pp.36‐39より抜粋
ISBN-10 : 4041304032
ISBN-13 : 978-4041304037
話題がやっと鬼頭家へめぐってきたので、耕助はいくらか緊張したが、しかし、口先だけは相変わらず軽かった。
「その嘉右衛門さんというのは、千万太君のお父さんかね」
「なに、祖父さんでさ。去年78で死にましたが、元気なものでしたね。体は小さかったが、肝ったまの大きな人で、いい旦那でしたよ。島では太閤さんといっていて、なかなか死にそうにはなかったが、やっぱり戦に負けたンがこたえたんですかね。ポックリ往生しましたよ」
「それじゃ終戦後亡くなったんだね。それで千万太君の両親というのはどうしたんだね」 耕助のもっとも疑問とするところはそこだった。このあいだ、千万太の死を知らせにいったとき、座敷へ現われたのは月代、雪枝、花子という三姉妹と、早苗という娘、ほかに50前後の、みっともない顔をした老婆が御飯のときちょっと顔を出したが、広い屋敷にはそれ以外、男気の感じられなかったのが不思議であった。千光寺の和尚も、
「ここに逗留してもろうてもよいのだが、女ばかりの世帯だから・・・・・・」 と、そういって耕助を、自分の寺へつれてかえったのである。
「千万さんのおふくろさんは、千万さんが生まれると間もなく亡くなったそうですよ。それで後添いをもらったんですが、このひともだいぶまえに亡くなりました」
「ああ、それじゃあの三人のお嬢さんは、千万太君とは腹ちがいなんだね」
「へえ、そうですよ」
「それで、千万太君のお父さんは・・・?」
「与三松の旦那ですかい。ええ、その人はまだ生きていますよ。生きていますが御病気でね。だれのまえへも出ねえんです」
「病気?どこが悪いんだね」
「どこってその・・・あまり大きな声じゃいえねえが、つまり、その・・・気が狂ってるんですね」
耕助は思わず大きく眼をみはった。
「気が狂ってる・・・それでどこかへ入院してるのかい」
「いえ、入院しちゃいません。あの家にいるんですよ。なんでも座敷牢がこさえてあってその中に入れてあるそうですが、ええ、もう久しいもんです。かれこれ十年にもなりますねえ。あっしなんざ、もう顔も忘れっちまったくらいですからねえ」
それを聞いて耕助は、はじめて思い当たるところがあった。このあいだ、鬼頭家の座敷に座っているとき、かれは一度、ただならぬ叫び声を聞いたのである。それはまるで、野獣の咆哮にも似た、あらあらしく、物狂おしい叫び声で、耕助もそれには少なからずどぎもを抜かれたものである。
「ふうむ、それでその気ちがいというのは暴れるのかい」
「いえ。ふだんはしごくおとなしいンですがね、どうかすると手に負えねえことがあるそうです。ところで妙なもンで、あそこに早苗さんという娘さんがいるでしょう。ありゃ気ちがいさんの姪に当たるんですがね、これが一言二言声をかけると、ケロリと、おさまっちまうんです。それにひきかえ現在のわが子の娘たちが行くと、これがいよいよ手に負えなくなるンだそうですから、困ったもんでさあ」
「そりゃ・・・しかし、妙だね」
「なに、別に妙でもなんでもありませんや。あの三人の娘というのが・・・このほうがかえって妙でさあね。自分のおやじを、まるで動物園の虎かライオンみたいに、おもちゃにしては喜んでるってしろものですからね。気ちがいさんの寝てるところを、格子の外から物差でつついたり、紙礫を投げつけたり、それで三人、きゃっきゃっと喜んでるってえンですから、話を聞いただけでも気味が悪くなりまさあ。どうもあの娘たちは変ですぜ」
あの三人の変なことには、耕助もすでに気がついている。兄の死でさえがかれらにとっては、自分たちの髪の格好、帯の結びかたほども気にならないらしかった。和尚がまじめな話をしていても、うつむいてくすくす笑ったり、袖をひっ張ったり、ひじで突っついたり、それで三人が三人ともきれいな娘であるだけに、いっそう不健全で病的で、見ているほうでも気持ちが悪くなるのだった。
これはたいへんな娘たちである。と、耕助は思った。ゴーゴンの三姉妹であると耕助は考えた。ゴーゴンとはギリシャ神話に出てくる怪物である。もとは美しい処女であったが、ミネルバと美をきそったがために、姉妹三人頭髪ことごとく蛇となり、鷲の羽と真鍮の爪をもった怪物に化せられた。鬼頭家の三姉妹には、どこかそういう気味の悪い妖怪味が感じられるのだった。
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