2022年7月28日木曜日

20220728 早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」3死の島々 pp.217‐218より抜粋

早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」
3死の島々 pp.217‐218より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504369
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504366

渡辺中佐は悲しみにうちひしがれながら、山本の遺体の火葬の指図にあたった。遺骨はパパイヤの葉をしいた小さな木箱に収めた。トラックで戦艦〈武蔵〉にそれを安置し、祖国への悲しい旅に移った。五月二十一日にこの超巨大戦艦は東京湾に到着し、ラジオアナウンサーが涙に詰まった声で、山本が「機上において壮烈な戦死を遂げた」ことを国民に伝えた。提督の遺骨は二つの骨つぼに分けられ、二つの式に向けられた。一つは山本の郷里の長岡へ、もう一つは国葬へ。国葬は六月五日に挙行された。この日はもう一人の日本海軍の英雄、東郷元帥の国葬の記念日でもあった。百万の市民が、その行列を見ようと東京の街路上に並んだ。渡辺中佐は将棋の相手であった山本提督の軍刀を携え、遺骨の安置された砲兵弾薬車の真後ろを歩いた。その遺骨は多摩墓地に埋葬された。

 山本の後任者の古賀峯一提督は、「山本の前に山本なく、山本の後に山本なし」と言った。

 戦争の最大の英雄の悲劇の死は、日本国民にとって、忍びがたい打撃であった。しかもアメリカがアリョーシャン列島のアッツ島を奪回したという気がめいる発表が直後に続いた。宣伝家たちはアラスカのこの荒涼たる島の上で倒れた二千三百五十一人の戦死を一大叙事詩にうたい、これを「国民の敢闘精神高揚への最高の刺激剤」たらしめようとした。

 しかし天皇自身はこの玉砕を深く悲しまれた。天皇は杉山参謀総長に「今後は作戦開始前に相当な成功の機会を見通してから行なうように」と言われ、蓮沼侍従武官長の前で次のように細かく心中を打ち明けられた。

「彼ら(参謀総長と軍令部総長)はそのような状況が起ることえお予測すべきであった。しかるに、五月十二日に敵が上陸して来た後に対策を講じ、それに一週間を要している。濃霧についてなにか言及しているが、霧については当然あらかじめわかっていたはずだ。・・・海軍と陸軍とはほんとうに腹を割って話し合っているのか。どうも一方が不可能な要求を出し、他方が無責任にそれを引き受けると約束しているように見えてならない。いやしくも両者が同意したら、これを完遂しなければならない。もし彼らが互いに約束したことを実行しえない場合には、初めに約束した時点よりも事態は悪くなる。もし陸海軍の間に軋轢があるならば、この戦争の成功はおぼつかない。両者は作戦を計画するにあたり、互いに完全に打ち明け合わねばならない。・・・もしわが方がこのような作戦を続けていれば、それはガダルカナルの場合におけるように敵の士気を鼓舞するのを助けるだけになり、中立諸国は動揺し、中国は勢いづくことになろう。そしてそれは大東亜共栄圏の諸国に重大な影響を及ぼすことになろう。どこかでアメリカ軍に抵抗し、これを打破する道はないのか。・・・杉山は海軍が決戦をやれば、この戦争を終結できると語っていたが、それは不可能なことである」

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