A「つい先日より若干求職活動が慌しくなり、今後しばらくはブログ記事の更新が断続的になると思います。」
B「はあ、何か動きが出てきましたか・・。
それは良かったですね、また何か新たな動きなどがありましたら御連絡ください。」
A「ええ、そうさせていただきます・・。
それでハナシは変わりますが、昨日Cさんから電話がありました。
電話の話題は特段大きなものではありませんでした。
また、Cさんからの電話は時折あるのですが、それが昨日(20160306)であるということがどうも面白かったのです・・(笑)。」
B「はああ、昨日Cさんから電話があったのですか、それは何だか面白い偶然ですね(笑)。
それでCさんはお元気そうでしたか?」
A「ええ、多少風邪気味とのことでしたが、話すのが辛いという感じは受けませんでした。
とはいえ、そういった偶然があるということは何だか面白いですね・・。
ああいったことは一体何故、生じるのでしょうか?」
B「・・そういった偶然の原因とはよくわかりませんが、心理学者のフロイトあるいはユングが「集合的無意識」といったことを述べていましたが、何かしらそういったことと関連があるのかもしれませんね・・。
また、本当にその「集合的無意識」といった概念?が存在、在るのならば、現在Aさんが書き続けているブログにも何かしら、それを構成する、あるいは刺激する要素となっているのかもしれませんね・・(笑)。
そして、それ故、ブログの記事などにあまりキワドイ、カゲキなことを書かない方がいいのかもしれません・・。
それに加えて、さきほどの集合的無意識と同様、それが実際に存在、在るかどうか分かりませんが、我が国に古くからある言霊(コトダマ)とは、現在のインターネットをはじめとする情報技術の進化発展に伴い、巷にコトバが氾濫するようになり、それが我々の精神、心の無意識に近い層に影響を与えるようになりますと、この言霊により、何かしら好ましからぬ現象が生じることがあるのではないかとも思います・・。
そして昔の日本人とは、言葉を軽々しく扱うことに対して畏怖の念を持っていたことから、コトバには言霊があるとして畏れ敬ってきたのではないかと思います・・。
その意味において、現在とは、完全にそういった意味での底が抜けた、調節するものの存在、権威がなくなり、何でも基本的に「言いたい放題」の状態になっているのではないかと思います・・(苦笑)。
とはいえ、言論の自由が侵されるのもまた問題ではありますが・・。
その意味ではハナシは言論だけの問題ではなくなったことが問題なのではないでしょうか?」
A「・・はあ、何だか多少普段のBさんらしからぬ迷信的な感じもしましたが、それでも「集合的無意識」と「言霊」を類似あるいは関連のあるものとして述べられたことは大変面白く、興味深いと思います。
多分、我々人間一般の精神、心の無意識の層には、コトバ、言語により形成、成立している概念、思想などは存在しないのではないかと思います・・。
そして、「集合的無意識」とは、文字通りこの層に属しているのではないかと思います・・。
また、そこからさらに通常の意識、顕在意識というのですかね?の層に近づくにつれて、徐々にコトバ、言語によって概念、思想などが形成、成立されるようになってきます・・。
そして「言霊」とはおそらく、この言語、コトバにより形成、成立される層において、原初に近い部分にて生じた概念、思想ではないかと思います・・。
そのように考えますと、無意識から意識にかけての我々一人一人の精神、心の構造とは、そのまま我々人類の文明の進化発展に対応しており、そうしたことをアタマのみならず心身で知るということが、本当の意味での歴史を知るということではないかと思うのです・・(笑)。
ああ、何だか今度は私の方が迷信じみたことをいってしまいました・・(苦笑)。
それでも、こうしたことは小林秀雄やコンラッドも述べていますから、まあ、迷信というには過分に普遍性があるのではないかと思います・・(笑)。」
B「我々の心、精神の中に人類の歴史そのもの歴史があるということですね・・。
たしかにそうした考えは私も理解できます。
しかし、現在の特に我が国の社会傾向を見てみますと、どうもそうしたことを考慮外に置いている、あるいはわざと無視しているのではないかと考えさせられることがあります・・。
我々日本人とは極端に此岸的、現世志向的であるとはよく聞きますが、その意味において、歴史とは極端に此岸的、現世志向的な学問であるはずなのですが、
一体何故このようになってしまうのでしょうか・・?」
A「ええ、仰ることは大変よくわかりますが、そうしたことも漸進的に進化、改良してゆく以外にないと思います・・。
また、私がブログにて主張する内容が正しいかどうか正直よくわかりませんが、それでも、私は自身のブログを通じ、そうした言説を発信し続けることには、何かしら意味があるのではないかと考えています・・(笑)。
また、そのようにたとえ断続的になっても、何らかの形で発信し続けることが大事であるのではないでしょうか・・?」
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