pp.40-42より抜粋
ISBN-10 : 4794204914
ISBN-13 : 978-4794204912
二つのアウトサイダー ー日本とロシア
十六世紀には、ほかに二つの国家がー国力の点で明やオスマン・トルコやムガル帝国とはくらべるべくもなかったがー政治的統一と経済成長を実現しかけていた。極東では日本が、隣の巨大な中国が衰えかけていたまさにそのとき、大きく一歩を踏み出していた。地理的な位置が(イギリスと同じよう に)、日本にとっては第一の戦略的資産だった。孤立した島国であるおかげで、日本は陸路による侵略を 免れることができたが、中国のほうはそうはいかなかったからだ。だが、島国日本とアジア大陸とのあいだに広がる海は両者をまったく隔てているわけではなく、日本の文化や宗教の大部分は、古い歴史をもつ大陸の文明から取り入れられたものだった。しかし、中国が統一的な官僚機構によって動かされていたのにたいし、日本の権力は氏族に基盤をおく多くの封建領主の手に分散されていて、天皇の権威はほんのかたちばかりでしかなかった。十四世紀には中央集権的な支配体制が存在したが、その後は領主がおたがいに争う時代がつづいた。このころの日本の状況は、同時代のスコットランドに似ている。これは貿易や商業にとって理想的な環境とはいえないが、そのために経済活動が大幅に阻害されることもなかった。海でも陸でも、企業家は戦国領主や成り上がりの権力者たちと競いあっていた。いずれも東アジアの海上貿易からあがる利益に目をつけていたからである。日本の海賊は中国や朝鮮の沿岸を荒らしまわり、同時に日本人は機会をとらえて、西欧のポルトガルやオランダから訪れた商人たちと喜んで商品を交換した。キリスト教の布教者や西欧の物資は、外国にたいして冷ややかで自己満足的な姿勢を崩さなかった明帝国を相手にした場合よりもずっと容易に日本の社会に浸透していった。
この活気に満ちた動乱の時代のすぐあとにつづくのが、西欧から輸入された武器が活用される時代である。世界のどこでも同じだが、大量のマスケット銃やさらに決め手となる大砲を手に入れることのできた個人や集団が、当然権力を握ることになる。日本では、この結果、偉大な戦国領主である豊臣秀吉が全国統一をはたし、さらに野望を燃やして二度にわたって朝鮮征服を試みた。だが、朝鮮出兵は失敗に終わり、一五九八年に秀吉が死ぬと、内戦の危機が再び日本を襲う。しかし、数年もしないうちに、家康とその後継者である歴代の徳川将軍が政権を掌握し、その後はこの中央軍事支配がゆるぎようもなくなった。
多くの点で、日本の徳川幕府は、その前の世紀に西欧で起こった「新しい絶対君主」と同じ性格をもっていた。だが、いちばん大きなちがいは、将軍に率いられた幕府が海外での領土拡張を避けていたことだった。それどころか、文字どおり外部の世界との接触をすべて絶ってしまったのである。一六三六年に遠洋航海用の船の建造が中止され、日本人は外洋への航海を禁じられた。ヨーロッパ人との貿易は、許可を受けて長崎の出島を訪れるオランダ船相手のものだけに限られ、それ以外との交易は行なわれなくなった。それより以前に、(外国人であろうと日本人であろうと)すべてのキリスト教徒が、将軍の命令で無残に殺害されている。徳川幕府がこうした極端な政策をとった動機が、絶対的な支配権を確立することにあっ たのは明らかだ。外国人やキリスト教徒は、支配者に背く可能性があると見なされたのである。もちろん、他の封建領主もまた幕府に反抗する可能性がある。だからこそ、領主たちは一年のうち半分を首都で過ごすことを義務づけられ、あとの半年は領地で暮らすことを許されたものの、そのあいだ家族は江戸(東京)に事実上の人質としてとどまっていなければならなかった。
だが、上から強制されたこの統一支配も、それ自体は経済発展を阻害するものではなく、またさかんな芸術活動を阻むものでもなかった。全国が平和であれば商売に都合がよく、都市をはじめとして全国の人口は増加し、現金の使用が増えるにつれて商人や銀行家の重要性が高まった。しかし、銀行家はイタリアやオランダやイギリスの同業者が享受していたような社会的・政治的地位を獲得することはできなかった。また、日本人が世界の他の地域で発展していた技術や産業の成果を学んだり、取り入れたりすることができなかったのも確かである。明王朝と同じく、徳川幕府は、多少の例外はあれ、意図的に他の世界から隔絶することを選んだ。このために日本国内の経済活動が停滞することはなかったかもしれないが、他と比較しての日本の国力が損なわれることにはなった。貿易を嫌い、旅行を禁じられ、また儀式以外には武器を誇示することも禁じられて、領主に仕える武士は堅苦しい退屈な生活をおくっていた。軍事組織は二世紀のあいだに硬直化してしまい、一八五三年にベリー提督の有名な「黒船」がやってきたとき、仰天した幕府はなすすべもなくアメリカの要求に従って、石炭などの補給品を提供するしかなかったのである。
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