2015年12月18日金曜日

20151218 創作と環境について

A「年も押し迫ってきましたが、その後求職活動で何か動きはありましたか?」

B「ええ、つい先日面接で**まで行ってきました。
近いうちに結果のご連絡をいただけるとのことでしたが、今現在はわかりません。」

A「そうでしたか・・結果がわかるまでは落ち着きませんが、良い結果であるといいですね。」

B「そうなのですが、同時に今現在結果待ちの応募がいくつかありますので、この先また、どの様に変転するかは自分でもよくわかりません・・。
しかし、それで先日面接で行った**においてもブログのネタを探したり、ネタ帳の記入を試みたのですが、何故だか上手い具合に言葉が出てきませんでした。
もしかしたら無意識ながら緊張していたのかもしれませんが、これはこれで不思議なものでした(笑)。」

A「ああ、環境が変ったりするとそういうこともあるらしいけれど、私などはノートPCなどは持ち歩いているので、ネットが繋がる環境であれば、メールの返信などは普通に行っていますね。」

B「たしかに多忙な先生方は、どこに行かれる場合でも大抵ノートPCを持ち歩いて、宿泊先のホテルなどでもお仕事されていますね。
しかし私の場合はまた少し違うと思います。
つまり、少なくとも今現在においては、私のブログとは職務でもないですし、また特定の誰かへの反応、リアクションというわけでもありません。
そうした何といいますか、茫漠とした意識状態からテーマを決め、それを結晶化させるということはまた少し異なった意識の働きなのではないかと思うのです・・。」

A「・・うん、まあそれはそうであるかもしれないけれど、同時に多くの方々は出先においても様々な創造的活動をされていると思いますよ・・。」

B「はい、それもまたおっしゃるとおりであると思います。
ですから今回の件は、純粋に私の経験あるいは能力不足であると思います。
とはいえ、ブログのネタなどを考え、それをノートに記していて、その作業にノッてきますと私はそこに没入していると思います。
それは自分を客観視できていない状態です。
そして逆に客観視できている状態では、あまり文章は進みません。
これはなかなか面白いことであると思いますが、それでも創造や創作といった行為とは、大体その様なものではないかと思います・・。
また、このことは以前のブログで引用した北杜夫の文章においても類似したものがあったように思います。
ですから、何故、先日の**に行った時に、この作業に没入できなかったのかとは、私自身の中では、いまだ解決されていないものであり、同時に今後解決が望まれる課題でもあることが判明したのです・・。
かなり言い訳がましくなりましたが、まあ、そのような感じです()。」

A「言わんとする内容はわかりました・・。
そうするとBさんは御自分が、この場合では、どの様な状況においてもブログのネタ帳作成に没入できるスイッチのようなものを探しているということですか?」

B「ええ、今回の件でそのように思うに至りました・・。
また今後、そういったことを自身で意識できるようになれば、現在よりは多少良いブログを作成することが出来るのではないかとも思います。
まあ、何れにしましても今後また様々な試行錯誤を試みてみます。
しかしそうしますと今度は試行錯誤が目的になってきそうで、それが少しこわいところです・・()。」

A「うん、まあ書くのに最適な外的環境を探し求めるよりも、今現在においては、より多くの状況において書くことが出来るような内的環境を模索することの方が適切であると思いますね。
とはいえ、今の話を聞いていて思ったのは、最適な内的環境の模索はいいけれど、それは具体的にはどういったことを指すのだろうかね?
たとえば自分自身の文体の確立なのだろうか?あるいは平静な精神状態などといったものなのであろうか?はたまた、それらを絶妙に混合したものなのだろうか?
まあ、そのように考えてみると、最終的には各々個人で納得できればいいのでしょうが、そうすると今度は、ではそれは普遍的、つまり万人にある程度共通していて定量化出来る様なものなのであろうか?そしてそうであるとすれば、それはどの様な方法で証明することが出来るのか?といった疑問が湧いてきますが、これは今現在の段階では飛躍し過ぎた問いであるのかもしれません・・()。」

B「・・ええ、たしかにおっしゃることはよくわかります。
しかし、とりあえずは自身で色々と試行錯誤してみて、まあNを稼ぐ以外ないのではないかと思います・・。
あ!それで今思い出しましたが、私は修士院生時代に民俗学に近いようなことを研究していましたので、度々フィールドワークに行っていたのですが、その際、ある地域を自分なりに把握するため、地域内寺社の来歴等を調べておりますと、偶然に目的とはまったく異なってはいますが大変興味深い史実の痕跡に出くわすことが多くありました・・。
そして、そうした経験から、それら全て総合し物語れる地域の歴史を構築することが、少なくとも一面において地域を把握することなのではないかと思うに至りました・・。
また、こうした見解に至るまでの経験とは、客観的な科学的根拠は明示できないのですが、同時に他の分野で研究をされている方々に聞いてみても類似の経験をされていることを多く聞きますので、上手く表現はできませんが、何かしらそうした見解の方へ引き寄せられたような感覚があるのではないかと思います・・。」

A「・・・うん、たしかにそういった縁みたいなものは私も経験したことがありますが、かといって、そればかりに頼るとそういうのはダメみたいで、それはBさんのブログでも書かれていましたね・・。
ともあれ、ああいったことは不思議で、上手く説明がつかないけれども、何かあるのかもしれません。
キリスト教の言葉でいう「コーリング」みたいなものなのでしょうか?
とはいえ、そういったところで安住し続けていてもダメなようですので、あせらずに探求し続けることが肝要なのではないかと思います・・。」

B「ええ、そうですね・・。
そしてそれは日本語で「人事を尽くして天命を待つ」といった意味合いになるのではないかと思いますが、どうでしょうか?」

A「うん、そういった感じで間違いではないと思います。
またゲーテの箴言で「大きな必然は人間を大きくし、小さな必然は人間を小さくする。」といったのがありましたが、これも何かしら類似する意味合いを持っているのではないかと思います。」

B「・・・必然の大小を誰が判断するのかは分かりませんが、なるほどです。」

また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。
 


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