B「ええ、お陰様であれから特に大きな変動もなく、大体1日300~500人程度で落ち着いています。とはいえ、やはり以前に比べて閲覧者数が増加したことから、記事を書く際に多少緊張しているのではないかと思います・・(苦笑)。それでも、どうにか記事を書き続けることが出来ているのは、このブログ記事の作成によって、何かしら心の安定を得ているからではないかと思います・・。また、その意味においては、やはり、さきほどの閲覧者がいらっしゃるということは、大きな励みにはなっているのですが・・。それに加えて、純粋にブログ記事の作成が楽しいといった側面もあり、今現在、こうした便利な発信形式が存在することはありがたいかぎりです(笑)。」
A「まあ何でもプラス、マイナスの側面があると思いますよ・・(笑)。ともあれ、最近のBさんのブログを読みますと、また考古学、古代史の資料、書籍へ興味の方向がスライドしているのですか?」
B「・・ええ、まあ何となくではありますが、最近はまた日本古代史関連の書籍が面白くなってきた感じがします。そして、こうした書籍が面白くなってきますと、今度はそれらに示されている遺跡、古墳などを実際に見たくなるのです・・(笑)。また、こうした自身の傾向を考えてみますと、どうも私は暖かくなってくると、遺跡、古墳などを見たくなる傾向、性質があるのかもしれません・・(笑)。これまでに遺跡、古墳を見聞した際に記した日記、撮影した写真などを見てみますと、面白いことに、それらは全て3月~10月に集中しているのです。そうしますと、このこととさきほどの読書傾向の変化とは、どうも連動しているのではないかと思うのです・・(笑)。」
A「ほう・・それはなかなか面白いですね(笑)。また、それで私が今、不図思い出したのは、アメリカでは個人が季節毎で所属する運動部、部活が異なるということが普通であるということです。これは、もしかしたらさきほどのBさんのハナシと関連、類似する要素があるかもしれませんね・・。」
B「ああ、そのことは私も以前どこかで聞いたことがあります。しかし、現在はわかりませんが、私が所属していた頃の運動部、部活とは、一般的な傾向として、そのような季節毎に所属が変わるということは難しかったように思います。また、こうしたことは、何も所属する運動部、部活に限らず、おそらく我が国のこれまでの労働環境、会社組織等にも何か関係、関連があるのかもしれません・・。しかし、そうであるからといって、日本も季節、年度毎に仕事を変えた方がいいというわけではありませんが・・。これはおそらく、そういった環境のさらに基層にある文化に何かしらの原因があるのではないかと思います・・。そして、そうしたことを理解、把握しないで、表層的に制度のみを変革することは、後になって何らかの反動、しっぺ返しがくる可能性が高いのではないかと思うことがあります・・。」
A「・・まあ、たしかに我が国の組織などに属する個人とは、一般的に強くその組織に組み込まれる傾向がありますからね・・。もしかしたら、それは定住型水稲耕作社会の特徴であるのかもしれません・・。そして、そうした組織とは、日常自転的な業務、行動を為す場合においては、確固、堅牢としたものなのでしょうが、何か未知の事態に遭遇し、それに対し的確に対応しなければならない必要性が生じると、何だか大変なことになってしまう傾向があるのではないかと思います・・。そうした具体例として19世紀の相次ぐ外国船の来航に対する徳川幕閣の内外への施策、対応、戦間期から太平洋戦争敗戦に至るまでの大日本帝国政府の施策、対応などが挙げられるのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、私もさきほどのアメリカの運動部、部活の制度が全面的にいいというわけではありませんが・・。ただ、大事なことは、様々な内外の歴史、文化の知見に基づいてキチンと考えてゆく姿勢ではないかと私は思います・・。その意味において、現在の様々な勉強ブームとは、どうも皮相的に見えてしまい、どうもコトバばかりが躍っているように思えてしまうことが多くあります・・。とはいえ、そうしたこともまた大事であるのかもしれませんが、我が国においては、何でもビジネス、仕事のタネになればそれでいいと思い、またその後、それのみに焦点を合わせてゆくような傾向があるのではないかと思います。また、こうしたことは、何も我が国の歴史、文化を専門に学ばなくとも、ある程度の知見を積めば、そうした傾向は見えてくるのではないかと思うのですが・・。また、おそらくそうしたことは、昨今のインターネットをはじめとする情報技術の進化発展に伴い、我々日本人よりも海外の我が国について調査、研究している組織、人々の方が好悪の感情に振り回されることなく、冷静沈着に見て、判断しているのではないかと思います・・。そして、そういった意味において、我々日本人は、国際的な意味での優等生病にならず、様々な歴史、文化についての知見を能動的、自発的に広めた方がいいと思うのですが・・。また、もちろん、さきほどの情報技術の進化発展により、我が国も大きく影響を受けており、それにより、特に若年層において、既存の帰属組織への組み込まれの程度が弱くなってきているのではないかと思います。そして、そういったことに対して、基本的に、国家、公権力は介入出来ません。それ故、我々は個人として、否応なく、こうした状況の現代社会に対して適切に対応することが必然的に求められてしまうのではないでしょうか?また、こうしたことは、テレビなどにおける言説、様々な雑誌の見出し、そして書籍などの宣伝広告といった表層的、皮相的な言語のさらに下、基層にある層の変化、進化のようなものが必要なのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、そうした変化、進化を促す要素として外圧があるというような意見に対しては、感情レベルではありますが、どうも承服しかねるのです・・(苦笑)。」
B「・・ええ、仰ることは大体理解できます。しかしまた、こうした議論も福沢諭吉の「文明論之概略」あるいは夏目漱石の「現代日本の開化」などの時代から、あまり変化していないように思います。そのように考えると、現在のこの勉強ブームには、一体どのようなオチがあるのかは多少気になるところです・・。ただ、こうした勉強ブームといったものには、過緊張の傾向があるように思います。そして過緊張にはおそらく反動のようなものがあると思いますので、それがどのような形であらわれるのかもまた、同様に気になるところです・・。しかし、何れにせよ、歴史、文化を蔑ろにしたり、何かのリアクションとして、あるいは機会主義的に価値あるもののように扱うことは、長い目で見るとかなり危険なことなのではないかと思います。また、これは自分に対する戒めでもあります・・(苦笑)。」
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
B「ああ、そのことは私も以前どこかで聞いたことがあります。しかし、現在はわかりませんが、私が所属していた頃の運動部、部活とは、一般的な傾向として、そのような季節毎に所属が変わるということは難しかったように思います。また、こうしたことは、何も所属する運動部、部活に限らず、おそらく我が国のこれまでの労働環境、会社組織等にも何か関係、関連があるのかもしれません・・。しかし、そうであるからといって、日本も季節、年度毎に仕事を変えた方がいいというわけではありませんが・・。これはおそらく、そういった環境のさらに基層にある文化に何かしらの原因があるのではないかと思います・・。そして、そうしたことを理解、把握しないで、表層的に制度のみを変革することは、後になって何らかの反動、しっぺ返しがくる可能性が高いのではないかと思うことがあります・・。」
A「・・まあ、たしかに我が国の組織などに属する個人とは、一般的に強くその組織に組み込まれる傾向がありますからね・・。もしかしたら、それは定住型水稲耕作社会の特徴であるのかもしれません・・。そして、そうした組織とは、日常自転的な業務、行動を為す場合においては、確固、堅牢としたものなのでしょうが、何か未知の事態に遭遇し、それに対し的確に対応しなければならない必要性が生じると、何だか大変なことになってしまう傾向があるのではないかと思います・・。そうした具体例として19世紀の相次ぐ外国船の来航に対する徳川幕閣の内外への施策、対応、戦間期から太平洋戦争敗戦に至るまでの大日本帝国政府の施策、対応などが挙げられるのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、私もさきほどのアメリカの運動部、部活の制度が全面的にいいというわけではありませんが・・。ただ、大事なことは、様々な内外の歴史、文化の知見に基づいてキチンと考えてゆく姿勢ではないかと私は思います・・。その意味において、現在の様々な勉強ブームとは、どうも皮相的に見えてしまい、どうもコトバばかりが躍っているように思えてしまうことが多くあります・・。とはいえ、そうしたこともまた大事であるのかもしれませんが、我が国においては、何でもビジネス、仕事のタネになればそれでいいと思い、またその後、それのみに焦点を合わせてゆくような傾向があるのではないかと思います。また、こうしたことは、何も我が国の歴史、文化を専門に学ばなくとも、ある程度の知見を積めば、そうした傾向は見えてくるのではないかと思うのですが・・。また、おそらくそうしたことは、昨今のインターネットをはじめとする情報技術の進化発展に伴い、我々日本人よりも海外の我が国について調査、研究している組織、人々の方が好悪の感情に振り回されることなく、冷静沈着に見て、判断しているのではないかと思います・・。そして、そういった意味において、我々日本人は、国際的な意味での優等生病にならず、様々な歴史、文化についての知見を能動的、自発的に広めた方がいいと思うのですが・・。また、もちろん、さきほどの情報技術の進化発展により、我が国も大きく影響を受けており、それにより、特に若年層において、既存の帰属組織への組み込まれの程度が弱くなってきているのではないかと思います。そして、そういったことに対して、基本的に、国家、公権力は介入出来ません。それ故、我々は個人として、否応なく、こうした状況の現代社会に対して適切に対応することが必然的に求められてしまうのではないでしょうか?また、こうしたことは、テレビなどにおける言説、様々な雑誌の見出し、そして書籍などの宣伝広告といった表層的、皮相的な言語のさらに下、基層にある層の変化、進化のようなものが必要なのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、そうした変化、進化を促す要素として外圧があるというような意見に対しては、感情レベルではありますが、どうも承服しかねるのです・・(苦笑)。」
B「・・ええ、仰ることは大体理解できます。しかしまた、こうした議論も福沢諭吉の「文明論之概略」あるいは夏目漱石の「現代日本の開化」などの時代から、あまり変化していないように思います。そのように考えると、現在のこの勉強ブームには、一体どのようなオチがあるのかは多少気になるところです・・。ただ、こうした勉強ブームといったものには、過緊張の傾向があるように思います。そして過緊張にはおそらく反動のようなものがあると思いますので、それがどのような形であらわれるのかもまた、同様に気になるところです・・。しかし、何れにせよ、歴史、文化を蔑ろにしたり、何かのリアクションとして、あるいは機会主義的に価値あるもののように扱うことは、長い目で見るとかなり危険なことなのではないかと思います。また、これは自分に対する戒めでもあります・・(苦笑)。」
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
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