2026年7月20日月曜日

20260720 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」 pp.501-505より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」
pp.501-505より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4163646701
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163646701

 考えてみれば、収容所とは、サント・トマスであれカランバンであれ、少々残酷な言い方だが「民族秩序発生学」を研究する実験場のような所である。帝国陸軍とはいえ、徹底的に壊滅させられた残り二割が、降伏・収容・輸送の途中で残存のかすかな指揮系統さえ払拭されてごちゃまぜにされ、さらに将官・将校・下士官兵と分断され、兵科も各部も階級も無視して機械的に五百人ずつの一組にされ、それが数組ずつ各収容所に入れられ、そこで勝手に秩序をつくらされる。これは互いに顔も知らない、米英蘭等のさまざまな人間を、サント・トマス大学に入れ、そこへ囲い込んで勝手に秩序をつくらすのと、同じような実験であろう。
 ただ彼らとわれわれとの違う点は、日本軍が秩序をつくろうとせず放置していたのに対して、米軍はその“民主主義教育癖”を発揮して、しきりと民主的秩序を作らすべく指導したことである。従って外形的には何やら“員数組織”があった。だがその内実は、帝国陸軍の内務班同様、自然発生的な別秩序に支配されていた。帝国陸軍の「兵隊社会」は、絶対に階級秩序でなく、年次秩序であり、これは「星の数よりメンコ(食器)の数」と言われ、それを維持しているのは、最終的には人脈的結合と暴力であった。
 兵の階級は上から兵長・上等兵・一等兵・二等兵である。私的制裁というと「兵長が一等兵をブン撲る」ようにきこえるが、実際はそうではなく、二年兵の兵長は三年兵の一等兵に絶対に頭があがらない。従って日本軍の組織は、外面的には階級だが、内実的な自然発生的秩序はあくまでも年次であって、三年兵・二年兵・初年兵という秩序であり、これが階級とまざりあい、両者が結合した独特の秩序になっていた。
 そしてこの秩序の基盤は前述の「人脈的結合」すなわち“同年兵同士の和と団結”という人脈による一枚岩的結束と、次にそれを維持する暴力である。二年兵の兵長が三年兵の一等兵にちょっとでも失礼なことをすれば、三年兵は、三年兵の兵長のもとに結束し、三年兵の兵長が二年兵の兵長を文字通りに叩きつぶしてしまう。従って二年兵の兵長は三年兵の一等兵に、はれものにさわるような態度で接する。表面的にはともかく、内実は、兵長という階級に基づく指揮などは到底できない。それが帝国陸軍の状態であった。このことは「古兵殿」という言葉の存在が明確に示している。一等兵は通常、階級名をつけずに呼びすてにする。しかし二年兵の上等兵は三年兵の一等兵を呼びすてにできず、そこで「○○古兵殿」という呼びかけの尊称が発生してしまうのである。
 考えてみればこれは、収容所に入ったあの夜「牢名主」の幕舎長から言われたことであった。そして、虚構の階級組織が消失し、収容所で自然発生的な秩序ができてきたときは、その実情がむき出しになり、人脈・金脈・暴力の秩序になった。サント・トマスの「秩序維持の法廷と陪審制度」などは、遠い夢のおとぎ話に等しい。
 小松さんは『虜人日記』で、この暴力支配の発生・経過・状態を、短く的確に記している。「暴力団といっても最初から勢力があったわけではない」のだが、自ら秩序をつくるという意識の全くない「PW各人も無自覚で」「勝手な事を言い、勝手な事をしている」うちに、暴力的人間は、食糧の横流しなどで金脈・人脈を構成し、いつしか全収容所を押えた。
 「各幕舎には一人位ずつ暴力団の関係者がいるのでうっかりした事はしゃべれず、全くの暗黒暴力政治時代を現出した…彼らの行うリンチは一人の男を夜連れ出し、これを十人以上の暴力団員を取り巻き、バットで殴る蹴る、実にむごたらしい事をする、痛さに耐え兼ね悲鳴をあげるのだが、毎晩の様にこの悲鳴とも唸りとも分らん声が聞こえて、気を失えば水を頭から浴せて蘇生させてからまた撲る、このため骨折したり喀血したりして入院する者も出て来た。彼らに抵抗したり口答えをすれば、このリンチは更にむごいものとなった。ある者はこれが原因で内出血で死んだ。彼らの行動を止めに入ればその者もやられるので、同じ幕舎の者でもどうすることもできなかった。暴力団は完全にこの収容所を支配してしまった。一般人は暗黒感にかられ、発狂する者さえ出てきた」。そして米軍が介入して暴力団が一掃される。するととたんに秩序がくずれる。「何んと日本人とは情けない民族だ。暴力でなければ御しがたいのか」。これが、この現実を見たときの小松さんの嘆きである。
 そしてこの嘆きを裏返したような、私的制裁を「しごき」ないしは「秩序維持の必要悪」として肯定する者が帝国陸軍にいたことは否定できない。そしてその人たちの密かなる主張は、もしそれを全廃すれば、軍紀すなわち秩序の維持も教育訓練もできなくなると言うのである。それを堂々と主張する下士官もいた。
 「いいか。私的制裁を受けた者は手をあげろと言われたら、手をあげてかまわないぞ。オレは堂々と営倉に入ってやる。これをやらにゃ精兵に鍛え上げることはできないし、軍紀も維持できない。オレはお国のためにやってんだ。やましい点は全然ないからな。いいか、あげたいやつは手をあげろ」
 そしてこの暴力支配は将校にもあり、部下の将校を平気で撲り倒し、気にくわねば自決の強要を乱発し、それをしつつ私的制裁撲滅を兵に訓示していた隊長もいる。石田徳氏は『ルソンの霧』(朝日新聞社)で自決強要の恐怖すべき現場をそのままに記しておられるが、こういった例は決して少なくない。
 収容所は、それらがただ赤裸々に出てきたにすぎない。そしてここまで行かなくとも、暴力一瞬前の状態に相手を置き、攻撃的暴言の連発で非合理的服従を強要するのは、だれ一人不思議と思わぬ日常のことであった。そして戦後にもこれがあり、多数の集中的暴言で一人間に沈黙を強いることを、だれも不思議に思っていない。
 なぜか。なぜそうなるのか。軍隊にはいろいろの人がいる。動物学を学んでいたYさんは、これを「動物的攻撃性に基づく」秩序だと言い、収容所とは鶏舎で、その秩序はちょうど「トマリ木の秩序」と同じだと言った。雄鶏は、最も攻撃性の強いものがトマリ木の一番上にとまり、その強さの序列が上から順々に下がりトマリ木の序列になる、と。
 帝国陸軍は、「攻撃精神旺盛ナル軍隊」だけを目指したから、動物的攻撃性だけが主導権を持ち、野牛の大群が汽車に突撃するような攻撃をし、同時にそれを行うための秩序が、暴力という動物的攻撃性だけの「トマリ木の秩序」になった、と。そう言われれば「戦後的ケロリ」は、攻撃が頓挫した野牛群が、ケロリとして草をくっているのと同じことなのか?
 また軍事史の教官だったというA大佐は、日本軍創設時に原因があると言った。そのころは、血縁・地縁を基礎とする自然発生的な村落共同体が厳存していたところで、その中の若衆制度という、青年期の年次制「組」制度が輸入の軍隊組織と結合し、若衆三年兵組、二年兵組、初年兵組という形になり、その実質には結局が手つけられなかった。そのうえ陸軍は自然発生的な村の秩序しか知らず、組織をつくって秩序を立てるという意識がない。これはヨーロッパの、アレキサンダー大王のマケドニア方陣以来の、幾何学的な組織という考え方とそれを生み出す哲学が皆無なため、そういう組織的発想に基づく軍隊組織とは、内実は全く別ものになった、と。
 従って軍人勅諭には組織論はもとより組織という概念そのものがなく、「礼儀を正しくすべし」の「礼」だけが秩序の基本だった。だから外面的な礼儀の秩序が虚礼となって宙に浮くと、暴力とそれに基づく心理的圧迫だけの秩序になってしまった。一人への公開リンチによるによる全員への脅迫が全収容所を統制し得たのと非常によく似た形、すなわち一人の将校を自殺させることによって、全将校とその部下を統制し、同時に私的制裁が未端の秩序を維持するという形になってしまった、と。

いろいろな原因があったと思う。そして事大主義も大きな要素だったに違いない。だが最も基本的な問題は、攻撃性に基づく動物の、自然発生的秩序と非暴力的人間的秩序は、基本的にどこが違うかが最大の問題点であろう。一言でいえば、人間の秩序とは言葉の秩序、言葉による秩序である。陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、「言葉を奪った」ことである。日本軍が同胞におかした罪悪のうちの最も大きなものはこれであり、これがあらゆる諸悪の根元であったと私は思う。

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