2022年11月15日火曜日

20221114 株式会社岩波書店刊 森嶋通夫著「日本はなぜ没落するか」 pp.11-15より抜粋

株式会社岩波書店刊 森嶋通夫著「日本はなぜ没落するか」
pp.11-15より抜粋
ISBN-10: 4006032056
ISBN-13: 978-4006032050

 動物の場合は、死んで往くものと生まれてくるものに殆ど差はないから、集団の質はほぼ一定である。しかし文化を身につけている人間は、死んで往くものが身につけていた文化と異なった文化を身につける子供が生まれてくるから、集団の質は変わってくる。

 しかし欧米諸国では文化の変化はそれほど大きくない。自国内での自発的な変化が大部分であり、よそから文化を移入するとしても、その「よそ」もまた欧米文化の伝統の中にあるから、移入による文化の変化は大きくない。(ただし旧植民地帝国では大きい変化があった。)

 だが日本の場合、死んで往く老人が、伝統的な日本文化を身につけており、生まれてきたものは欧米文化をより多く身につけるとするならば、出生と死亡がもたらす文化交替は集団の質を激変させることになる。特に敗戦後、戦前、戦中の国粋的な文化が、戦後のアメリカ文化によって置き換えられることによって、日本の人口の質は急変してきた。

 特別な考察をすべきは、戦後の教育改革である。それは日本の人口の質に画期的な変化を引き起こす筈だと考えられていた。戦前は忠君愛国、挙国一致を促進させるような教育が行われた。国民道徳の規範は政府によって、一方的に定められ、学校は産業側の労働需要に応じるように、多様化されており、高等教育も高給職に将来就く人を供給するだけに制限されていた。だから大学はエリートを育成するためのものだった。

 こういう教育体制は、占領軍によって破壊された。中等教育は複線路線でなく、特殊な職業に適した専門家された学校を最小限にしか許さない単線路線のものにさせられた。その上高等教育期間はエリート養成のための専門教育ではなく、市民のため国民のための高い水準の教育をつける所と考えられるようになった。国家が必要とする高い知識を生徒や学生に教え込むという姿勢は教育の場から一掃され、自由主義、個人主義が教育の根幹となった。

 こうして国家主義的教育を受けた年長者と自由主義教育を受けた若年者が、戦後日本に共存するようになったが、彼らの中間には戦前教育を幼い時に受け、後に戦後教育に切り替えられた過渡期の人が介在した。これらの人の中には、殆どが戦前教育で、その後僅かに戦後教育を受けたというような、種々の年齢層の人が混在した。戦後教育は1946年に始まり(完全な戦後教育を受けたのは1939年に生まれた人からである)戦前教育(旧制大学教育)は1953年に終了した。(1930年生まれの学生が最後の卒業生である)から、過渡期は8年ということになる。

 切り替えは円滑でなかった。戦後の思想教育ー自由主義と個人主義ーは、それまでの全体主義、国家主義の教育をしていた教師によって教えられたからである。自由主義や個人主義が履き違えられることが多く、誤解されたこれらの主義は、好ましくない影響を被教育者に及ぼす。だから欧米の学校では自由主義、個人主義とは何であって、何でないかについて徹底的な議論が教室で生徒相互間、生徒と教師の間で行われるのに、日本ではそういうことは殆ど行われなかったと言える。教師自身がそれらについて無知に近かったからである。小学一年から大学を卒業するまで16年の間、戦後教育のみを受けた純粋戦後教育派の場合でも、しっかりとした思想的核心を持ちえなかったと言ってよい。

 戦後の第一年は純粋戦後期に属する一年分の人がいた他は、全員それまでの戦前教育に一年分の戦後教育を付加した過渡期の人であった。戦後17年目に純粋戦後教育に完全に受けた人が初めて現れた。(大学に進学せず高等学校限りで就職する人は13年目に純粋戦後派が出現した。)いま64歳までを労働人口とすると、純粋戦前派が労働人口から消滅してしまうのは、戦後49年経った時ーいまから4年前ーである。そのうえ過渡期の人々が労働人口から消え去るのは、今から更に4年経った後である。教育改革は日本国民を洗脳したのである。それは極めて徐々の洗脳であっただけに、完了するのに非常に長い時間を要したのである。

 日本のいわゆる高度成長期(1950~70年)の労働人口(ただし全員が大学を卒業したと仮定して22歳から64歳までの人)のうち、戦前派、過渡期、戦後派の階層への割り振りは次のようになっている。1950年には全員が戦前の教育を受けた人である。1960年には35年分の高年者層が戦前派、7年分の若年者層が過渡期、純粋戦後派はゼロである。高度成長最後の年には、25年分の高年者層が戦前派、8年分の中間層が過渡期の教育を受けた人達で、9年分の若年者層が戦後派の教育を受けた人達である。このように見れば高度成長に貢献した労働人口の大部分は戦前教育を受けた人だといえる。

 これに反してバブルの絶頂期の1990年は、60歳から64歳までの人は戦前に教育を受けている。続いて8年分が過渡期の人で占められ、29年分の若年者は戦後に教育を受けている。このように日本の労働人口が受けている教育の内容は、時間と共に変化してきた。教育改革は占領軍司令部(GHQ)の命令で一挙に行われたから、教育内容は即座に変えられたが、戦前のイデオロギーは教育を受けた人の頭脳の中に体化された形で、長い期間にわたって効力を保った。このような形で、旧体制は新体制の世界の中で抵抗しつづけたのである。革新は急進的であっても、体制には、効果を弱め保守化してしまう緩衝装置が備わっていたのである。

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