2025年8月3日日曜日

20250803 第二次宇露戦争の現在に至るまでの戦局推移の様相について

 2022年2月24日、露が宇に対し全面侵攻を開始した。露のプーチン大統領はこれを「特別軍事作戦」と称し、北(ベラルーシ経由)、南(クリミア半島から)、東(ドンバス地域)の三方面からの同時侵攻を実施。これが第二次宇露戦争の「第1段階」にあたり、当初は、宇の首都キーウの迅速な制圧とゼレンスキー政権の転覆、いわゆる「斬首作戦」を企図していた。
 露軍は首都キーウ郊外にまで迫ったものの、宇側軍民による激しい抵抗、西側諸国の初期支援により作戦は頓挫し、2022年3月下旬には露軍はキーウ近郊からの撤退を余儀なくされた。
 この第二次宇露戦争は、その後の戦局の推移に応じ、現在に至るまで、少なくとも8つの段階に分けられる。この段階区分はCSIS(米戦略国際問題研究所)やRUSI(英王立防衛安全保障研究所)など複数の国際的シンクタンクの見解ともおおむね一致している。
 第2段階では、露軍が戦力を東部ドンバス地域に集中して、同地域のドネツク州およびルハンシク州の完全制圧を目指し、マリウポリやセヴェロドネツクなどの主要都市を占領したものの、その過程における兵力の損耗率は高かった。
 次いで、第3段階では、2022年夏から秋にかけて宇軍が反転攻勢を展開した。これにより宇北東部ハルキウ州で約400平方キロメートルを奪還し、11月には宇南部のヘルソン市の奪還にも成功して露軍による南部攻略に大きな打撃を与えた。
 そして第4段階では、続く冬季に露軍が東部バフムトやソレダルでの攻勢を強化したが、宇軍の防御に阻まれ、戦果は限定的なものに留まった。
 第5段階では、戦局が塹壕戦と包囲戦へと移行。バフムト周辺での攻防が激化したものの、戦線は膠着し、有意な戦局の変化は見られなかった。
 第6段階では、宇軍が露本土に対して主に無人機を用いた越境攻撃を露クルスク州などへ行い、露軍は防御への注力も余儀なくなり、兵力の再配備を強いられることとなった。
 第7段階では、露軍が再び東部・南部での攻勢を強め、これにより宇東部ドネツク州ポクロウスクやコスティアンティニフカ周辺にて局地的な前進が見られたものの、全体としては戦線の突破には至らず、大きな戦局の打開には至らなかった。
 そして現在は第8段階、すなわち「長期消耗戦フェーズ」へと移行している。露軍は当初の短期決戦から持久戦への戦略転換を行い、時間を武器とした戦いに移行したとされる。軍事理論的にも、初期での突破に失敗した場合、消耗戦に持ち込むというのは、露軍の古来からの戦略であるとされている。
 現在、露軍は巡航ミサイルやイラン製無人機「シャヘド」用いた宇の軍需施設やインフラへの攻撃を継続しており、将来的には1日500機規模の無人機生産体制を構築するとの見方もあるものの、その具体的数値には諸説ある。
 一方、宇も露領内への反撃を強化して「スパイダーウェブ作戦」と称する無人機攻撃により長距離戦略爆撃機TU-95などに損害を与えることに成功している。また、前線では有刺鉄線とドローンを組み合わせた防衛戦術を展開しつつも、露軍は1日15~20平方キロメートルの領域を徐々に侵食しており、宇側の損耗も深刻化している。
 上記、8段階の戦局分析は、前述した複数国際シンクタンクとの評価とも概ね一致しており、そして現況の第8段階では、露が長期戦を通じて戦略的主導権を維持しようとしているという見方も広く共有されている。そこから、現在の戦局は、戦略・戦術・外交の各レベルにおいて膠着と消耗の様相を呈しており、終結の見通しは立っておらず、今後の戦況の帰趨は、西側諸国の軍事支援の継続性、特に米国の対露政策により、大きく左右されることになると考えられる。

Eight Phases of the Russo-Ukrainian War Since the 2022 Full-Scale Invasion

Lead
On 24 February 2022, Russia launched a full-scale invasion of Ukraine—the largest escalation in the ongoing Russo-Ukrainian War, which began in 2014 with the annexation of Crimea and the outbreak of conflict in the Donbas. What the Kremlin likely expected to be a rapid operation has unfolded into a protracted conflict, now in its third year and entrenched in a costly war of attrition. Analysts from the Center for Strategic and International Studies (CSIS) and the Royal United Services Institute (RUSI) broadly agree that the war since February 2022 can be understood in eight distinct phases.


Phase One:
The Drive on Kyiv (February–March 2022) Russia struck on three fronts: from the north via Belarus, from the south out of Crimea, and from the east into the Donbas. The Kremlin’s goal was a “decapitation strike” to seize Kyiv and overthrow President Volodymyr Zelensky’s government. Fierce Ukrainian resistance, combined with early Western arms shipments, forced Russian troops to withdraw from the Kyiv region by late March.


Phase Two:
The Battle for the Donbas (Spring 2022) With the Kyiv offensive abandoned, Moscow shifted its main effort eastward, aiming to capture all of Donetsk and Luhansk provinces. Mariupol fell after a devastating siege, and Severodonetsk was taken, but at heavy cost in men and materiel.


Phase Three:
Ukraine’s Counteroffensives (Summer–Autumn 2022) Ukrainian forces launched coordinated counterattacks. In the northeast, they recaptured about 400 square kilometres in Kharkiv region. In the south, they liberated Kherson in November, dealing a severe blow to Russia’s position on the western bank of the Dnipro River.


Phase Four:
Winter Offensives in Bakhmut and Soledar (Late 2022–Early 2023) Russia intensified assaults on Bakhmut and Soledar. Months of high-casualty fighting produced only marginal territorial gains.


Phase Five:
Stalemate and Attrition (Spring 2023) The war settled into entrenched positions and trench warfare. The battle for Bakhmut became symbolic of the grinding deadlock.


Phase Six:
Cross-Border Strikes (Mid-2023) Ukraine expanded its reach into Russian territory, using drones to hit targets in regions such as Kursk. These attacks forced Moscow to reallocate forces to bolster domestic air defences.


Phase Seven:
Renewed Russian Pushes (Late 2023–Early 2024) Russia resumed offensives in eastern and southern Ukraine, making small advances near Pokrovsk and Kostyantynivka. However, these gains were insufficient to break through Ukrainian lines.


Phase Eight:
The Long War (2024–Present) The conflict has shifted decisively into a war of attrition. Russia’s strategy now appears aimed at exhausting Ukraine over time, a method deeply rooted in its military tradition. Moscow continues to strike Ukrainian infrastructure and defence facilities with cruise missiles and Iranian-made Shahed drones. Some Western analysts predict that Russia could scale up production to several hundred drones per day, though estimates vary. Ukraine, in turn, has stepped up its so-called “Spiderweb Operation”—long-range drone strikes inside Russia that have reportedly damaged strategic Tu-95 bombers. On the front lines, Ukrainian forces combine barbed-wire defences with drone-assisted targeting. Even so, Russian troops continue to erode Ukrainian-held ground, advancing by an estimated 15–20 square kilometres per day in some sectors.


Analysis and Outlook
The eight-phase framework aligns closely with CSIS and RUSI assessments. The war is now deadlocked across military, political, and diplomatic fronts, with no clear end in sight. The trajectory will hinge heavily on the endurance of Western military support—particularly U.S. policy toward Ukraine. A potential shift in Washington’s stance, influenced by domestic politics and upcoming elections, could alter the balance of the conflict. European nations, though committed, face constraints in ammunition production and budgetary pressures, raising questions about their long-term capacity to sustain Kyiv’s war effort.

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2025年7月31日木曜日

20250730 スランプ時のブログ記事の作成について

 6月末からの異常な暑さが続くなか、ここ最近は以前ほど積極的にブログ記事を作成したいという気持ちが湧かなくなってきました。これは、先述の気温の高さに加え、当ブログの開始から10年という一区切りを迎えたこともあり、ある種の安堵や気の緩みが影響しているのかもしれません。

 思い返せば、記事投稿数が未だ1000記事に満たなかった頃には、たとえ疲れていても「少し無理をしてでも書こう」といった気持ちがありました。また当時は日常の些細な出来事や心の中に浮かんだ断片的な思考を言葉にすることで、自分自身の内面の安定を図っていたように思われます。しかし最近は、さきに述べたように、そうした内発的な衝動がやや希薄になりつつあると云えます。

 とはいえ、文章を書くこと自体から離れているわけではなく、ここ最近は、ChatGPTのようなAIツールを活用し、断片的な文章の下書きは日常的に作成しています。これらは、ブログ記事の材料として用いることを前提にしているわけではなく、今のところは「試作」や「遊び」に近い感覚と云えます。ただ、これも広義の言語表現の一種であり、従来とは異なる手法を試しているという点では、前向きな取り組みと云えるかもしれません。

 しかし、そもそも当ブログは、外部からの要請により始めたものではなく、自分の中にある漠然とした感情や思考を言語化し、内面を安定化して整えるための試みとしてスタートしたものでした。それが日々の習慣となり、次第に書くこと自体が生活の一部として定着していきました。このように継続することには、確かに手応えや、やりがいのようなものはあり、そしてそれは「義務感」のみで続くものではなく、やはり、何らかの手応えが支えとなっていたからこそ可能であったのだと云えます。

 現在、「10年間続ける」というひとつの区切りを迎えたことにより、それまでの目標や目的意識が曖昧になりつつあります。そのため、現在は「2400記事」という次なる節目を目指すという方針を立ててはいますが、これまでのように順調には進んでいないのが実情と云えます。記事数としては残り30本程度といったところですが、この数字に何らかの意味を見出しているわけでもなく、これはあくまで目安に過ぎないと云えます。

 また、以前であれば、こうしたモチベーションの低下を補うかのように、書籍からの引用記事を作成して記事更新のリズム維持を試みていましたが、昨今は何冊かの本を読み進めてはいるものの、それらから積極的に引用記事を作成したいという気持ちはあまり生じません。それでもいずれ、再び文章を作成したいという波が自然に訪れるのではないかと、これまでの経験から私には思われます。

 そのため、現在は、たとえ多少の無理をしてでもブログ記事の量産しようとは考えておらず、思いついたことやChatGPTを用いて断片的な文章を作成しつつ、次の波あるいは風を待っているような状況にあると云えます。そして、ブログ記事の作成がまた日々の生活に戻ってくることを、あまり意識せずに願いつつ、以前にも述べましたように「悠々として急ぎたい」と考えています。

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2025年7月29日火曜日

20250728 空回りの時期と当ブログの開始に至るまで②

 私にとって歯科訪問診療コーディネーター業務は大変な重荷に感じられました。くわえて、その少し前から始めていた当ブログの執筆もあり、当時の平日の平均睡眠時間はおそらく5時間に満たず、そのため慢性的な睡眠不足状態にあったと記憶しています。

 それでも何とか、半年ほど勤務を続けていますと、勤務先医療法人の理事が、新たに別法人を立ち上げ、そこで医療・介護人材に特化した求人・求職サイトを運営するとのことで、私はその運営要員として配置替えとなりました。

 当初、私はこの異動に全く気が進まず、医療・介護人材の求人情報の獲得など考えたくもありませんでしたが、やがてすぐに、このサイトは私が求人情報を集めない限り機能しないということを知りました。そこで、まずは実家のクリニックの求人情報を了解を得て掲載しました。続けて、鹿児島在住期から面識のある開業医の諸先生方に問い合わせたところ、概ね二つ返事にて了承してくださいました。

 さらに、そうした先生方が面識や知遇のある医師・歯科医師の先生方にもお声掛けくださり、また所属地区の医師会・歯科医師会の先生方もご紹介くださり、おかげさまで相応の件数の求人情報を獲得することができました。さらに、特筆すべきことは、ほとんど見込みがないだろうと、半ば諦め気味で行っていたテレアポでも数件は話を聞いてくださり、求人情報を頂けたことです。

 とはいえ、この求人情報の獲得の基本は自らの足で稼ぐものでした。先方の医院に赴き、お話を伺い、求人情報や掲載の許可を頂くといった流れが圧倒的に多かったと云えます。そして、そうした訪問を重ねるなかで見えてきた各医療機関さまの様相は、現在振り返ってみますと、なかなか興味深いものがあります。

 また、こうした経緯により、歯科医院を中心とした医療機関をある程度の件数、訪問していくなかで、それぞれの地域における同業種(歯科医院・医院)の評判を伺う機会も少なからずありました。そして、そこで得た情報をもとに、後日、そちらの医療機関さまに連絡を取らせて頂き、アポイントを得て訪問するという新たな流れも出てきました。思い返しますと、この時期は本当によく歩き、また、少なからずの開業医の先生方とお目に掛かることが出来ました。そして、この一連の経験が良くも悪くも、現在の私に影響を及ぼしていると云えます。

 ともあれ、当法人に入社してから半年後、歯科訪問診療コーディネーターから求人・求職サイトの運営に配置転換後、当初、運営側が想定されていたよりも、かなり多くの求人情報を比較的短期間で集められたことは、法人本部にとっても予想外であったようで、以降、私は法人主催の勤務歯科医師向けの勉強会などの企画・運営にも参画させて頂くようになりました。

 そうした中で、私によく声を掛けてくださった先生のお一人がある日「鶴木さん、今度、大学時代の仲間と一緒に摂食嚥下機能のリハビリテーションで定評のあるS教授がおられる東京歯科大学の老年歯科補綴学講座を見学したいのですが、セッティングはお願いできますか?」と尋ねてこられました。そこで私は、S教授とご縁があると思われた歯科理工学の師匠に電話を掛けて伺ったところ「ワシの門下だと云えば繋がるはずや!」とのお返事を頂きました。

 半信半疑ながら、さっそく同講座に電話をかけ、最初に出られた方にこちらの背景と目的を簡潔にお伝えすると「確認いたしますので、少々お待ちください」とのご返答であり、そのまま緊張しながら待っていますと、しばらくしてS教授ご本人が電話口に出て来られ、こちらの要件を簡潔にご確認されたうえで「よし、分かった。いいよ。」と、あっさりとご承諾いただけました。

 また、この見学は、歯科理工学を専門とされる別の開業医の先生からのご支援もいただき無事に終えることができました。そして後日、当見学をご依頼くださったさきの先生から「とても勉強になり良かったです。また、一緒に行った先生方も皆、大変勉強になったと云っていました。」とのお言葉をいただきました。

 さらに、こちらの先生から「S教授から日本老年歯科医学会の学術大会で発表してみませんか?とお声掛け頂きました。」と好奇心を帯びた声で仰い、続けて「せっかくお声掛けくださったので、私、発表してみようと思うの、でも、できるかしら…?」と仰られたことから「そうなりましたら、出来る限りのご支援はします。」とお返事をして、さらに事態は進展することになりました...。

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2025年7月22日火曜日

20250721 空回りの時期と当ブログの開始に至るまで①

 現在になり思い返してみますと、2013年の学位取得から2015年の当ブログ開始までの期間、恥ずかしながら私は、諸事空回りをしていました。それは、おそらく、自らのキャリアと年齢とを考慮することで生じた葛藤により、急かされていたことが原因であったと思われます。しかしまた、そうした葛藤とは、どこかで発散しなければ、止むことはないことから、良くも悪くも、仕方のないことであったようにも思われます。

 ともあれ、落ち着きを取り戻してから、また、さまざまな求人情報媒体に目を通すようになり、そして、自らの経験が生かせると思われた、ある求人に応募しました。それは、東京都を中心に首都圏で多数の分院を展開し、歯科訪問診療を手広く行っている医療法人が募集していた「歯科訪問診療コーディネーター」という職種でした。応募書類を投函して数日後、法人事務局より連絡を頂き、日程を調整のうえ、東急東横線沿線の都内某所にある法人本部を訪問し、面接を受けることとなりました。

 面接では、まず経歴の概要を尋ねられた上で、しばらく対話をしてから「これまでとは色々と異なる業務になりますが、当法人には他にも様々な仕事がありますので、まずは訪問診療のコーディネーターから始めてください。」とのことで、採用が決まりました。

 この歯科訪問診療のコーディネーターという職種は、一言で云いますと、訪問診療の実施主体である歯科医師や歯科衛生士が、居宅・施設を問わず、外来とは異なる環境で円滑に診療を進められるよう、さまざまな支援を黒子のように行う職種です。

 もう少し具体的にその業務内容を述べますと、まず基本となるのは日々の訪問診療スケジュールの調整業務です。これは、居宅や施設の患者さん、そのご家族や施設スタッフの方々との都合を摺り合わせて診療時間を組み、効率的な訪問ルートを設定するというものです。この業務は想像以上に労力がかかり、また、円滑に行うためには、診療スタッフや患者さん、そしてその周囲の方々との信頼関係が不可欠です。

 次に、訪問診療に使用するポータブルユニットなどの機材管理や運搬も行います。訪問診療の現場では、限られた空間や時間の中で診療を行うことが多く、機材の不備や忘れ物は大きな支障となります。また、患者さんやその周囲の方々への対応も、身体の健康にも関与する医療分野である以上、言葉遣いや挙措動作にも、それなりの配慮が求められます。

 さらに、診療を終えて医院に戻ると、診療スタッフとは別にさまざまな事務処理業務を行います。これらのいわば裏方の業務も、多くの場合、コーディネーターの重要な業務と云えます。

 加えて、歯科訪問診療の依頼を検討されている居宅介護支援事業所、地域包括支援センター、訪問看護ステーションなどを訪問し、先方にとって有益と思しき情報を提供しつつ、新規依頼を獲得する「周知活動」と呼ばれる営業業務も担当します。これは歯科医療に関する専門知識よりも、むしろコミュニケーション能力の方が重視される場面が多かったように思われます。

 以上のように、歯科訪問診療コーディネーターの業務は多岐にわたり、まさにマルチタスク型の職種といえます。

 しかしながら、私自身はどちらかといえば、それとは反対の専門特化型に近いと思われることから、この入社当初に就いた訪問診療コーディネーター業務は非常に負担が大きく感じられました。また、周囲におられた営業畑出身の方々からすると、私の働きぶりは噴飯ものであったのではないかとも思われます。

 また、ちょうどこの時期に当ブログを開始したこともあり、通勤電車の中ではメモ帳にブログ記事のアイデアや主題、あるいは引用したい書籍の候補などを頻繁に書き留めていましたが、何故であるのか、この時期は常に眠く、慢性的な睡眠不足であったと記憶しています。

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2025年7月18日金曜日

20250717 不明瞭な言語化が困難な想念への対応について

 ここ最近は引用記事をたて続けて投稿してきましたが、その間、「自分の文章で記事を書きたい」という強い意欲は特に湧いてきませんでした。くわえて、当ブログとは別に、いくつかの文章も作成していたことから、文章を書くことへの焦燥感のようなものも、同様に湧いてくることはありませんでした。

 おそらく現在の私は、去る6月22日にブログ開始から丸10年を迎え、その後「2400記事までは続ける」と決めつつも、他方では「休みたい」といった相反する欲求を抱いているのではないかと思われます。

 また、読書の方も、天候不順による影響であるのか、あまり順調ではありませんが、それでも何冊かは並行して読み進めています。そして、そのおかげで、先日お目に掛かった文系師匠や、その場におられた方々との会話にも、どうにかついていくことができ、私としては、それなりに興味深い対話ができたのではないかと思われます。

 そして、その晩は久しぶりに、ある程度深掘りした人文系の対話が出来たためか、かなり珍しく夢を見ました。その内容は目覚めた直後に忘れてしまったものの、寝起きの感覚がとても良かったことから、良い夢であったのだろうと思われます。

 また、その感覚の流れであるのか、後刻、文系師匠からご連絡を頂き、そのやりとりの中で、これまで数年間モヤモヤしていた「自分が本当にやりたいこと」を、自然なカタチで言語化することが出来ました。その内容については、また近い別の機会に述べたいと考えています。

 ともあれ、こうした、言語化が困難なモヤモヤとした想念や、ある種の悩みのようなものは、それが「本物」であり、かつ継続して考える癖のようなものがあれば、やがて徐々に明確になり、言語を通じて自分なりに理解することが出来るようになるのではないかと考えます。

 あるいは異言しますと、こうしたモヤモヤした不明瞭な思いや悩みとは、多くの場合「余計なもの」として排除されがちではありますが、それがホンモノであり、長く続くものであれば、それについて考え、そして、適切と考えられる言語を付与し続け、あるいは他者との議論していくうちに、不図「分かる」(自分なりに)といった瞬間が訪れるのではないかと思われるのです。

 そして、そうした理解に至るためには、受動的な業務としてではなく、自ら選んだ文章や書籍を能動的に読み、言語と主体的に向き合う感覚を保ち続けることが重要であると考えます。

 もっとも、この能動的な「自由意志としての感覚」を、日常的なもの、あるいは本能に近いものとして自らに定着させることが、私を含め、多くの人々にとって古今を通じて変わらずに困難なことであり、そしてまた、近年急激な進化発展を遂げている人工知能が、広汎に社会に普及したとしても、おそらく、この困難さは変わらず、我々人間の本質的な性質として残っていくのではないかと思われます。

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2025年7月15日火曜日

20250715 株式会社白水社刊 トム・リース著 高里 ひろ訳「ナポレオンに背いた「黒い将軍」:忘れられた英雄アレックス・デュマ」 pp220-221より抜粋

株式会社白水社刊 トム・リース著 高里 ひろ訳「ナポレオンに背いた「黒い将軍」:忘れられた英雄アレックス・デュマ」
pp220-221より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4560084262
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4560084267

 ヨーロッパ人は昔からエジプトを手に入れたがってきた。エジプト人は古代世界の全権力を象徴するーローマより三千年も歴史の古い帝国だった。エジプトにはその豊かな神話とおなじくらい豊かな収穫があると考えられてきた。歴史上の帝国の戦略家たちは、その耕作地を支配すれば人口と軍隊を養えるはずだと考えた。アレクサンドロス大王は紀元前四世紀にエジプトを征服し、自身の王朝を立てた。ナポレオンは彼のひそみに倣い、自身の王朝を夢見た。

 今なおフランスではエクスペディション・エジプト(エジプト遠征)と呼ばれているこの一大事業は、ナポレオンの世界征服の野望の中でも、もっともとほうもない妄想だったと考えられている。しかしフランス人は昔からエジプトを、冒険、そして豊穣の土地であり、広い世界への足掛かりとして見ていた。18世紀、識字率が上がり、印刷された本が広まったことによって、人びとは大量の近東旅行記を読んでいた。「ナイル川はセーヌ川と同じくらいよく知られている」ある観察者が1735年にそう書いている。遠征は、サヴァンの助けを借りて有名なロゼッタ・ストーンを発見し、王家の谷を発掘し、無数の古代の遺物の目録を作成したーそして学問の名の下に、そうした遺物をごっそり運び去った。

 1769年、ルイ15世の外務大臣はエジプト侵攻を国王に進言したーアメリカにおける[フランスの]植民地が失われた場合に、それに代わって同じ作物を生み出し、より広域の貿易が可能な植民地とするために、インディゴ、綿花、そしてもっとも重要なサトウキビといった作物は、エジプトでもサン・ドマングと同じように栽培可能かもしれない。当時のフランスで、エジプトにかんする有益な情報源のひとつに、夢想家の哲学者ヴォルネーの旅行記があった。ヴォルネーはヴォルテールに敬意を表してつけた名前で、彼の旅行記は物議をかもした。ヴォルネーは1783年から1785年まで中東を旅行し、アラビア語を習得して民族衣装を身に着け、エジプト人に交じって暮らした。彼の「エジプトとシリアへの旅」という本は、エジプトの経済、社会、政治、戦略郡について詳しく説明した。ヴォルネーの考えでは、エジプトは東洋の圧政によっておちぶれているが大きな可能性があり、征服可能だったーフランスにとって魅力的な植民地候補だ。実現すればフランスはアジアへの重要航路を手に入れ、古代エジプトの栄華を復活させたことで信じられないほどの名声を得るだろう。

 ヴォルネーが人気哲学者として注目されたのは1791年のことだった。彼の著作「廃墟ー帝国の運命についての瞑想」がイギリスのロマン派詩人シェリーや、政治哲学者トマス・ペインらに絶賛された。トマス・ジェファーソンは同書を英訳した。ヴォルネーの本は急進的な民主主義者等にも影響を与えたが、まったく別の種類の人間にも大きな影響を及ぼした。1792年、ナポレオンはコルシカ島に屋敷を購入したヴォルネーに直接会っている。若いナポレオン・ボナパルトはその年、フランスの混乱を避けて故郷のコルシカ島で過ごしていた。ナポレオンはヴォルネーの島の案内役となり、彼からエジプトの知識を吸収した。

 ナポレオンは12歳のときにアレクサンドロス大王の伝記を読んだときから、エジプトに強い関心を寄せていた。晩年、ヨーロッパを征服してそれを失った後で、彼はエジプトでの刺激的な日々をふり返っている。「わたしは多くのものを夢見て、どうしたらすべての夢を実現できるかわかっていた」彼は考えた。「わたしはアジアへと続く道をゆく自分を想像した。像に乗り、頭にターバンを巻き、手にはわたしが自分のために書いた新しいコーランを持って、わたしはおのれの目的のために世界の歴史の舞台を駆け、ふたつの世界の経験を統治するという困難を成しとげただろう」ナポレオンはヴォルネーからエジプトに関するさまざまな知識を学んだが、もっとも重要な教えには耳を貸さなかった。中東の帝国という夢は、はかない幻影だということだ。

2025年7月14日月曜日

20250713 株式会社早川書房刊 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・ロビンソン著 鬼澤忍訳「国家はなぜ衰退するのか」ー権力・繁栄・貧困の起源ー上巻 pp.370-372より抜粋

株式会社早川書房刊 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・ロビンソン著 鬼澤忍訳「国家はなぜ衰退するのか」ー権力・繁栄・貧困の起源ー上巻
pp.370-372より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504644
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504649

 絶対主義はヨーロッパの大半ばかりかアジアにも及び、産業革命によってもたらされた決定的な岐路に際しても、同じような工業化を拒んだ。中国の明と清、そしてオスマン帝国の絶対主義がいい例だ。宋(960-1279年)の時代の中国は、多くの技術革新で世界を牽引した。時計、羅針盤、火薬、紙と紙幣、磁器、製鉄用の溶鉱炉などを発明したのはヨーロッパより早かった。また、ヨーロッパ諸国とほぼ同時期に、紡ぎ車と動力としての水力の利用法を独自に開発していた。その結果、1500年当時の中国の生活水準はヨーロッパに引けをとらなかったものと思われる。何世紀にもわたって、中国は実力主義で選抜された官僚によって運営される中央集権国家でもあった。

 しかしながら、中国は絶対主義の国であり、宋の成長は収奪的制度によるものだった。皇帝以外には集団を代表する政治組織は存在せず、イングランドのパーラメントやスペインのコルテスに当たるものが社会にはまったくなかったのだ。中国では商人はいつも身分が不安定で、宋の偉大な発明も市場のインセンティヴによって促進されたわけではなく、政府の保護、ときには命令によって世に送り出された。商業化された発明品はほとんどなかった。宋に続く明や清のじだいには、国家の締めつけがさらに厳しくなった。こうしたあらゆる事態の根底にあったのは、おなじみの収奪的制度の論理だ。収奪的制度を統括する支配者の大半と同じく、中国の専制君主は変化に反対し、安定を求めていた。とどのつまりは創造的破壊を恐れていたのである。

 これは国際貿易の歴史に如実に表れている。アメリカ大陸の発見および国際貿易の運営法が、近代ヨーロッパ初期の政治闘争と制度改革において重要な役割を演じたのは、すでに見たとおりだ。中国では、一般的に民間の商人が国内の商取引を行っていたが、外国との交易は国の独占だった。1368年に明が国を統一すると、初代皇帝の洪武帝は30年にわたって君臨した。洪武帝は外国との交易が政治的にも社会的にも安定を損なうと懸念し、政府が運営し、朝貢があるときのみ外国との交易を許可した。商業活動は認めなかった。朝貢使節団なのに商業活動を行おうとしたとして大勢の人間を処刑さえした。1377年から1397年にかけては、外洋を航行する朝貢使節団が禁止された。洪武帝は民間の商人が外国人と取引することを認めず、中国人が外国に渡ることも禁じた。

 1402年に即位した永楽帝は、政府が主体となる交易を大々的に復活させて、中国史上よく知られた一つの時代をスタートさせた。永楽帝の支援を受けた提督の鄭和は、東南アジア、南アジア、アラビア、アフリカまで大艦隊を率いて遠征を六度実施した。中国は、長年の交易関係からこれらの場所について知っていたが、これほど大規模な遠征は初めてだった。最初の艦隊は二万七八〇〇人の乗組員と、宝船六二隻、小型船一九〇隻から成り、小型船のなかには飲み水を運ぶ船、食糧を運ぶ船、兵士を運ぶ船があった。ところが、1422年の六度目の航海後、永楽帝はいったん遠征を中止した。後継者である洪煕帝(在位1424-1425年)の時代も航海は行われなかった。洪煕帝は早世し、宣徳帝が即位した。宣徳帝1433年に鄭和に最後の航海を許可したものの、その後は外国との交易をいっさい禁止した。1436年には、遠洋航海船の建造さえ違法となった。海外交易禁止令は1567年まで解かれなかった。

 こうした一連の出来事は。社会を不安定にさせかねない多くの経済活動を禁じた収奪的制度の氷山の一角にすぎないが、中国の経済発展に根本的な影響を及ぼすこととなった。国際貿易とアメリカ大陸の発見がイングランドの制度を根底から変えつつあったまさにその時期に、中国はこの決定的な岐路に背を向け、内向きになっていった。この内向きの姿勢は1567年まで変わらなかった。明は1644年にアジア内陸部の満州族である女真族によって滅ぼされた。彼らは清を興した。その後、政治的にきわめて不安定な時期が続いた。清は財産と資産を大量に没収した。