膨大な情報がインターネット上に溢れていますが、個人が、それら全ての情報を閲覧して理解することは、実質的に不可能と云えます。そこで、個人に求められるのは、単に多くの情報を集めることではなく、それらの意味や背景を理解して、重要なものを選択できることにくわえ、それら部分・断片的な情報から対象の全体像を把握することは困難であることから、選択された複数の情報を関連付けて総合化する能力と云えます。そして、そうした能力を得る方法として「歴史を学ぶこと」がきわめて有効であると考えます。

歴史とは、単なる過去の出来事の記録ではなく、ある程度長い期間を通じた社会における、さまざまな事物の変化の様相を理解するための重要な手掛かりであると云えます。歴史を学ぶことで、こうした、さまざまな変化の流れを理解して、そのうえではじめて自らが生きる社会での、さまざまな課題や問題を、より広い視野から認識して考えることが出来るようになるのではないかと考えます。

次に、歴史を学び知ることにより、さまざまな国・地域・時代に対する理解を深め、その視野も広がります。そしてその結果、現在の自らの即自的な価値観のみが絶対ではないことに気がつくようになり、自らのものとは異なる他の文化をも尊重して、柔軟な対応が自然に出来るようになり、そして、こうした行為態度とは、おそらく国際間での対話や活動においても、少なからず良い効果を齎すものと考えます。

また、歴史を学ぶことは、批判的思考力を鍛える訓練にもなります。一つの出来事に対しても解釈が異なる場合があります。そのため、歴史の学習では多角的な視点で資料を検証し、あまり情緒を介さず、客観的な判断をくだす必要があります。この過程によって情報を鵜呑みにせず、分析的に考える力が養われると考えます。そこから、歴史を学ぶ意味や価値とは、さまざまな情報の背景を理解し、それを自らが生きる現在に応用する力を磨くことが出来るようになる点にあると考えます。

現在のような情報過多の時代にあっては、ただ情報を得るだけでなく、それをいかに活用するかが問われます。歴史についての知識は、情報を整理し、ある局面において必要な知恵を引き出すうえで、きわめて効果的であり、そこから過去の出来事(歴史)から敷衍して考える能力とは不可欠であると云い得ます。歴史を学ぶことで、我々はただの情報の受け手ではなく、情報をより本質から理解し、さらには、それを基に発信して、未来をも創造する能力を手に入れることも出来るのではないかと考えます。そして、この能力こそが、これまでの我が国では等閑視され続けてきましたが、国内外共に混乱が続く現在の社会をより深くから理解・認識して、適切な対応をするために不可欠なものであると考えます。最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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2024年11月28日木曜日

20241127 読書とブログ記事作成の効果について

 昨日投稿のブログ記事にて「関東南部は既にして初冬終盤の気配がある」と述べましたが、翌11月27日(水)は、どうしたわけか日中は比較的温暖で過ごし易かったです。また、さきほどまでの読書も進み、先日より読み進めているダロン・アセモグルおよびジェームズ・ロビンソンによる早川書房刊「国家はなぜ衰退するのか」の上巻を読了しました。こうした文庫本は持ち運びには上着などのポケットにも入ることから大変便利ではあるのですが、その反面、文字サイズが小さく、最近では、文字にピントが合い安定して読み進めるに至るまでに、数分程度掛かることもありますが、自分が面白いと感じ、能動的に読んでいる著作については、こうしたピントを合わせる時間が大きく短縮されることがあることを知りました。そして、その著作がさきの「国家はなぜ衰退するのか」上巻でした。続いて、下巻も読み進めていますが、こちらも感覚としては、さきに読了した上巻と同程度の興味を持ちつつ読み進めることが出来ると感じられました。さらに、その後、さきの活字にピントを合わせる時間の検証も兼ねて、書店にて興味深いと思われた著作を手に取り、立ち読みをしてみますと、これもまたすぐにピントが合ったことから、SNSで知り得た情報から入手した著作と、こうした偶然に任せて書店を徘徊して面白い著作を探すことの間には、思いのほかに大きな溝があるのではないかと思われた次第です。しかし、SNSにて知り得た著作も少なからず、自分にとっては興味深いものであり、それ故、大抵は読了まで至っているのですが、しかし、そうしたいわば受動的とも云える書籍選択の仕方一辺倒になってしまいますと、徐々に読書全般に対する能動性も減衰するおそれもあることから、書籍を選ぶ際には、自分にとってある種「課題」的なものと、純粋に自分の読みたいものといった、二つの基準を用いるのが良いのではないかと思われました。そしてまた、ここまで作成した内容もまた、さきに挙げた「国家はなぜ衰退するのか」の主題と関連があるように思われたことから、その時に読んでいる書籍の内容といったものは、同時期に作成する自分の文章にも、浸透して影響を及ぼすこともあるのだと実感しました。とはいえ(どうにか)9年以上当ブログを継続していますが、その背景や基層にある自分の習慣について考えてみますと、それは以前にも何度か当ブログにて述べたことがあると思われますが、やはり読書の習慣であると云えます。しかし、これまでに述べたその見解は、引用記事を別にすれば、あくまでも状況証拠的なものであり、記事作成の時点と同時期に読み進めている書籍の内容が、作成しているブログ記事に影響を与えるといったことは、これまでに意識したことがないことから、何やら新鮮に感じられた次第です。そして、そのように考えてみますと、こうした自分にとって新しい感覚が生じた背景には、これまで比較的長期間にわたり作成してきた当ブログでの引用記事による効果があるのではないかと思われました。引用記事を作成していた期間の最後の方では、さきと似て「自分の文章作成に対する能動性が減衰してしまったのではないか」といったおそれから、引用記事の作成を止めて、現在のような独白形式の文章での作成を始めましたが、しかし、この形式での記事作成を継続していますと、今度は「あの著作のあの部分で引用記事を作成したいな…」などと、また思いつくようになり、現在になりますと、読んで頂いている諸兄姉におかれましては、どうであるか分かりかねますが、自分としては「あれはあれでよいもので、今後も興味深いと感じる記述に出会ったり、あるいは何らかの機会に想起したのであれば、それで引用記事を作成するのは、よいことであるのではないか。」と考えるようになり、そこから、また今後、特に興味深いと思われた記述については、引用記事を作成することにしました。そして最後に、さきに述べた自分にとっての課題図書と自由図書のような感覚について、現在読み進めている自由図書の方は中公新書であり、それなりに読み応えはあるはずなのですが、こちらについては、自分にとって比較的馴染みのある分野(近現代史)でもあることからか、読み進める速度がさきの「国家はなぜ衰退するのか」と比較して、かなり異なることが大変印象的でした。また、そうした感覚を憶えますと、何と云いますか、自らの目や体力などの衰えについての感覚が、そこまで全体的に及んでいるものではないことが実感されて、何と云いますか、諦めや諦念の対極にある「やる気」が湧いてくるのだと思われます…。そこから、複数の分野で、ある程度専門的な書籍を読めるようにしておくことは、そこまで悪いことではないと思われた次第です。
最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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2024年11月27日水曜日

20241126 先日の投稿記事に続いて、読書について

 ここ数週間で急に冬めいて寒くなり、現在は既にして初冬の終盤といった趣すら、ここ関東南部ではあるように感じられます。また、当ブログについても、去る20日以来、新規での記事作成を行ってきませんでしたが、ここ最近の寒さとは関係はないと思われます。しかしながら、たしかに、いつもよりも記事作成に対する熱意は乏しくなってきたとは云えます。とはいえ、これはおそらく一過性のものであり、またしばらく経つと、記事作成をはじめるのだとは思いますが、そうではあっても、このあたりで自らを奮い立たせて作成しておいた方が良いとも、これまでの経験は語ることから、本日、こうして新たな記事作成を試みている次第です…。そして、こうした前口上のようなもので、このあたりまで作成することが出来れば、あとは、主題へと展開する流れになるのですが、この「主題」は、これまでに少なからず作成したブログ記事の骨子となるものであり、それは概ね日中での思いつきや小さな発見などですが、本日については、先日の投稿記事に続き、また現在読み進めているダロン・アセモグルおよびジェームズ・ロビンソンによる早川書房刊「国家はなぜ衰退するのか」についてを主題にしたいと考えています。さて、先日投稿の作成記事にて、さきの著作「国家はなぜ衰退するのか」を「歴史の推移の様相を複数示して、それらから抽出される見解を述べるスタイル」と述べ、そして、それに続き、類似した書きぶりがあると思われる研究者・著述家を数名挙げましたが、後になり、そこに重要な著作を入れ忘れたことが思い出されました。それは、これまでにも当ブログにて何度か取り挙げたことのあるJ・G・フレーザーによる「金枝篇」です。この著作は、以前、修士論文の作成の際にいくつかの版で読みましたが、当著作の書きぶりが、歴史の様相とまではいかないものの、古今東西のさまざまな風習の様子や、それらの起源などについての概説を述べると云った書きぶりであり、そして、そこから、ある種の見解を抽出しようとする、以前に述べた、モザイクのピースのように並べたさまざまな風習から、ある大きな意味を見出そうとする、そのスタイルは、前出の「国家はなぜ衰退するのか」および、その系譜にある諸著作とも通底するものがあると考えるのです。さらに言い換えますと、こうした複数の具体例を並べ、それらから共通する見解を見出そうとする手法を「帰納法」というのですが、この帰納法では、一般的に参照されたデータの数、情報量が多い方が精確さが高くなると云えますが、他方で効率よく情報の収集をする場合には、あまり適した方法とは云えません。つまり、帰納法による見解の抽出とは、その見解がある程度の水準にあると云えるようになるまでには、対象とする分野や課題にもよるのでしょうが、比較的長い時間を要するのではないかと思われます。そしてまた、我々が一般的に用いている「学び」や「学ぶ」とは、概ね、こうした情報の蓄積が身体化されたことを指すと考えますが、この段階において、技術・手技が付随するのが、医療系や多くの自然科学系系分野での「学び」であると云えますが、そうした事情から、これら分野においては、そこで使われるコトバと、それが指し示す実体との関係が比較的確固としたものであると云えますが、これがおそらく人文系であると、そうした確固とした、コトバとモノの関係を身体感覚として実感することが困難であることから、それが重なって、現在の混乱しつつある我が国のようになっているのではないかと思われるのです…。また、このことは過日の和歌山訪問の際においても話題になったことでもあることから、また少し書きぶりを変えて、このことについても少し述べたいと考えています。また、これは蛇足的な私見になりますが、さきの、さまざまなものごとの推移の様相を帰納法的な視座から認識されたものこそが柳田国男が述べた「予言力」に近いものであり、また同時に、橋川文三が述べる「歴史意識」にも同様に近いものであるのではないかと考えます。そして、こうしたものを徹底的に排除してきたさきに、インターネットによって情報化された社会に姿を現しつつあるのが「ポピュリズム」であるということは、やはり悲劇的なことであるのではないかと私には思われます…。
最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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