2016年8月29日月曜日

20160829加筆修正 「20150707 八幡宮、喜捨、放生会について」

無事に400回目の投稿も終えましたので本日はブログ記事の投稿を止めておこうかと思いましたが、そうしますと、どうも落ち着かないため、やはり記事作成をはじめました・・(苦笑)。

さて、本日も特にこれといった主題はないのですが、先日ブログ記事にて記したように現在また野上彌生子著「迷路」上巻を読んでおりますが、その中で興味深く思われた記述がありましたので下に抜粋引用します。

P.584
「なんでも、いいたい放題いってのけるところの多津枝には、自分では意識しない故郷の血にひそむ、外観の精錬された「近代」とは、まるで反対な熊襲の蕃女めいた野生が、肉感的にまで迸しる。」

おそらく多くの方々は、この記述を読み、そこから他の書籍、文献に記されている熊襲、隼人といった、かつて南九州に蟠踞した屈強な種族、そしてその様々な伝説、伝承を想起するのではないかと思います。

あるいはまた、こうした近現代における人物像から随筆家の白洲正子を想起される方もまた、いらっしゃるのではないかと思います・・。

たしか白洲正子の場合、御自身でそうした内容をどこかに記していたと記憶しております。

しかしながら、現代我が国における一般通念から考えてみますと熊襲、隼人からその野生さが示されるのは、主に男性からであり、同地、同種族の女性からは、あまりそういった印象(蕃女)を受けることは少ないと思われます・・。

むしろ、どちらかというと、一般的に九州の女性とは、上に記された印象とは反対の、芯の強い、(どちらかというと)おとなしい女性といった印象が漠然とあるのではないかと思いますが、如何でしょうか・・?

そして、こうしたことを含め、いくつかの土地に住んでみて思うことは、それぞれの土地、地域の文化風土といったものは、実際にその土地、地域にしばらく(少なくとも数年程度)住んでみないと(ある程度明瞭に)理解することは難しいのではないかということです・・(いくら文献、書籍を読んだとしても・・)。

さて、そうしたことを念頭に置き「20150707 八幡宮、喜捨、放生会について」の加筆訂正を試みます。

鹿児島市の郡元周辺に鴨池という地名があります。
文字通り、ここにはかつて鴨がすむ大きな池があったということですが現在ここにそうした池はありません。
私の知る限りにおいて、鴨池には、かつて動物園(現在はさらに南に移転した)があり、また、現在のその場所には大規模商業施設、市民球場、医療保健施設などが立地しております。

そして、この鴨池から県道20号線(市電通り)沿いに騎射場(きしゃば)を経て天文館方面にしばらく北上しますと鹿児島有数の古社の一つである荒田八幡宮に至ります。

かつて、この荒田八幡宮では、武の神である八幡神を祀る神社に相応しく流鏑馬神事が為されていましたが、おそらくその名残が、さきに出て来た(荒田八幡の)ごく近隣にある騎射場という地名となっているのではないかと思われます。

しかし他の八幡宮を含めた神社にて、流鏑馬神事が為される場所のことを騎射場と表現する例は聞いたことがありませんので、これは当地域独特の文字文化(文字による事物表現の仕方の傾向?)によるものであるのかもしれません・・。

その一方、この騎射場(きしゃば)と同じ音を持つコトバを以前聞いたことがありました。

それは琉球、沖縄における地名、苗字の喜舎場(きしゃば)
です。

さらに、この喜舎場の「喜舎」について考えてみますと、それは仏教用語の「喜捨」に起源を持つのではないかと考えられます。
この「喜捨」とは「布施」とも似ているのですが、その意味合いとは「功徳を積むために喜んで自身の財物を施す」という現代でいうところの「寄付」にあたります。

そして、この功徳という意味合いにおいて「喜捨(舎)」には宇佐八幡宮をはじめとする全国の諸八幡宮にて流鏑馬神事と同様に為される魚、鳥などを野に放つ「放生会」神事に相通じる要素があるのではないかと考えられます。

また、この八幡宮における「放生会」神事の起源とは、南九州にて朝廷に対し反乱を起こし、戦にて倒れた隼人の鎮魂の意味で当初為されたといわれております・・。

そして、そのように考えてみますと、この一連の鴨池(放生会神事により魚、鳥を野に放つ為の池)、喜舎(捨)場(功徳を施す場)、荒田八幡がごく近隣に存在すること、そしてさらに現代においても、この鴨池にかつて動物園が存在したことは、大変興味深く、この地域の文化の基層から現代に至るまで貫かれている何かしらの信仰的な観念の存在、あるいはそれらの持つ大変興味深い多義性(我が国における原初的な詩心といっても良いかもしれません・・)を示しているのではないかと考えさせられるのです。

また、そうしたことを念頭に置き、さきに抜粋引用した野上彌生子著「迷路」の一節を読んでみますと、多少またその感慨が異なってくるのではないでしょうか?

P.584
「なんでも、いいたい放題いってのけるところの多津枝には、自分では意識しない故郷の血にひそむ、外観の精錬された「近代」とは、まるで反対な熊襲の蕃女めいた野生が、肉感的にまで迸しる。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震にて被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。










2016年8月28日日曜日

20160828 既視感・既読感・・記憶?

A「おかげさまで昨日土曜日も閲覧者数が1000人に到達しました。
どうもありがとうございます。

また、昨日は既投稿記事の加筆修正を行い、その日(2016827)の記事としました。

こうした既投稿記事の加筆修正を行いますと、自身の当時の文体の特徴、クセといったものが再認識されます・・。

そして、現在になり思うことは「たしかに当時の文体であれば、連日の記事投稿はキビしかったであろう。」ということです・・(苦笑)。

しかし、このことは昨年7月の当時から現在(2016年8月)といった相違はあるものの、あくまでも(何れも)主観であるため、さきに記した文体に対する評価(連日の投稿はキビしいであろう。)とは、立証、証明することができません・・。

とはいえ、今現在では、自身の主観を以ってしか、こうしたことを述べることはできませんので、先に進めますと、昨年7月に用いていた文体とは、おそらく簡潔明瞭といったことを念頭に置き記していたものと認められ、またそのように記憶しておりますが、これが多少過ぎて、説明不足の感があり、それに加え、よく分からない、あまり関係のないところで、ハナシが飛んでいる(和歌山から鹿児島)こともまた認められます・・。

こうしたことも、ある程度はセンスの問題であり、たとえハナシが飛んだとしても、その間に何かしらの(センスの良い)関連性が認められれば、それで良いのでしょうが、当時の場合はおそらく、ただただ記したかったのでしょうが、しかし、現読んでみますと、必ずしもそれらの間に「センスの良い関連性が存在する」とは言い切ることができません・・(苦笑)。

さて、そこでハナシは飛んで(笑)昨日の日中は神保町に出向き、書店を徘徊、立ち読みをして、面白そうな著作を見つけました・・。

そして、この著作を立ち読みしておりますと、よく分からない既視感、既読感のようなものを感じ、もしかしたら、この著作は以前読んだかことがあるのではないかと思いましたが、どうも思い当たるフシ、明確な記憶はありません・・。

その一方で、私は比較的立ち読み歴はある程度あると思いますので、以前立ち読みし購入に至らず、その後忘却された著作とは数多くあると思われますので、もしかすると、さきの著作とは、そうしたものの一つであったのかもしれません・・(笑)。

また、それがたしかであるとすれば、無意識化された私の記憶力とは、そこまでひどいものでもないのかもしれません・・(笑)。

しかし、何れにしましても、この既視感いや既読感とは、なかなか面白いものでした・・(笑)。

今後機会がありましたら、この著作からの抜粋引用を試みたいと考えております。

また、それはさておき、これを読まれている方々にもまた同じような経験(既視感、既読感)はあるのではないでしょうか・・?

さて、それに加えまた面白く思うことは、昨日のブログ記事を閲覧して頂いている方(方々)からの反応です。

今現在、それがどなたによるものであるのか分かりませんが、その反応により、おそらく記事を作成した者よりも深く記事を読んで頂いていることが推察されます・・(苦笑)。

また、そのように読んで頂いている方(方々?)がいらっしゃる中でブログ記事を記し投稿し続けるのは、多少面倒ではありますが、それ以上にやりがいをも感じさせてくれます・・。

今後も新規の記事、既投稿記事の加筆修正、書籍からの抜粋引用の何れであれ、出来るだけ作成投稿したいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

今回もここまで興味を持って読んでいただき、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

2016年8月27日土曜日

20160827加筆修正 「20150704古墳造営様式の類似性と様々な文化の移住を示唆するものについて」

和歌山県内の古墳とは、県北西部のほぼ和歌山市全域を含む紀ノ川下流域に集中(県内古墳全体の約7割)していることが、まず第一の特徴として挙げられます。

そして第二の特徴として、これも第一の特徴と関連するのですが、それら古墳のうちの多くが関西、近畿地方においては古墳時代後期以降(概ね6世紀~)を特徴づけるものとされる横穴式石室という造営様式が用いられているということが挙げられます。

以上のことから、和歌山県内における古墳全体の特徴とは、端的に表現しますと、県北西部の紀の川下流域に横穴式石室をその造営様式とする古墳が集中していることであるといえます。

さらに、これら古墳のうちの多くが紀の川南岸の平野から丘陵地に至る地域において集中的に見出されます。
こうした古墳がある特定の地域に集中的に造営されている様式を群集墳といいます。

この群集墳とは、国内各地に数多く見出されますが、紀の川南岸におけるそれは、その数(残存する、確認され得る)においても全国有数であり、また、それを構成する古墳の造営様式においても特色、地域性といったものが見られます。

その造営様式における特色、地域性とは、第一に石室(玄室、羨道)造営に用いられている石材が紀の川南岸(中央構造線の南側?)にて採掘される板状に加工するのに適した緑泥片岩であり、それを積層し、その石室(玄室、羨道)を造営していることです。

第二に、さきのことと関連しますが、この板状に加工された石材(緑泥片岩)を石室内に懸架させた棚状の構造物(石棚)を持つ古墳が少なからず存在することが挙げられます。

そして第三に、群集墳を構成する各々墳墓とは概して中小規模であり、墳丘径50m超の(ある程度)大規模といえる古墳は、数百ある群集墳を構成する墳墓のうちのほんの一握りであることが挙げられます。

また、さきに記した紀の川南岸(中央構造線の南側?)にて多く採掘される板状への加工に適した緑泥片岩とは、先行する弥生時代の墳墓における石槨(墓穴の仕切り板)、あるいは銅鐸の舌などとして加工され用いられていたことから、おそらくその時代間(弥生~古墳)に断層ともいえるような住民の大きな変化とは、なかったのではないかと考えられます。

さらに、さきに同様に記した緑泥片岩を舌として用いたとされる銅鐸とは、現在のJR和歌山駅周辺の太田黒田遺跡から出土されたものであり、面白いことにこの銅鐸と同じ鋳型にて作成された四つの銅鐸が、現在国内にて最も多く(39)の銅鐸が出土した島根県雲南市の加茂岩倉遺跡から出土(1996)しております。

さて、こうしたことは一体何を示唆しているのでしょうか・・。

また今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、
どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の速やかな諸インフラの復旧とその後の復興を祈念しております。


緑泥片岩

20160827 400記事到達・・『嬉戯』としてのブログ記事作成

本日のブログ記事投稿により、全投稿記事数が400に到達します。思えばある程度長い道程ではありましたが、しかし特にこれといった感慨らしきものはありません・・。

ただ「さて、本日分のブログ記事を書くとしようか・・。」といったところです(笑)。

また、その主題、内容は予めカチッと決まっているわけではありませんが、ただ、本日は日中、外に出ており、その際に思ったことを題材に書きはじめようと思っています。

さて、本日仕事にて出向いた御茶ノ水周辺にて工事現場近くを通ったところ、風で砂ぼこりを少し受けてしまい、唇に付着した砂が口腔内に入り、上下顎切歯のわずかな接触の際、砂のその感触を感じました・・。

そして、この時面白いことに鹿児島在住時の夏季に原付を運転している自分を不図そして比較的明瞭に思い起こしました・・(笑)。

こうしたことは自覚して思い起こすよりも先に、そうした感覚が意識上に顕現するものらしいです・・(笑)。

しかし、不思議に思うのは、何故その口腔内で得た砂の感触から思い起こされた記憶が、鹿児島在住時におけるものであると自覚的に判断することが出来たのかということです・・。

また、おそらくこのあたりに虚偽が入っていても、大抵の方々は気づくことが出来ないと思います。

そして、それを良い方にとらえれば一つの創造的な行為と評されるのでしょうが、しかし一方、私見ではありますが、そうしたことを続けていると、より深い意味での創造が出来なくなるのではないかといったある種原始的な恐怖を感じます・・。

またそれは、当ブログ記事初期~中期に多く見られた書籍からの抜粋引用を(ある程度以上)続けてゆくと、それは自身の創造性をも壊死させてしまうのではなかろうか・・?といった怖れともまた類縁関係があるのではないかと考えさせられます・・。

また、現在考えてみますと、そうした怖れにより書籍からの抜粋引用を控え、たとえ稚拙ではあっても、なるべく自身の文章にてブログ記事を記していこうと考えたことは、少なくとも「間違い」ではなかったと考えております・・(笑)。

とはいえ一方、この「稚拙」に関しては、今現在なお、かなり検討、改善の余地があるものと考えております・・(苦笑)。

そして、そのように考えてみますと「文体の獲得」とは、なかなか難しいものであり、おいそれと簡単に出来るものではないということを改めて実感させられます・・。

しかし、そうはいうものの、これまで(ある時期から)出来るだけ自身の文章にてブログ記事を作成し続けたことにより、自身の言明したいことを以前よりかは(より多く)表現することが出来るようになったのではないかとも思われますので、こうしたこと(文体の獲得)とは、漸進的な進化発展により得られる、為される性質のものであるのかもしれません・(笑)。

また、ハナシはさきほどの想起されたこと自体に戻りますと、五感、六感に対するある種の刺激により惹起せられた記憶、想念といったものの(虚偽を含まない)言明、表白を継続することにより何といいますか、人間の創造性とは練磨、洗練されるものではないでしょうか?

また現在では概ね制度化されている勉強、研究などといったものも、その古典と呼ばれるものを読むにつけ、根源的にそれら(勉強、研究)とは、原初からの我々人間に付随する『嬉戯』の一種であったのではないかと考えさせられるのです・・。

そして、これまでに私が作成してきた一連のブログ記事とは、本質的にはそうしたもの(嬉戯)であることを願っているのですが、なかなかそればかりではいかないところがまた、見方によっては面白いのかもしれません・・(笑)。

あるいはまた、そうであることを願うことにより、これまでどうにかブログ記事作成を継続出来たのではないかとも思います・・。

また、これは自明のことではありますが、それと同時に一連のブログ記事を(興味を持って)読んでくださる(私にとって多くの)方々がいらっしゃることにより為されたことをここに明記しておきます。

そして、今回もまた興味を持って記事を読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

今後も引き続き継続しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

また、ここにきて不図思い起こしたのは下に示すフリードリヒ・ニーチェの格言です。

「成熟とは、子供のときに遊戯に示したあの真剣さを再び見出したことである。」

さる四月に熊本を中心に発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。



2016年8月26日金曜日

20160825 史実の表層・・

本日は若干帰りが遅くなり、今(22:58)から本日分のブログ記事の作成を開始します。また、今回投稿する記事によりこれまでの総投稿記事数が399となり、400記事まで、まさしくあと一歩ということになります。

また、本日分の記事の主題を何にしようかと帰りの電車の中で考えておりましたが、途中ウトウトしはじめ、そして寝てしまっておりました・・(苦笑)。

しかし一方、相変わらず書籍の方は、何冊かこれまで読んだものを再び、三度読み返しておりますので、まあ、これといった面白い着想がなければ、それら書籍のなかで面白いと思った記述を抜粋引用しようとも考えておりました・・(笑)。

また、これらの書籍とは、特に一つの学問分野に絞られるわけでもなく、文学(小説)、歴史、思想史、民俗学などと多岐に渡り、そのことから「また近々面白そうな、ある程度硬質で長めの著作を集中して読んでみたいな・・。」といった欲求がまた湧いてくるのですが、残念ながら今現在未だそうした著作を見出しておりません・・(苦笑)。

ちなみに直近で読んだある程度硬質、長編の著作とはご承知の通り野上彌生子著「迷路」であり、これは前記の現在読み返している著作の一つであり、今回の読書においては、面白い、興味深いと思われる記述の頁を折ったり、赤線を引いたりといった、かつて採っていたスタイルを踏襲しております。

また、以前もブログ記事にて記した記憶がありますが、今回三度目の「迷路」を読みながら思うことは、この小説、物語とは、著者御自身の生活環境からの影響が強く、その主要な舞台も東京、九州(特に大分県の臼杵市(おそらく)周辺)、それに軽井沢であり、さらにその登場人物もまた、九州に出自を持つ者が多く、そのことから登場人物の作中での会話等様々な描写の記述も当地の時代の雰囲気、民俗(土地の習俗、文化)を強く感じさせるものが少なからずあということです。

そして、それらの記述とは、九州での在住経験がある私にとっては、大変興味深く、また、おそらく在住経験がなかった頃に比べ、それら記述されている内容を、ある程度深く理解しつつ読むことができているのではないかと思います・・。

そして、このような視点から考えますと、この「迷路」という著作はあくまでも物語、フィクションではあるのですが一方、その作中において記述されている様々な(些細ともいえる)事柄とは、史実の表層といっても良いものが多いのではなかろうかと考えさせられるのです・・。

そしてまた、あらゆる過去を舞台にした小説、物語あるいは映画などは、こうした些細な要素の具体性、信憑性(の蓄積)などによってもまた、少なからず、その評価とは変わってくるのではないかと思われます。

いやしかし、こうしたことは、何も過去を舞台としたものに限らず、空想科学(SF)の分野においてもまた同様であるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本で発生した大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念します。




2016年8月24日水曜日

20160824 久しぶりの対話形式

先日知人と電話にて話していた際のやりとりを先ず下に示します。

A「どうですか、最近は私のブログ記事を読んでいただいてますか?」

B「ええ、そこまでじっくりとは読んでおりませんが、一通り読ませて頂いていますよ。
それに時折はなかなか面白いと思わせる記事もありますしね・・。」

A「はあ、それはどうもありがとうございます。
それでBさんから見てどういった記事が面白いのですか?また、それに加えて、記事に書かれている内容の意味は通じておりますか・・?
いや、これは「私の文章の記述の仕方が分かりやすいのであろうか?」という疑問からお尋ねしているのですが・・(笑)。」

B「はあ、なるほど、そうですか・・。
先ず私から見て面白いと思う記事とはAさんらしく文系か理系かよく分からないAさん独特の世界観が述べられている記事が多いかもしれません・・(笑)。
また、記述されている内容に関しては、おそらく理解しているのではないかと思いますよ。」

A「ふうむ・・独特の世界観ですか・・そうしますと何だか私が余程の変わり者のようにも感じてきますが、こうしたことのその実際のところとは、なかなか分かりにくいものです・・(笑)。
それに私個人としては、そうした自覚とは、まったくありませんので・・。
それとBさんが私の書いた文章を理解されているというのは分かるのですが、しかしそれはBさんが実際の私のことを知っているからであると思うのですが・・。」

B「・・私がAさんのことを実際に知っているから、その書かれた文章を理解できるというのは、云われてみますと、なるほど・・たしかにあるのかもしれませんね・・(笑)。」

A「ええ、これまで私もブログ記事という形でいくらか散文らしきものを書いてきましたが、そのような上手く説明ができないような感覚、つまり(自身が)読んだ文章を著した人物のことを直接に見知っていることから、その文章を理解出来るといった自覚を持つという感覚とは、たしかにあると思います。
そして、その端的なものが手紙であり、またそれを文学的な創作の型としたものが、実際、架空の何れであれ書簡形式といったものではないでしょうか・・?」

B「ああ、なるほど、それはたしかに一理あるかもしれませんね・・。
そういえば、Aさんが学位取得後の一頃、やけに手紙、葉書を送ってくださる時期がありましたね・・(笑)。
そして、私としてはその時期にAさんが書かれた手紙、葉書と現在書かれているブログ記事とは、一本の線でつながりますね・・。」

A「・・ええ、何かしら精神の危機的状況に差し掛かる、追い詰められると、私はそのようなこと(手紙、葉書を書く)をする傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。
もちろん、そうした状況だけではありませんが、そうした傾向はあると思います・・。
しかし、そうしますと、これまで作成してきた一連のブログ記事も、おそらく同様にその範疇に入り、あるいはそうした状況の産物であるともいえます・・(苦笑)。
しかし一方、現在記している一連のブログ記事とは、そうした状況の産物であるのと同時に、一時的にであるかもしれませんが、そうした状況から私を救ってくれるものでもあるのです・・。
まあ、これもまた多少不思議な感じがしないでもありませんが・・(笑)。
さらにまた、そうした状況がある程度継続することにより触発された「何かを書く」という行為が第二の天性のように自身に浸透そして定着するのではないかと思われます・・。
いや、これは未だ希望的観測の域を出ないハナシではありますが・・(笑)。」

B「・・ええ、たしかにそうしたことは、少なからずあると思います・・。
おそらく私もそれと似たような時期を過ごしてきましたから・・。
それでも、何でもそうであるように適切な分量というものがある思いますのでAさんのブログ記事作成もそうしたことを多少は念頭に置いて作成するのもまた良いのではないでしょうか・・(笑)?」

A「たしかにそれは仰る通りであると思うところなのですが、しかし、何といいますか、その伸るか反るかの見極めが何においても大変難しいのではないかと思います・・。
ですから、とりあえず次のキリのいい目標である400記事に到達しましたら、また考えてみようと思います・・。
それでも、ここまでブログ記事を書いてきて思うことは、私は基本的に文章を書くことが好きなのではないかということです・・(笑)。」

B「はあ、なるほど、そうですか・・では、とりあえず、あまり無理をしない程度のペースを維持して400記事まで到達されるといいですね。」

A「ええ、ではあまり無理をしない程度に頑張ります(笑)。
また、ここまでブログ記事作成(文章を書くことが好きでいられた)を継続することが出来たのは、書かれた記事を読んでくださる皆様が(私にとっては少なからず)いるからである思います・・。」

B「まあ、それはたしかにそうでしょうが、それでも、あまり気負わずに書かれた方が面白い記事が書けると思いますので、とりあえずは目標とされている400記事まで駆け抜けてください・・。」

A「はあ、どうもありがとうございます。
それと、今回のこの一連の会話も個人特定の要素を除いて、久しぶりに対話形式の記事とさせていただきます(笑)。」

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧と、その復興を祈念しております。










20160823 投稿記事397記事 ロールモデルの変遷 万世橋の銅像 

本日のブログ記事の投稿により、記事投稿総数が397となり、とりあえずの目標とする400記事まであともう一息といった状況になります。

そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?

しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。

それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。

とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)

また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。

そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。

とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。

また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。

そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。

昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。

しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋のたもとに立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。

とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌品川弥二郎の銅像の横を通りました・・。

では、なぜこの万世橋の銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?

これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。

あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?

とはいえ、おそらくそこには日本近現代史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。