2020年2月9日日曜日

20200208 見える歴史像の倍率と分かり易さについて

先日から読み進めている岡義武著「国際政治史」は、漸く全体の半分程度にまで進み、扱っている時代も19世紀後半から20世紀代に至り、自身が比較的「知っている」と思える時代に入ってきたことから、若干、読み進む速度が上がったようにも感じられます。

とはいえ、当著作は、直近に読了した同著者による「転換期の大正」と比べますと、いくらか読み進むのに手間取っていると云えます。これは、それぞれ著作を理解しつつ読み進めるのに必要とする背景知識について、自身が双方について同程度の背景知識を持っていないことに因るのではないかと考えます。

また、それに加え、双方著作で、扱う歴史それぞれの抽象度が異なることも、理解しつつ読み進める速度に、何らかの影響を与えているのではないかとも思われます。扱う歴史の抽象度が異なるということは、たとえてみますと、顕微鏡を用いて、ある物体を観察するに際しての「倍率」が異なるということに近いのではないかと思われます。

当然ではありますが、一言で「歴史」と云いましても、その動態的な様相を構成するものは過去から現在を通じ、主として我々人類であり、これを対象として「倍率」が高いということは、極限では、歴史に意識・無意識を問わず参画している、ある個人を対象とすることになると云えます。そして、この、いわば高倍率にて歴史の様相を描いたものが、伝記・評伝あるいは同時代人による日記・手記のような著作であると云えます。

こうした高倍率にて歴史を描いた、あるいは特定の個人や、ごく少人数を視座とした歴史像を眺めてみますと、その歴史像そして、そこから見出される物語に、比較的容易に入り込む・感情移入することが出来るのではないかと思われます。また、それは、そうした視座からの眺めが、読み手である我々の日常的な視座とも、大きくは異ならないからであるように思われます。

これを異言しますと、歴史を舞台として、個人や少人数集団を軸として描いた演劇や映画やドラマや小説、そしてマンガなどが、古今東西を通じて多い理由は、読み手である我々が普遍的に、そうした視座から生じる世界観に比較的容易に入り込み、感情移入が出来るからであり、そしてそれは、読み手である我々の日常的な視座とも、隔絶とは云えないほどに、大きくは異ならないからであるということになります。

つまり、歴史を対象とした観察においては、倍率を高くしますと「歴史を生きたある個人」の描写といった性質が強まり、そこから、読み手としては具体性が高まり、理解し易くなるのではないかということになります。

反対に、歴史を対象とした観察における低倍率とは、それなりに抽象的な世界であると云え、これをある程度、自分なりに理解し、さらに、さきの高倍率での観察歴史像とも、齟齬なく、関連付けることが出来る歴史観を持ち、そして、その言語による論理的な説明が出来るようになるためには、ある程度の期間の努力が必要であると云えます。

そして、こうした背景事情を敷衍したものが、まさしく、当記事冒頭に述べました、先日読了の岡義武による「転換期の大正」と比べ、現在読み進めている同著者による「国際政治史」が、多少読み進めるのに手間取っている原因として述べた「背景知識の程度」にもつながるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設
日本福祉大学
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