2018年4月3日火曜日

20180402 いくつかの分野の著作を拾い読みしていて感じたこと・・文学・モノガタリの意味?

本日の首都圏は日中気温が上がり、暑いくらいの陽気でした。そのため、日中に関しては春物のコートもいらないくらいでしたが、陽が沈んだ後は、やはりそれなりに気温も下がり丁度良いくらいとなりました。そして、おそらく明日もまたこの調子であると思われますので、一応コートを着用して出ようと思います。

さて、先日より民俗学分野の著作をいくつか拾い拾い読んできましたが、この分野の著作を読んでいますと、どうしたわけか我が国古代史を扱った著作を読みたくなります・・(笑)。とはいえ、この習性(?)は以前より変わらないのですが、ただ、以前であれば気軽にそれら分野(民俗学・古代史)著作の舞台となった地域にまで足を運ぶことも出来ていたのですが、首都圏在住の現在においては、この活動が極めて贅沢なものとなってしまいました・・(苦笑)。

以前、当ブログにて書きましたが、当初西欧文化およびその歴史について更に学びたかった自身が、民俗学・古代史といった、どちらかと云えばローカルな分野へ転向した要因は、西日本での在住経験を通じ、それまでの価値観が変化したからであると云えます。

しかし、それでも分からないことは『何故、西日本の中で和歌山にてそうした現象が生じたのか?』ということであり、これは現在になっても完全に納得のいく答えは出ません・・。ただ一つ思うことは、それまでにあまり接したことのなかった当地の南方的な横溢とした自然環境による影響は有意にあったのではないかということであり、これは当時よりそうした考えを抱いていたことからコンラッド著『闇の奥』といった著作を並々ならぬ興味にて読むに至ったといえます・・(笑)。

そこから、我々は日常生活を送る分には、自身の置かれた環境と読むモノガタリの内容、あるいはその背景・設定などをあまり気に留めることはありませんが、しかし不図した時、それらの間に意図せぬ類似・相似性のようなものが認められるようになりますと、気味が悪いを通り越し、何やら運命的あるいは必然性のようなものを感じることがあるのではないでしょうか・・(コンステレーション?)?

こうしたことは、あまり表立って書かれることは少ないのかもしれませんが、おそらく時代を通じ普遍的に名著と称されるような作品とは、一つに、こうした感覚をより多くの人々に与えるような作品ではないでしょうか?

そして、そうしたことの認識が普遍的な文系学問の一つの醍醐味ではないでしょうか?

また、その意味において、古来より受け継がれてきたモノガタリには、それなりの背景・理由があり、それら作品は本質的には楽しむべきものであるのですが、それと同時に、現在のさまざまな状況を理解・把握するための起点ともなり得るのではなかかと思われるのです・・。

その意味において、特に1945年の敗戦から現代に至るまでの社会が古典や神話の意味合い・位置づけをより親しみやすい、視覚に訴えたマンガやアニメあるいはドラマなどに置換し続けたことは、我々の未来に対し、直接的にではないのかもしれませんが、やはり相応の影響を及ぼすのではないでしょうか・・?

このようなことを書いても所詮は蟷螂の斧に過ぎないとも思いますが、とりあえず書くだけは書いておきます・・(苦笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。近年以来現在までに列島各地にて生じたあるいは現在も継続している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害によって被災された(されている)諸地域の安全の確保そして復興を祈念しています。



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