どうしたわけか、昨日投稿したブログ記事は思いのほか投稿1日目にしては閲覧者数が伸びました。
閲覧して頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さて、先日記したように職務のことはあまりブログ記事の題材としない方針ではありますが、本日は多少思うところがあり再度このことに踏み込んで記事を記そうと思います。
現在、職務から歯科医院を廻ることが多いのですが、そうしたなか、さまざまなハナシをしてくださり、さらには書籍、論文などを薦めてくださる先生もいらして、かつて、この分野にて(自分なりにマジメに)研究したことが生きているのかもしれないと感じました・・。
さらには院長室兼技工室に通され、そこで作製中の補綴物を見せて頂き、それらについて色々と興味深いご説明を伺ったり、また、私に質問されるのは、この先生がかつて大学にて勤務されていた時に培った行為態度であると思われます。
とはいえ、私も歯科医師ではないなりに(それなりに)的確な返答をしたり、また、述べられた考えから類推される疑問などを適宜しているのではないかと思われましたが、果たしてどうだったのでしょうか・・(笑)?
また「現在治療中の患者さまがいるため、本でも読みながら少し待っていてくれ。」と書斎兼技工室に通され、久しぶりに歯科の専門書(和書・洋書)を手に取り、ページを開きますと何とも懐かしい感じがしてきます・・(笑)。
そして、そうした専門書(洋書)内に書き込みや(よくわからない)記号などが記されているのを見ますと、どうも大学の実験室にいるような感覚(錯覚)に襲われます・・(笑)。
また、こうした中世ヨーロッパの錬金術師の工房のような書斎兼技工室を持つ歯科医師の先生とは、現在ではもう少ないのかもしれませんが、上の世代(おそらく50代以上)になりますと、首都圏、地方問わず、未だある程度おられるのではないかと思われます・・。
また、同時にこうした歯科医師の多くは、自ら積極的に披露することは多くありませんが、様々な学問分野における教養の厚みが趣味のレベルを越えていることが多いのではないかと思います・・。
こうした歯科医師には素直に頭がさがります・・。
そして、そういった先生方を見てあらためて私もまた大学の研究支援職の公募を見つけ応募しようと思いました・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月の熊本にて発生した大地震によって被災された地域の生活諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年9月7日水曜日
2016年9月6日火曜日
20160906 考え方の変化、形成の契機について・・
A「投稿記事数400を越えましたが、1日の閲覧者数に特に大きな変化はなく大体400~600人程度となっております。
400記事を越えると閲覧者数が(急激に)増加するかもしれないと、少し期待しておりましたが、どうやらこれは私のブログにはあてはまらないようです・・(苦笑)。
しかしながら、作成した一連の記事がコンスタントにほぼ毎日上に示すような多くの方々に閲覧して頂いていることは大変ありがたいことであり、否応なく、手を抜いて記事を書くことに対し少なからず抵抗感(恐怖感)おぼえる次第です・・。
また、(一部)こうした怖れの感情により、ブログ記事の更新が為されていることをあらためて認識しますと、かつて(2012)経験したある出来事を思い起こします・・。
自身の人生における明確なある一つの出来事により、考え方が(大きく)変化するということに対し現在でも私は懐疑的であり、おそらくそうしたもの(考え方)とは、様々な経験により徐々に変化、形成されてゆくものであると、基本的には考えております・・。
あたかも打ち寄せる波により海岸の岩々が侵食され、その形を成すかのように・・。
しかし、それと同時に、何か大きな衝撃(出来事)により、それが突如変化(相転移・相変態のように)するということは、ある程度の年齢(30代半ば)になってからでもあるようです・・。
今後もし、機会がありましたら、この出来事をそのしばらく前からその後まで記してみたいとすら考えておりますが、まあ、これは少し先になりそうです・・(笑)。
といいますのは、こうしたことを記すには、記憶以外の全てを創造に頼ることは、個人的にもったいなく、また、その出来事に含まれる本質らしきものが損なわれてしまう蓋然性が高くなるからであると考えるからです・・。
それ故、もう少し時間をあけて、その出来事に含まれる様々なことがらを客観的に見ることができるようになった時に当時の日記、資料などに基づき記してみるのが良いのではないかと思います。
また、日記と記して不図思い起こしましたが、昨日投稿のブログ記事にて山田風太郎が取り上げられましたが、この方が記した一連の「戦中派~日記」を先日立ち読みしておりましたが、ことごとく大変面白く、機会を見つけ、とりあえず一冊読んでみようと思います・・。
また、以前読んだ同著者の別の著作に記されていたある論評、短文が偶然先日抜粋引用した「20160815」の記事に関連していると思われたため、後日それを抜粋引用してみようと考えております。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早期の生活インフラの復旧そして復興を祈念しております。」
400記事を越えると閲覧者数が(急激に)増加するかもしれないと、少し期待しておりましたが、どうやらこれは私のブログにはあてはまらないようです・・(苦笑)。
しかしながら、作成した一連の記事がコンスタントにほぼ毎日上に示すような多くの方々に閲覧して頂いていることは大変ありがたいことであり、否応なく、手を抜いて記事を書くことに対し少なからず抵抗感(恐怖感)おぼえる次第です・・。
また、(一部)こうした怖れの感情により、ブログ記事の更新が為されていることをあらためて認識しますと、かつて(2012)経験したある出来事を思い起こします・・。
自身の人生における明確なある一つの出来事により、考え方が(大きく)変化するということに対し現在でも私は懐疑的であり、おそらくそうしたもの(考え方)とは、様々な経験により徐々に変化、形成されてゆくものであると、基本的には考えております・・。
あたかも打ち寄せる波により海岸の岩々が侵食され、その形を成すかのように・・。
しかし、それと同時に、何か大きな衝撃(出来事)により、それが突如変化(相転移・相変態のように)するということは、ある程度の年齢(30代半ば)になってからでもあるようです・・。
今後もし、機会がありましたら、この出来事をそのしばらく前からその後まで記してみたいとすら考えておりますが、まあ、これは少し先になりそうです・・(笑)。
といいますのは、こうしたことを記すには、記憶以外の全てを創造に頼ることは、個人的にもったいなく、また、その出来事に含まれる本質らしきものが損なわれてしまう蓋然性が高くなるからであると考えるからです・・。
それ故、もう少し時間をあけて、その出来事に含まれる様々なことがらを客観的に見ることができるようになった時に当時の日記、資料などに基づき記してみるのが良いのではないかと思います。
また、日記と記して不図思い起こしましたが、昨日投稿のブログ記事にて山田風太郎が取り上げられましたが、この方が記した一連の「戦中派~日記」を先日立ち読みしておりましたが、ことごとく大変面白く、機会を見つけ、とりあえず一冊読んでみようと思います・・。
また、以前読んだ同著者の別の著作に記されていたある論評、短文が偶然先日抜粋引用した「20160815」の記事に関連していると思われたため、後日それを抜粋引用してみようと考えております。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早期の生活インフラの復旧そして復興を祈念しております。」
2016年9月5日月曜日
20160905 作家、著述家と地域性
A「1日ブログ記事投稿を休んだからといって、特に書きたいことが増えるわけでもないことがわかりました・・(苦笑)。
また、それは本日に関しても同様です。
しかしながら、ここでもう1日休んで記事の投稿を止めておくと、今度はそれがクセになってしまうのではないかという危惧により、本日は記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。
こうした動機とは、見方によれば、あまり良いものではない(不純)のかもしれませんが、実際のところ、こうした動機により(少なくとも部分的には)これまでの継続的な記事作成は為されたといっても良いと思われます・・(苦笑)。
そのように考えてみますと、何かを為すにおいて能動性が大事であるとはいいながら、付加的なものとして、こうした外圧的な心理的効果といったものも有用でないといい切れないところが、我々の心の甚だ面白いところではないかと思われます・・(笑)。
そういえば、最近は作家の山田風太郎の著作を読んでおりますが、その文体から感じられる著者の人柄とは、もしかすると、水木しげるに類似している部分が(少なからず)あるのではないかと思われます・・。
これを読まれている方々はどのようにお考えになりますでしょうか?
そして、この意見がある程度の普遍性を持っていると認められますと、改めて地域性といった議題を提示すことが出来るのではないかと思われます・・(笑)。
そしてまた、そのように記しますと、以前のブログ記事にて「近代以降の我が国の作家で東京都(特に都心部)出身で長編を多く著した作家、著述家は少ないのではないか?」といった意味のことを記しましたが、その考えと同じ地平に立ち、先ほどの山田風太郎、水木しげるの類似性(それが認められるのであれば)を考えてみますと、同様に、その他(の(地域、地方)においても何かしらの仮説、試案などが出てくるのではないかとも思われます・・。
そして、(そうであれば)それもまた、我が国における面白い地域性の学び方の一つとなる可能性があるのではないかと思われます。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
また、それは本日に関しても同様です。
しかしながら、ここでもう1日休んで記事の投稿を止めておくと、今度はそれがクセになってしまうのではないかという危惧により、本日は記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。
こうした動機とは、見方によれば、あまり良いものではない(不純)のかもしれませんが、実際のところ、こうした動機により(少なくとも部分的には)これまでの継続的な記事作成は為されたといっても良いと思われます・・(苦笑)。
そのように考えてみますと、何かを為すにおいて能動性が大事であるとはいいながら、付加的なものとして、こうした外圧的な心理的効果といったものも有用でないといい切れないところが、我々の心の甚だ面白いところではないかと思われます・・(笑)。
そういえば、最近は作家の山田風太郎の著作を読んでおりますが、その文体から感じられる著者の人柄とは、もしかすると、水木しげるに類似している部分が(少なからず)あるのではないかと思われます・・。
これを読まれている方々はどのようにお考えになりますでしょうか?
そして、この意見がある程度の普遍性を持っていると認められますと、改めて地域性といった議題を提示すことが出来るのではないかと思われます・・(笑)。
そしてまた、そのように記しますと、以前のブログ記事にて「近代以降の我が国の作家で東京都(特に都心部)出身で長編を多く著した作家、著述家は少ないのではないか?」といった意味のことを記しましたが、その考えと同じ地平に立ち、先ほどの山田風太郎、水木しげるの類似性(それが認められるのであれば)を考えてみますと、同様に、その他(の(地域、地方)においても何かしらの仮説、試案などが出てくるのではないかとも思われます・・。
そして、(そうであれば)それもまた、我が国における面白い地域性の学び方の一つとなる可能性があるのではないかと思われます。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年9月3日土曜日
20160903 岩波書店刊 金関丈夫著 「発掘から推理する」pp.1ー5より抜粋引用
「前線で戦死した巫女ーヤジリがささった頭骨」
「昭和25年(1950)の秋、長崎県平戸島の根獅子という所で発見された、弥生時代中期のはじめころの女性人骨は、頭骨のてっぺんに、銅の鏃がつきささっていた。
上から見ると、その折れ口が、長さ6.5ミリ、幅3ミリの、緑色の長い菱形を作り、その尖は頭骨の内面に達して、そこに小さな孔をのこしている。
レントゲンで透写すると、骨の中に埋もれているのは、鏃のさきの部分で、三角形に写り、その形や折れ口の形から、矢の全形もほぼわかった。
また、同じような銅鏃は、壱岐や北九州の弥生時代の遺跡から、他にも出土していることがわかった。
しかし、このように人骨につきささったままで、銅鏃が発見されたのは、これがはじめてだった。その時代には貴重品だったろうと想像されていた銅鏃が、このように実戦に使われていたことも、これでわかる。骨から推定すると、成年の女性で、上アゴの左右の犬歯、下アゴの切歯の全部が若いときに抜かれたあとがある。同じ所から出た他の人骨にも同様の抜歯のあとがあるから、風習的なものだということがわかる。この風習は縄文時代からあるが、日本の先史時代では、これが今まで知られているうちで、最も新しい時代の風習的抜歯である。鏃がささって損傷された部分には、頭骨の表面にも、わずかながら生前の変化があり、おそらく負傷後十数日は生きていたらしく、またおそらく、この傷のために起った、脳膜や脳の化膿性の炎症が原因で死亡したと思われる。しかし、女性がこのように鏃で負傷したということ、つまり、女性が戦場の前線にでたということは、どう解釈したらいいだろうか。いろいろの推理は成り立つが、しかし最もありそうな、そして最も興味ある推理は、この女性がこの地の小さい集団の中での統率者であり、いわば女酋長だっただろう、戦争ともなれば、全集団の先頭に立って敵に向っただろうという想像である。しかし、そのとき彼女が持ってでたのは、けっして刀や槍ー少なくとも実用目的のーではなかった。何であったかはわからないが、霊力あらたかな呪いの道具であったに違いない。武力よりもまず呪力で、戦争を有利に導こうというのが、当時一般の戦法であったのだろう。これは今からほぼ二千年前の、平戸島の内部で起った、地方的な小さな事変の犠牲者であるが、こうした呪力をもつ女酋長が、大集団を統治した例は「魏志」の倭人伝にあるヤマト国を支配した、有名な女王のヒミコや、その娘のイヨがある。
ヒミコは鬼道に従事するもの、すなわちマジシアンだと書かれている、これは三世紀のはじめごろの日本の国情を伝えた記録である。また、これに近いころ、女性の身で水軍を統率して、朝鮮に出兵したと伝えられる神功皇后の例にも、その匂いがある。皇后もそうした霊力をもつ女性として記録されている。「崇神紀」にはタケハニヤスビコの叛乱のとき、巫女であったその妻アタヒメが、一部の軍を率いて、帝京(みやこ)を襲わんとするが、大阪で戦死したことがみえる。また、神功皇后のころにも、またその前に景行天皇が九州を征伐したときにも、女土蜘蛛が九州各地、ことに肥前にはたくさんいたことが、「風土記」などにみえている。女土蜘蛛というのも、やはりこうした巫術でもって、部民を統率していた女酋長とみていい。これらの例からみると、それより少し以前の、肥前の平戸島に、こうした女酋長がいて、政治もやり、戦争も指導したということは、きわめてあり得ることである。しかし、それにしても、彼女らは戦場で自ら傷つくほどの、第一線の活躍をしたかどうか。だが、これにも例がある。琉球というところは、今でもそうした巫女の勢力が幾らかのこっている所だが、そこでは古い諺に「ウナグヤ、イクサノ、サキハイ(女や戦の先駆)というのがある。また現に明の弘治十三年(1500)、八重山のアカハチ(赤蜂)が叛いたとき、その討伐軍には、久米島の祝女キミハエ(君南風)という者が従軍して功を建てた有名な例がある。この戦争では叛軍のほうでもたくさんの巫女が戦死している。近年複製出版された寛元二年(1244)の漂流記「漂到琉球国記」には、この漂流船の乗員と一戦を交えようとして、小舟を艤して出動する琉球軍の活動がいきいきと描かれているが、弓や刀や盾を持った琉球戦士の中に、ただ一人、額に日蔭のかつらをつけ呪具とおぼしき飾りつきの矛をもった女性の、先頭とはいえないが、最も近景の舟上に立つ者が描かれている。この絵ははなはだ写実的で、祝女従軍の光景はこれで遺憾なくわかる。
銅鏃を頭に受けた平戸の女性は、このようにして戦った巫女の女酋長であったと推理する。」
「発掘より推理する」
ISBN-10: 4006031300
ISBN-13: 978-4006031305
金関丈夫
上から見ると、その折れ口が、長さ6.5ミリ、幅3ミリの、緑色の長い菱形を作り、その尖は頭骨の内面に達して、そこに小さな孔をのこしている。
レントゲンで透写すると、骨の中に埋もれているのは、鏃のさきの部分で、三角形に写り、その形や折れ口の形から、矢の全形もほぼわかった。
また、同じような銅鏃は、壱岐や北九州の弥生時代の遺跡から、他にも出土していることがわかった。
しかし、このように人骨につきささったままで、銅鏃が発見されたのは、これがはじめてだった。その時代には貴重品だったろうと想像されていた銅鏃が、このように実戦に使われていたことも、これでわかる。骨から推定すると、成年の女性で、上アゴの左右の犬歯、下アゴの切歯の全部が若いときに抜かれたあとがある。同じ所から出た他の人骨にも同様の抜歯のあとがあるから、風習的なものだということがわかる。この風習は縄文時代からあるが、日本の先史時代では、これが今まで知られているうちで、最も新しい時代の風習的抜歯である。鏃がささって損傷された部分には、頭骨の表面にも、わずかながら生前の変化があり、おそらく負傷後十数日は生きていたらしく、またおそらく、この傷のために起った、脳膜や脳の化膿性の炎症が原因で死亡したと思われる。しかし、女性がこのように鏃で負傷したということ、つまり、女性が戦場の前線にでたということは、どう解釈したらいいだろうか。いろいろの推理は成り立つが、しかし最もありそうな、そして最も興味ある推理は、この女性がこの地の小さい集団の中での統率者であり、いわば女酋長だっただろう、戦争ともなれば、全集団の先頭に立って敵に向っただろうという想像である。しかし、そのとき彼女が持ってでたのは、けっして刀や槍ー少なくとも実用目的のーではなかった。何であったかはわからないが、霊力あらたかな呪いの道具であったに違いない。武力よりもまず呪力で、戦争を有利に導こうというのが、当時一般の戦法であったのだろう。これは今からほぼ二千年前の、平戸島の内部で起った、地方的な小さな事変の犠牲者であるが、こうした呪力をもつ女酋長が、大集団を統治した例は「魏志」の倭人伝にあるヤマト国を支配した、有名な女王のヒミコや、その娘のイヨがある。
ヒミコは鬼道に従事するもの、すなわちマジシアンだと書かれている、これは三世紀のはじめごろの日本の国情を伝えた記録である。また、これに近いころ、女性の身で水軍を統率して、朝鮮に出兵したと伝えられる神功皇后の例にも、その匂いがある。皇后もそうした霊力をもつ女性として記録されている。「崇神紀」にはタケハニヤスビコの叛乱のとき、巫女であったその妻アタヒメが、一部の軍を率いて、帝京(みやこ)を襲わんとするが、大阪で戦死したことがみえる。また、神功皇后のころにも、またその前に景行天皇が九州を征伐したときにも、女土蜘蛛が九州各地、ことに肥前にはたくさんいたことが、「風土記」などにみえている。女土蜘蛛というのも、やはりこうした巫術でもって、部民を統率していた女酋長とみていい。これらの例からみると、それより少し以前の、肥前の平戸島に、こうした女酋長がいて、政治もやり、戦争も指導したということは、きわめてあり得ることである。しかし、それにしても、彼女らは戦場で自ら傷つくほどの、第一線の活躍をしたかどうか。だが、これにも例がある。琉球というところは、今でもそうした巫女の勢力が幾らかのこっている所だが、そこでは古い諺に「ウナグヤ、イクサノ、サキハイ(女や戦の先駆)というのがある。また現に明の弘治十三年(1500)、八重山のアカハチ(赤蜂)が叛いたとき、その討伐軍には、久米島の祝女キミハエ(君南風)という者が従軍して功を建てた有名な例がある。この戦争では叛軍のほうでもたくさんの巫女が戦死している。近年複製出版された寛元二年(1244)の漂流記「漂到琉球国記」には、この漂流船の乗員と一戦を交えようとして、小舟を艤して出動する琉球軍の活動がいきいきと描かれているが、弓や刀や盾を持った琉球戦士の中に、ただ一人、額に日蔭のかつらをつけ呪具とおぼしき飾りつきの矛をもった女性の、先頭とはいえないが、最も近景の舟上に立つ者が描かれている。この絵ははなはだ写実的で、祝女従軍の光景はこれで遺憾なくわかる。
銅鏃を頭に受けた平戸の女性は、このようにして戦った巫女の女酋長であったと推理する。」
「発掘より推理する」
ISBN-10: 4006031300
ISBN-13: 978-4006031305
金関丈夫
2016年9月2日金曜日
20160902 岩波書店刊 クロード・ベルナール著 「実験医学序説」pp.112ー114より抜粋引用
「物理学者と生理学者は、一方は無機体内に起る現象を研究する者であり、他は生物内で行われる現象を研究する者として相互に区別されるが、その到達しようとする目的に至っては、なんら相異なるものではない。
実際また両者はいずれも共通の目的として、現在研究している現象の近接原因に遡ることを期しているのである。
さて我々がここである現象の近接原因と呼んでいるものは、その現象が存在したり、または発現したりするために必要な物質的条件にほかならない。
したがって実験的方法の目的、即ちあらゆる研究の窮極は生物に対しても無生物に対しても全く同一である。
結局ある現象とその近接原因との間の関係を見出すことである。換言すればこの現象の発現に必要な条件を決定することにある。
実際また実験家は、ある現象の存在条件を知るに至ったならば、いわばその現象の支配者になったわけである。
その経過、その発現を予言することはもとより、任意にこれを促進し、また停止させることができる。
実験家の目的はこれで達せられたと言わねばならない。
このようにして彼は科学の力によって、自分の力を自然現象の上にまで拡張したのであった。
そこで我々は生理学を「生物現象を研究し、その現象の発現に関する物質的条件を決定することを目的とする科学」と定義しよう。
我々が各種現象の生起する条件を決定することのできるのも、ただこの分析的方法、即ち実験的方法によるのみであって、この点に関しては生物も無生物もなんら異なるところはない。
何となれば、我々は実験するに当り、いかなる科学においても同様に推理を進めて行くからである。
実験生理学者にとっては、心霊論も唯物論もない。
このような言葉はすでに陳腐な一種の自然哲学に属するものであって、学問の進歩とともにやがて消滅するであろう。
我々は永遠に心霊も物質も知らないだろう。
もしも心霊や物質を認めるに至るならば、いずれの議論も結局は科学の否定に終わるということを証明することができる。
したがってこの種のいかなる考えも明らかに無益徒労である。我々にとっては現象を研究し、それが発現の物質的条件を知り、さらにその間の法則を決定するだけで十分なのである。
物の第一原因は科学の領域を超越した問題である。
このものは無機物の科学においてのみならず、生物の科学においてもまた、永遠に我々の捕捉するところとはならないであろう。
実験的方法は、生命原理の研究などという空中楼閣のものからは必然的に踵を返すのである。
無機力などというものが存在しないと同様に、有機力などというものも存在しないか、或いはまた諸君が欲するならば、いずれも同様に存在すると言って差支えなかろう。
我々が使用している力という文字は、単に言葉の便利のために用いている抽象名詞にすぎない。
力学者にとっては、力は運動をその原因に結びつけた関係である。
物理学者、化学者、生理学者にとってもこれは根本において同様である。物の本質は永遠に我々に知られない。我々は単にこれらの事物の関係を知ることができるのみである。」
「実験医学序説」
ISBN-10: 4003391616
ISBN-13: 978-4003391617
実際また両者はいずれも共通の目的として、現在研究している現象の近接原因に遡ることを期しているのである。
さて我々がここである現象の近接原因と呼んでいるものは、その現象が存在したり、または発現したりするために必要な物質的条件にほかならない。
したがって実験的方法の目的、即ちあらゆる研究の窮極は生物に対しても無生物に対しても全く同一である。
結局ある現象とその近接原因との間の関係を見出すことである。換言すればこの現象の発現に必要な条件を決定することにある。
実際また実験家は、ある現象の存在条件を知るに至ったならば、いわばその現象の支配者になったわけである。
その経過、その発現を予言することはもとより、任意にこれを促進し、また停止させることができる。
実験家の目的はこれで達せられたと言わねばならない。
このようにして彼は科学の力によって、自分の力を自然現象の上にまで拡張したのであった。
そこで我々は生理学を「生物現象を研究し、その現象の発現に関する物質的条件を決定することを目的とする科学」と定義しよう。
我々が各種現象の生起する条件を決定することのできるのも、ただこの分析的方法、即ち実験的方法によるのみであって、この点に関しては生物も無生物もなんら異なるところはない。
何となれば、我々は実験するに当り、いかなる科学においても同様に推理を進めて行くからである。
実験生理学者にとっては、心霊論も唯物論もない。
このような言葉はすでに陳腐な一種の自然哲学に属するものであって、学問の進歩とともにやがて消滅するであろう。
我々は永遠に心霊も物質も知らないだろう。
もしも心霊や物質を認めるに至るならば、いずれの議論も結局は科学の否定に終わるということを証明することができる。
したがってこの種のいかなる考えも明らかに無益徒労である。我々にとっては現象を研究し、それが発現の物質的条件を知り、さらにその間の法則を決定するだけで十分なのである。
物の第一原因は科学の領域を超越した問題である。
このものは無機物の科学においてのみならず、生物の科学においてもまた、永遠に我々の捕捉するところとはならないであろう。
実験的方法は、生命原理の研究などという空中楼閣のものからは必然的に踵を返すのである。
無機力などというものが存在しないと同様に、有機力などというものも存在しないか、或いはまた諸君が欲するならば、いずれも同様に存在すると言って差支えなかろう。
我々が使用している力という文字は、単に言葉の便利のために用いている抽象名詞にすぎない。
力学者にとっては、力は運動をその原因に結びつけた関係である。
物理学者、化学者、生理学者にとってもこれは根本において同様である。物の本質は永遠に我々に知られない。我々は単にこれらの事物の関係を知ることができるのみである。」
「実験医学序説」
安部公房 ・渡邊格 対談完全版
2016年9月1日木曜日
20160901 興味関心の変化・・?
A「本日は久しぶりに若干早く帰宅することが出来ました。
とはいうものの、本日分のブログ記事の主題については特に考えておりませんでしたので、現在またこうして記しながら何かしら考えていこうと思います・・(笑)。
そういえば、昨日投稿のブログ記事もまた、おかげさまで投稿2日目にしては多くの方々に閲覧して頂きました。
どうもありがとうございます。
そして、その主題である渋谷について思い起こしてみますと、祖父が一時期渋谷に住んでいたと聞いたことがあります。
但し、渋谷といいましても、少し西に外れた辺りであり、通っていた学校の近くであったからとのことでした・・・。
また、私自身の記憶としては、かつて90年代、明治神宮前~渋谷~代官山周辺には当時の流行の先端、発信源とされる洋服店が数多くありました。
そして現在、それらの場所に行ってみますと、継続して営業している店、移転した店、閉店した店など様々ありますが、私見としましては、概ね、どうも90年代のような熱気、活気といったものは感じることが出来ません・・いや、それは実は私(の内面)が変化したからであるのでしょうか・・?
とはいえ、当時、この周辺に数多く存在し、それぞれ個性を競っていた洋服店に置いてある様々な洋服、雑貨等から強く外国(多くはアメリカ)の文化を感じさせ、それに対し(私は)強い憧れを抱いておりました・・。
そして、チノクロスパンツ、オックスフォード生地のボタンダウンシャツといった現在ではありふれた洋服からも当時(の私)は、日常とは異なる、外国、異文化の香りを感じていました・・。
しかし現在において、こうした洋服はそのカタチ、作りは我が国大手メーカーにて販売されているものと(一見)大差なく、またその値段は国産メーカーのものの方がはるかに安価であるため、特に強くは購入したいとは思いません・・。
あるいはかつてに比べ、洋服など服飾品に対する興味関心が薄れていったのかもしれません・・。
そして現在、その興味関心の対象とは、一体何へと変化していったのでしょうか・・?
それは読書であるのかもしれませんが、これは「そうである。」と断言することはどうも難しいです・・。
・・何故ならば、私の読書への興味とは、その淵源を遡ると洋服、服飾品に対する興味よりも大分以前に遡るからであり、それは「興味の対象が変化した」と表現するよりも「読書の興味へと収斂していった」とした方が精確であるということになると考えるからです・・。
そして、そこからの紆余曲折の結果、現在このようにブログ記事を記しているのかもしれません・・(笑)。
しかしながら、そこで思うことは「こうしたことは果たして進化・発展なのであろうか?あるいは退化といった表現の方が適切なのであろうか?」ということです・・(苦笑)。
こうしたことも未だによく分かりません・・(苦笑)。
とはいえ、現在まで一応このようにブログ記事作成を継続出来ているということは、そのかなりの部分をこれまでの読書、研究での経験に負っているものと考えますので、それと同様、かつて強く興味を持っていた洋服、服飾品における経験も、何らかのカタチで、現在のブログ記事作成に寄与しているではないかとも思います・・。
少なくとも、苦慮しておりました本日作成分の記事をここまで記すことが出来ましたので・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早急な復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
とはいうものの、本日分のブログ記事の主題については特に考えておりませんでしたので、現在またこうして記しながら何かしら考えていこうと思います・・(笑)。
そういえば、昨日投稿のブログ記事もまた、おかげさまで投稿2日目にしては多くの方々に閲覧して頂きました。
どうもありがとうございます。
そして、その主題である渋谷について思い起こしてみますと、祖父が一時期渋谷に住んでいたと聞いたことがあります。
但し、渋谷といいましても、少し西に外れた辺りであり、通っていた学校の近くであったからとのことでした・・・。
また、私自身の記憶としては、かつて90年代、明治神宮前~渋谷~代官山周辺には当時の流行の先端、発信源とされる洋服店が数多くありました。
そして現在、それらの場所に行ってみますと、継続して営業している店、移転した店、閉店した店など様々ありますが、私見としましては、概ね、どうも90年代のような熱気、活気といったものは感じることが出来ません・・いや、それは実は私(の内面)が変化したからであるのでしょうか・・?
とはいえ、当時、この周辺に数多く存在し、それぞれ個性を競っていた洋服店に置いてある様々な洋服、雑貨等から強く外国(多くはアメリカ)の文化を感じさせ、それに対し(私は)強い憧れを抱いておりました・・。
そして、チノクロスパンツ、オックスフォード生地のボタンダウンシャツといった現在ではありふれた洋服からも当時(の私)は、日常とは異なる、外国、異文化の香りを感じていました・・。
しかし現在において、こうした洋服はそのカタチ、作りは我が国大手メーカーにて販売されているものと(一見)大差なく、またその値段は国産メーカーのものの方がはるかに安価であるため、特に強くは購入したいとは思いません・・。
あるいはかつてに比べ、洋服など服飾品に対する興味関心が薄れていったのかもしれません・・。
そして現在、その興味関心の対象とは、一体何へと変化していったのでしょうか・・?
それは読書であるのかもしれませんが、これは「そうである。」と断言することはどうも難しいです・・。
・・何故ならば、私の読書への興味とは、その淵源を遡ると洋服、服飾品に対する興味よりも大分以前に遡るからであり、それは「興味の対象が変化した」と表現するよりも「読書の興味へと収斂していった」とした方が精確であるということになると考えるからです・・。
そして、そこからの紆余曲折の結果、現在このようにブログ記事を記しているのかもしれません・・(笑)。
しかしながら、そこで思うことは「こうしたことは果たして進化・発展なのであろうか?あるいは退化といった表現の方が適切なのであろうか?」ということです・・(苦笑)。
こうしたことも未だによく分かりません・・(苦笑)。
とはいえ、現在まで一応このようにブログ記事作成を継続出来ているということは、そのかなりの部分をこれまでの読書、研究での経験に負っているものと考えますので、それと同様、かつて強く興味を持っていた洋服、服飾品における経験も、何らかのカタチで、現在のブログ記事作成に寄与しているではないかとも思います・・。
少なくとも、苦慮しておりました本日作成分の記事をここまで記すことが出来ましたので・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早急な復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年8月31日水曜日
20160831 過去と現在のギャップ
A「通常でしたら、職務のことについてブログ記事には記さない方針ではあるのですが、本日は少し書いてみようと思います。
本日は、実家周辺を廻ったのち、一度出社し、資料(しりょうと変換するとはじめに試料と出てくる・・(笑)。)をそろえた後、御茶ノ水に行き、そして飯田橋までJR総武線にて移動し、そこから徒歩にて半蔵門まで行き、地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷まで行きました。
渋谷は相変わらずの大変な雑踏でしたが、これにも随分と慣れ、目的とする場所に着きました。
そして、この目的地にて伺ったお話しが極めて興味深く、途中、民俗学を専攻していた時の習性からか、これを録音したいという衝動に駆られました・・(笑)。
この時伺ったお話しとは、主に当地域の過去についてのことであり、その中には高名な歌人、作家等が出てきて、それはこれまでに読んだ、どの評伝等書籍に記されていないことであり、大変興味深いものでした(あたかも山田風太郎の開化物の小説のように)。
そして、それは、まさしく、かつてのこの地域の土着文化の記憶についてであり、また、それと同時に、それはこれまで私があまり扱ったことのない、東京(渋谷周辺)についてのものであったため、そのように感じたのではないかとも思われます・・。
面白いことにこうしたお話しをひとしきり伺うと、私は少し酔った、興奮したような状態になり、そこを辞し、そのままの状態にて再び渋谷の街の雑踏に呑み込まれ、歩きはじめました(そういえば、こうした状態とは、和歌山在住時のヒアリングの際は度々ありました。)。
そうした酔い、興奮が冷めやらない状態にてテレビ番組の収録にて、大物お笑い芸人を囲んだ人だかりに出くわし、その横を通ることになりましたが、それはあまり眼中に入らず、一瞥ののち、歩みを緩めず、そのまま通り抜けました・・。
そしてそのまま歩いていると、不図「こうした私の状態とは、もしかするとフェデリコ・フェリーニ監督の映画「ローマ」の狂言回しのようであるかもしれない・・。」と思いました・・。
この時に私が感じたのは、この渋谷という場所における過去と現在の強烈なギャップであったと考えます。
通常、我々は、そうしたことを日常生活において特に意識しておりませんが、上に示すような契機(過去と現在のギャップ)により、そうしたことを強く感じますと、その思いとは一時的にではあるかもしれませんが、人の心を支配するのではないかと思います・・。
あるいはまた、異郷在住時の不図した契機にて惹起される郷愁の念なども、それと類似する性質を持っているのではないかと考えられますが如何でしょうか・・?
そして、そこから下に示す筑摩書房刊・橋川文三著「ナショナリズム」からの一節です。
『このような形成過程からも想像されるように、郷土感情の方は人間のパーソナリティの内部に深く潜在しており、何かの折にふれて湧然とよみがえるという場合が多い。
ミヘルスの伝えているエピソードであるが、フランス軍に加わっていたスイスの傭兵隊は、しばしば異常な郷愁のパニックにおそわれ、算を乱して脱走、帰郷していったことがあるという。そのため、スイスの民謡のあるものを歌うことは、死刑によって禁止されていたともいう。』
我々の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。
あるいはまた、こうしたことは、以前のブログ記事にて記しましたゲーテがローマ滞在時に法王庁の役人から聞いたという『人間は始終心の中に様々な考え、想念を持っていないと(意識が分裂していないと)おかしくなってしまう。』の意味合いにも通じる何かがあるのかもしれません・・。
しかし一方、様々な音楽、芸術といったものは、どちらかというと我々を感動させ、そして心を統一させるような性質がその根源にあるのではないかと思われます。
そうしますと、我々の意識とは、分裂しているぐらいの状態が日常生活をおくる上においては適しているのでしょうが、時には音楽、芸術などによって、その統一を図る習慣を持っていないと、時によっては重要なそうした心の状態(統一された)あるいはそれに至る方法を忘れてしまい、結果として、心そのものが荒廃、劣化してしまうのではないかとも考えさせられますが如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
本日は、実家周辺を廻ったのち、一度出社し、資料(しりょうと変換するとはじめに試料と出てくる・・(笑)。)をそろえた後、御茶ノ水に行き、そして飯田橋までJR総武線にて移動し、そこから徒歩にて半蔵門まで行き、地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷まで行きました。
渋谷は相変わらずの大変な雑踏でしたが、これにも随分と慣れ、目的とする場所に着きました。
そして、この目的地にて伺ったお話しが極めて興味深く、途中、民俗学を専攻していた時の習性からか、これを録音したいという衝動に駆られました・・(笑)。
この時伺ったお話しとは、主に当地域の過去についてのことであり、その中には高名な歌人、作家等が出てきて、それはこれまでに読んだ、どの評伝等書籍に記されていないことであり、大変興味深いものでした(あたかも山田風太郎の開化物の小説のように)。
そして、それは、まさしく、かつてのこの地域の土着文化の記憶についてであり、また、それと同時に、それはこれまで私があまり扱ったことのない、東京(渋谷周辺)についてのものであったため、そのように感じたのではないかとも思われます・・。
面白いことにこうしたお話しをひとしきり伺うと、私は少し酔った、興奮したような状態になり、そこを辞し、そのままの状態にて再び渋谷の街の雑踏に呑み込まれ、歩きはじめました(そういえば、こうした状態とは、和歌山在住時のヒアリングの際は度々ありました。)。
そうした酔い、興奮が冷めやらない状態にてテレビ番組の収録にて、大物お笑い芸人を囲んだ人だかりに出くわし、その横を通ることになりましたが、それはあまり眼中に入らず、一瞥ののち、歩みを緩めず、そのまま通り抜けました・・。
そしてそのまま歩いていると、不図「こうした私の状態とは、もしかするとフェデリコ・フェリーニ監督の映画「ローマ」の狂言回しのようであるかもしれない・・。」と思いました・・。
この時に私が感じたのは、この渋谷という場所における過去と現在の強烈なギャップであったと考えます。
通常、我々は、そうしたことを日常生活において特に意識しておりませんが、上に示すような契機(過去と現在のギャップ)により、そうしたことを強く感じますと、その思いとは一時的にではあるかもしれませんが、人の心を支配するのではないかと思います・・。
あるいはまた、異郷在住時の不図した契機にて惹起される郷愁の念なども、それと類似する性質を持っているのではないかと考えられますが如何でしょうか・・?
そして、そこから下に示す筑摩書房刊・橋川文三著「ナショナリズム」からの一節です。
ISBN-10: 4480096876
ISBN-13: 978-4480096876
P.28『このような形成過程からも想像されるように、郷土感情の方は人間のパーソナリティの内部に深く潜在しており、何かの折にふれて湧然とよみがえるという場合が多い。
ミヘルスの伝えているエピソードであるが、フランス軍に加わっていたスイスの傭兵隊は、しばしば異常な郷愁のパニックにおそわれ、算を乱して脱走、帰郷していったことがあるという。そのため、スイスの民謡のあるものを歌うことは、死刑によって禁止されていたともいう。』
我々の心とはなかなか面白いものです・・(笑)。
あるいはまた、こうしたことは、以前のブログ記事にて記しましたゲーテがローマ滞在時に法王庁の役人から聞いたという『人間は始終心の中に様々な考え、想念を持っていないと(意識が分裂していないと)おかしくなってしまう。』の意味合いにも通じる何かがあるのかもしれません・・。
しかし一方、様々な音楽、芸術といったものは、どちらかというと我々を感動させ、そして心を統一させるような性質がその根源にあるのではないかと思われます。
そうしますと、我々の意識とは、分裂しているぐらいの状態が日常生活をおくる上においては適しているのでしょうが、時には音楽、芸術などによって、その統一を図る習慣を持っていないと、時によっては重要なそうした心の状態(統一された)あるいはそれに至る方法を忘れてしまい、結果として、心そのものが荒廃、劣化してしまうのではないかとも考えさせられますが如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
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