ブロガーにて現時点で公表している記事数は1237記事であり、あと63記事を作成投稿することにより1300記事に到達します。そして、今後、毎日のブログ記事作成を前提としますと2か月程度にて1300記事の投稿を達成出来ることになりますが、さすがにこれは困難であると思われることから、2日に1記事の投稿として考えてみますと、4ヶ月程度、つまり5月末頃までには、どうにか到達出来る見込みがつきます。とはいえ、2日に1記事であっても、現在では難しいと思われますので、その中間、2.5日に1記事程度の更新頻度にて、今後、来る6月22日まで記事作成を進めて行こうと思います。
そして、本日は「善は急げ」とのことで、新たに対話形式にて記事を作成していこうと思います。
A「最近もまた色々と本を読んでいるようですね。」
B「ええ、ここ最近は夜行バスに乗る機会が度々ありまして、そうした時はどうも上手く寝付けないことが多いため、どうも本を読んでしまいますね・・(苦笑)。しかし、そうしますと、向うに着いた後がなかなか大変でして、ここ最近は、そうしたよく分からない疲れのようなものがいくらか溜まっているようにも感じられますね・・。」
A「ふーん、夜行バスで読書ですか・・。私はあまりそうした機会は、これまでにありませんでしたね。しかし、その本を読む程度の座席スペースが確保出来るような夜行バスでしたら、寝ることもそんなに難しくはないようにも思われますが。」
B「ええ、実際によく寝れることもあるのですが、それでも何だか緊張して目が冴えてしまうことの方が多いように感じられます。また、それは夏目漱石の「三四郎」冒頭部で、主人公の三四郎が名古屋にて宿泊した時のような感じを薄めたようなものではないかとも先日の夜行バスの中で不図思いましたね・・(苦笑)。」
A「・・いや、しかし、あれは三四郎が一人でなかったから緊張したのでしょう。なので夜行バスの車内とは、また趣が大分違うようにも思われますが・・。」
B「ええ、まあ細かく分析してみますとたしかにそうですが、自分の感覚としては、そうしたものがあるように感じられるのです・・。」
A「なるほど・・まあ、詳細な状況よりも、そこから生じる感覚という意味では似ているということなのでしょうね。それで最近はブログに書かれている以外で何か面白い著作を見つけましたか?」
B「いえ、それがあまりないのです・・。最近読み進めている岡義武による『国際政治史」は、大変面白いのですが、そこで描かれている時代については、そこまで知識がありませんので、それなりに苦労しつつ読んでいます。しかし、こうした時にスマホはとても便利ですね。夜行バス車内の決して十分に明るいとは云えない読書灯の下で読書をしつつ、分からないコトバが出てきますと、一先ず栞を頁に挟んで本を閉じ、スマホで検索し、そのコトバの意味が大体分かりましたらスマホを傍らに置き、再度頁を広げ読み始めるわけですが、思いのほか私は、こうした少し暗い閉鎖的な空間での作業といったものが好きなのかもしれません・・(笑)。」
A「それは何だか面白いですね。たしか何かで読んだ記憶があるのだけれど、「大東亜戦争肯定論」で有名な評論家で作家の林房雄は、通常では普通の家に住んでいるのだけれど、文章を書く時は、真っ直ぐには立てないような狭い屋根裏部屋の中で書いていたということですが、これに通じるような何かがBさんにはあるのかもしれませんね・・(笑)。」
B「いえ、おそらく、そんな大層なものではありませんが、しかし、こうした作業を苦役としてでなく、割合好んで継続出来るような人々の多くは、何と云いますか、こうした場所に閉じ込められる・幽閉されるといった経験を持っている方々が多いのではないかとも思われますね・・。」
A「・・うん、実際、そうした典型例とも云える監獄にて著作を書いていた人も多いですからね。そうしますと、文章での表現を比較的得意とするような所謂、思想犯が多い時代は同時に作家・著述家が多く現れる時代であるのかもしれませんね・・(笑)。・・いや、あるいはニワトリ・タマゴの順番が逆であるのかもしれません・・(笑)。」
B「ええ、仰ること大体は理解出来ていると思います。また、おそらく文章表現のみならず、我々の創造的な作業の多くは、こうした比較的暗く、孤独な環境で行われるようなものではないでしょうか? また、そこから思うことは、おそらく現在の我々の社会は、こうしたギャップから何かが創造・生じるといった原理の様相を忘れ、何やら似非西洋的・浅知恵的な合理性で物事を判断するような癖が固着し、現在に至っているのではないかと思われるのです。」
A「・・ええ、それも何となくですが理解できますね・・。そしてこの先には、もっと明るい考えを自然に創造出来るような時代がやってくるのでしょうかね・・。」
B「どうでしょうか・・。しかし、それがどちらであったとしても、私は押付けではない教養教育と、手を用いる実習教育の双方が大変重要であるように思います。」
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
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