2026年6月14日日曜日

20260613 株式会社講談社 講談社学術文庫 竹山道雄著「歴史的意識について」 pp.14‐26より抜粋

株式会社講談社 講談社学術文庫 竹山道雄著「歴史的意識について」
pp.14‐26より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 406158622X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061586222

 月日がすぎてゆくにつれて、「昭和の動乱」はあの前後十余年間の個々の現象だけをとりあげていたのでは、真相は分らない、と思うようになった。
 あれが何であったかを説明するために、ひろく読まれた『昭和史』は「天皇制ファシズム」という仮説を設けた。また東京裁判は「全面的共同謀議」という仮説を設けた。そして、この枠に合致させるべく材料が取捨按配された。
 しかし、「天皇制ファシズム」にせよ「全面的共同謀議」にせよ、そんなものはどちらもなかったのである。
 争闘とか戦争とかいうものは、そのいちばん根本をたずねてゆけば、結局は生物としての人間の本然に由来するので、歴史上どこでもつねに絶えることなく、まことに人の世は修羅道であるという感に堪えない。が、今はそこまでは遡らず、「昭和の動乱」に限っても、もっと全体の位置と形勢を考えなくてはならないと思う。ここではもとよりそのごく輪郭だけを。ー
 日本は無資源で、貧しく、人口過剰だった。あの動乱がはじまる前に、オーストラリアの新聞に「日本は増加する人口の圧力で蒸気機関が内から破裂しはしないか」と論ぜられているとて、問題になったことがあった。教育程度は高かったけれども、資本と近代技術がなかった。すでに大植民地をもって世界中を支配して富強だった先進国とちがって、後発国で、土台が弱くて余裕がなく、選択肢がせまかった。しかも、五大国の一であると自己過信をしていた。
 あのころ世界はずっと弱肉強食の帝国主義だった。それはまだ不道徳と感じられてはいなかった。イギリスがその先達で、あれが文明の絶頂であると信ぜられ、他国はイギリスとどのくらい距離があるかをもって文明度の順位がはかられた。
 日本はせっせとそのあとを追って真似をした。イギリスはビクトリア女王の治世だけで六十度も戦争したそうで、すでにアフリカからインドから南太平洋を領有していながら、さらにシナを蚕食しはじめた。フランスはおなじくアフリカから仏領インドシナからもっと東を、オランダはインドネシアを、領有していた。かれらの植民地化の領土拡張は、生きるためのやむをえぬ進出ではなくて、むしろ一種の使命感の満足であり、ほとんど道楽のようなものだった。自分たちが世界を支配するのが天然自然の理であると疑わなかった。その偉大と栄光をかがやかしめることがむしろ道徳だった。戦前にシナ各地の各国の租界を見た者は、日本がその間にわりこもうとしたことが、あの当時の規準にてらしてとくに貪欲だったとは考えまい。日本は人並み外れだったのではなく、むしろ人並みになろうとしていたのだった。近代化するとは富国強兵の帝国主義化することだった。それに対する、ナショナリズムに目醒めたシナ人の怨恨は十分に分ることだが。
 やがて世界規模の経済危機がはじまった。英連邦は、持てる領域をブロック化した。他国もこれをはじめた。あの富んだアメリカにさえ失業者が溢れたのだから、貧しい日本ははなはだ苦しんだ。満州事変は満州駐屯の関東軍の陰謀だったのではあったが、国民は「軍に感謝をして」、ここに日本も自分のための経済ブロックをうちたてようとした。内外からの圧力が加わって弱いところに破れでたのだった。
 世界経済危機は一九二九年からはじまったが、共産主義の脅威はそれよりもっと前からだった。これも世界各国に大インパクトをあたえた。それには内憂と外患とあった。内憂は内から掘り崩されることだったし、外患は五ヵ年計画による全体主義の圧迫だった。これに対抗するために、ソ連に隣接するほとんどすべての国、接していなくてもスペインや南米諸国などが反動化し、イギリスにもモズレー、フランスにもラ・ロック、アメリカにもカフリンなどのファシストが輩出した。
 日本もこの問題に直面した。国内は思想問題で大動揺をした。関東軍はあの勢力に隣接して睨みあって、互いに権謀をたたかわしていた。軍は全体主義に対抗するためには、こちらも乏しい力を結集して総力戦時代にそなえなくてはならぬと痛感した。失業者はあふれ、農村は疲弊し、工場の争議も小作争議もあいついだ。思想界はほとんどマルキシズムによって占められた。
 後発国がむりにむりを重ねた。もしそれをしなければ、アジア諸国のように他国の支配に従属しなければなかった。ーこれらのことは「昭和の動乱」のはなはだ重大な背景であり、これを抜きにして考えることはできない。
 日本は真空の中にいたのではなかった。このような状況の中をあがいて、歴史は右往し左往してすすんでいった。
 国の内外の錯綜した危機にあたってそれに対処すべき日本の主体は、たまたま議会民主主義だった。これが未熟だった。議会民主主義とは豊かな余裕のある国で平時にのみ機能しうる一種の贅沢品なのかもしれない。西園寺公の近代化設計は時期がすこし早すぎたのかもしれない。公自身も晩年に「やはり国は、その国民以上のものにはなれぬものか」と嘆息している。(スイスのような特別な国は別として、危機にあたって議会民主主義がうまくいっていたところがあっただろうか?ワイマール憲法下のドイツはもとより、チェンバレンのイギリスもダラジエのフランスもみな失敗した)。日本では、政争苛烈で汚職があいつぎ、ジャーナリズムが放肆で暗殺が頻発した。
 経験に富み思慮のふかい人々が、外には戦争を防ぎ内には革命を防ぐべく努力をしていた。もしこの人々が奉ずるイデオロギーが権威をもちつづけることができたら、国はあるいはスペインとはちがった形で中立を保って、大戦の惨禍から免れる可能性もあったと思われるが、その人々は当時の世界に伝染した傾向的集合表象(別出)に憑かれた若い将校たちによって殺されてしまった。
 歴史の中では、同じ状況が二度くりかえすということはない。「昭和の動乱」はあの状況の中でおこったことであり、種々さまざまな原因が絡みあってついにあの破局に達したのであって、歴史上にただ一回の事実だった。

いくつかの疑問
 私は日本無罪論を唱えるつもりはないけれども、裁判には異様な無理があったことを感ぜずにはいられない。それについてのいくつかの疑問を記す。大部分は、東京裁判判決書の冒頭の管轄権の部分に関することである。
 といっても、私は国際法といったようなことについてはまったく無知なので、さだめし誤りもあるだろうけれども、いまは一普通人の疑念を記して、蒙をひらいてほしいと願うのである。
 『月曜評論』誌に、富士信夫氏が東京裁判傍聴記を連載していられる。すでに四十一回に及んでいる。裁判の過程をくわしく報じて論評したもので、これが完結したらこの問題についての認識が大いに深まるものと思う。

疑問その一、事後法
 法の不遡及ということについては、日本側の主張に対して、「その問題は後回しにする」と留保したまま、ついに答えはなかった。これでは裁判の成立自体の根拠があやしい。もしこの点についての結着がつかないままでいるならば、たとえ日本が東京裁判を全面的に否定しても、論理的にはその否定がなりたつことであろう。
 キーナン検事の冒頭陳述は、感情的な道徳論といったような傾向がつよい。これに対して、 清瀬弁護人の管轄権論争は法理論としてははるかに理が通っているように思われるが、どういうものであろうか。裁判全体が戦後心理に支配されて感情にかられている。
 私が知ったオランダのローリング判事はこういう主張だった。ー法の不遡及ということは法廷の恣意をふせぐための市民的慧知であり、未来の戦争をなくするという現在の大課題の前には二次的なものである。ふたたび戦争が起こらないようにするためには、あらゆる方法をとらなくてはならない。ー
 ローリング氏の言うことだけれども、この説には首を傾げた。この「今後の戦争をふせぐため」の教育手段としての懲罰ということは、キーナンもしきりに唱えている。
 しかし、もし勝利者が新しい法をつくって敗者を裁くということになれば、それは勝者の正義ー勝てば官軍ということになるだろう。戦犯であるかどうかは勝った者がきめるという恣意になる。もしヒットラーが勝ったら、チャーチルやルーズベルトが犯罪人ということになっただろう。
 現に、チャーチルの回想録には、イギリス戦時内閣が成立したときのことを記して、 ーこれで、万一敗戦の場合にはロンドン塔で斬首される者の顔触れがそろった、とある。
 ローリングさんは尊敬すべき人格者で私は大好きな人柄だが、話していてときどき、ふしぎに空想的な言葉を洩らすことがあった。(たとえば、もし上官の命令が平和に反するものであると考えたときには、文武を問わず、下僚はそれに不服従の義務がある、という法を制定すべきだ、というごとき)。この人は、国連の何とか平和委員会の長だったので、今はその後任を坂本義和氏がついでいる。
 戦後十年たって、オランダのフローニンゲンに同氏を訪ねたら、感慨をこめて言っていた。「東京裁判はあやまりだった。今だったらインド人のパルのように考えるだろう。通常戦犯は罰せられるが、政策樹立者たちを犯罪に問うべきではなかった。あの頃には、ルーズベルトのような思想がゆきわたっていて、ソ連と協力しようという空気だった」。
 右のソ連との協力ということを根拠づけるものに、一九四三年十月に発表された米英ソ三国のモスクワ会談の共同コミュニケがある。ーそれは「三国政府は、それぞれ自国の国家的利益とすべての平和愛好国の利益のために戦争遂行に対して設定された、今日の密接な協力を、軍事行動の終った後にも継続することを重要であるとし、かような方法によってのみ、平和を維持し、各国の政治・経済・社会的福利の完全な発達を成就しうるということに一致した」というのである。
 このソ連との協力を果して新しい世界秩序をうちたてるべく、事後法によって日本を罰した。
 このことはそれまでの歴史の経験から生れていた。第一次大戦後には、少数民族の自決によって世界平和を樹立しようとしたが失敗した。この経験から、第二次大戦の末期に南阿のスマッツ将軍が「世界の平和を保つためには力をもった大国が抑える他にはない」と演説したことは、当時の日本の新聞でも読んだ記憶がある。東京裁判は大国の共同制覇によって世界平和を維持しようという気運から生れたものだったが、結局はこれはフィクションだった。現実には、もうすでにこの頃に米ソの確執がはじまっていた。モロトフの「永遠のニエット」がすべてをだめにしてしまっていた。
 事後法の問題は裁判の成立を疑わせるが、さらにまた裁判は、全面的共同謀議があったという前提の上になりたっている。しかし実際にはそんなものはなかった。これもやはり裁判の成立を疑わせるものではないかと思うが、これについては後に考えたい。

疑問その二、一般的な正義の原則とは
 判決文には、東京裁判はニュルンベルク裁判の原則をそのまま踏襲した、とある。ここにさまざまな無理が生れた一因があったと思われる。
 判決文が引用しているところによると、そのニュルンベルク裁判の意見は次のようである。ー「法なければ正義なし」という法律格言は・・・一般的な正義の原則である。条約や誓約を無視して、警告なしに、隣国を攻撃した者を処罰するのは不当であると主張することは、明らかに間違っている。なぜなら、このような事情のもとでは、攻撃者は自分が不法なことをしていることを知っているはずであり、従って、かれらを処罰することは、不当であるどころではなく、もしかれの不法行為が罰されないですまされるならば、それこそ不当である。
 そして、本(東京)裁判所は、ニュルンベルク裁判所の意見であって本件に関連のあるものには、無条件の賛意を表するものであるー。
 このように判決文は、東京裁判は一般的な正義の原則によって裁いた、と言っている。これは重大である。
 もし一般的な正義の原則を基準として謝るならば、古今 に無罪の国は一つもあるまい。
 普遍道徳は、ある特定の時期や特定の事情によって別なものになることはない。一九二八年のケロッグ・ブリアン協商の不戦条約以前に行われた侵略とそれ以後に行われた同性質のそれとが、一方は是認されるが他方は否認されるということはない。かつて英仏蘭などの先進国が、力と権略によって侵略して大植民地を獲得して搾恥したことと日本が行った侵略とが、差別されるはずはない。神の目からみれば、一般的正義の原則はどちらにも等しかるべきものである。アヘン戦争その他無数のことをやったイギリス(アヘン戦争は自由貿易の原則の名において行われ、当時は自国の商品を買わない国があると砲艦をおくっておどかした)が、いかなる一般的な正義の原則によって日本を裁くのか?
 一九二八年当時には先進国は大特権を擁していた。この現状を変更するをゆるさぬということは、たしかに平和の維持ではあったが、また現状を固定するのが正義であるということはたいへん好都合なことでもあった。近代戦争の惨害がはなはだしいから、平和が唯一の正義となったのだったが、この正義は同時に不正義でもあった。それは先発国の利益を固定して、後発国を窒息させる大義名分ともなった。戦時中の西田、和辻の諸賢哲の肯定論は、みなこの観点に立っている。
 またカイロ宣言にも、「三国の目的は、日本国より一九一四年の第一次大戦の開始以後に於て、日本国が奪恥しまた占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を剝奪すること・・・」とあるが、どういうわけで一九一四年以後という区切りがつけられたのだろう。奪取占領は、それまでにご自分がさかんにやっていたのだが。
 遺憾きわまることであるが、平和かならずしも正しくはなく、戦争かならずしも不正ではない。不利な国はいかに働いても窒息するばかりという平和は正しくはないし、日清や日露は不正ではなかった。スターリンの大祖国戦争も。
 一般的な正義の原則が事後法をつくるということは、筋が通らないだろう。
 ヒットラーが行ったような天人共に許さざるような所業も、じつは国際法で裁くことはできないものではないかと疑う。ナチスを裁いたのは結局は勝者の力であった。勝者の力が「一般的正義の原則」を適用したのだった。勝たなければ裁けなかった。勝敗にかかわらず罰しうる国際法なるものは存在しない。ヒットラーの所業は、われわれの正義感からいえば、極秘に処してもなおあきたらないものであるが、しかしそれを裁く者は結局は力しかない。ーこれはこの創造世界の中の解きえざる謎の一つである。

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