2026年5月13日水曜日

20260611 株式会社未來社刊 丸山眞男著 『後衛の位置からー「現代政治の思想と行動」追補」ー pp.112‐117より抜粋

株式会社未來社刊 丸山眞男著 『後衛の位置からー「現代政治の思想と行動」追補」 
pp.112‐117より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 462430036X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4624300364

 知識人の教養内容は、理解の質を別として、圧倒的に西欧の文化的産物に依存しておりましたので、「皇道」や「日本精神」についての出版物の氾濫にもかかわらず、それらは「インテリ」にとっての魅力を甚だしく欠いておりました。したがって社会主義的ないし自由主義的知識人の「転向」は、全体主義のイデオロギーへの回心というよりは、一切の西欧産の「イズム」を捨てて、帝国の忠良な臣民一般にまでー少くも表向きのうえでー同化すること以上を意味しなかったのです。たしかにここでは、軍国主義にたいする勇敢な抵抗を行なった知識人はすくなかったけれども、知識人が狂熱的な皇道イデオロギーにコミットした程度もナチ・ドイツに比べて低かった、といえます。「思想問題」が呼びさました「知性の王国」はもろくも崩れたけれども、戦時体制への協力が、イデオロギー的信奉よりも、国民一般の「世論」や感情への追随と同化を意味したところに、1の章でのべた近代日本の知性の二重構造ー社会層としての「インテリ」のまとまりの弱さと、知性が平等主義的に社会的に分布していることから来る「擬似インテリ」の磁性の強力さーが集中的に表現されております。そうして戦後における思想の「解放」が、ヨーロッパにおけるよりも、はるかに大きな程度で知識人一般の解放として感覚されたのも、右のような歴史的背景のもとで理解されるのです。伝統的にドイツ国家学の圧倒的影響の下にあった法学の分野で、ある教授は敗戦後、つぎのような述懐を同僚に洩らした、と伝えられております。「これからはわれわれもようやく本当に『一般国家学』(Allgemeine Staatslehre)を語れるようになりますね。」

 こうして第三のエポックがまいります。これが敗戦直後の時代です。大日本帝国の思想的に「閉じた」社会の厚い壁が一挙に崩れ落ち、「暗い谷間」を過した知識人に、三たび知性の王国への共属意識が呼び醒まされたわけです。
 戦後三十年ちかくを経た今日の日本では、戦争直後に民主主義の知的なチャンピオンとして活躍した知識人たちにたいし、つぎのような非難と嘲弄を浴びせるのが一種の流行になっております。ー彼等は連合国による軍事占領というきびしい現実を直視せず、「ポツダム宣言」による「外から」の解放に有頂天になってバラ色の啓蒙主義に酔いしれ、呆然として衣食住をもとめて焦土にさまよう大衆に先覚者気取りで説教するのを事としていた、というのです。こうした非難に部分的にリアリティがないわけではありません。けれども、敗戦直後の知的風景をすべてこうした非難のタッチでぬりつぶすことは、誇張であるだけでなく、それ自体が一つ新らしい政治神話のために広告絵をえがくことになります。その神話とは、戦後民主主義の諸改革は「行過ぎ」であり、非武装を規定した新憲法は空想的=偽瞞的であり、日本のすぐれた伝統は、祖国の悪口をいうことを商売にするこれら知識人たちによって踏みにじられた、という説を国民に信じこませようとする神話です。
 けれども実際には、敗戦後、知識人たちをふたたび共同の課題と任務にまで結びつけ、立ち上がらせた動機はもっと複雑なものでした。「配給された自由」を自発的なものに転化するためには、日本国家と同様に、自分たちも、知識人としての新らしいスタートをきらねばならない、という彼等の決意の底には、将来への希望のよろこびと過去への悔恨とがーつまり解放感と自責感とがーわかち難くブレンドして流れていたのです。私は妙な言葉ですが仮りにこれを「悔恨共同体の形成」と名付けるのです。つまり戦争直後の知識人に共通して流れていた感情は、それぞれの立場における、またそれぞれの領域における「自己批判」です。一体、知識人としてのこれまでのあり方はあれでよかったのだろうか、何か過去の根本的な反省に立った新らしい出直しが必要なのではないか、という共通の感情が焦土の上にひろがりました。
 もちろん何を悔いたかについては、その人の敗戦までの思想的な道程によって異なり、また世代によっても異なります。かつて「アカ」として逮捕投獄され、転向手記を当局に提出した人々は、変化する精神的気候の中で自分の原則を貫けなかった知的および道徳的な弱さを悔いた。いわゆる自由主義的知識人達も、国内における軍部や右翼の政治勢力の台頭に対し、あるいは中国大陸を「赤化」の脅威から守るという名分の下に拡大して行った、日本の大陸における軍事行動に対し、懐疑と不安をいだきながら、結局は既成事実に押され「新体制」に唱和するまでに自分たちの心を蝕んだコンフォーミズムを悔いた。また、各分野の専門的・技術的知識人にも、自分たちはあまりに社会政治情勢に対して無知で、専門以外のことについては、いわゆる「学のない」国民大衆と全く同じに政府や大本営発表をそのまま素朴に信じながら自分の仕事を続けてきた、今後はもっと広い世界的な視野を持たなければならない、という悔いと反省が広く拡まった。純粋に「聖戦」と「神州不敗」を信じて出陣した、高校・大学の学徒兵たちも、青年は青年なりに無知と無批判からの脱却を志しました。これが空き腹を抱えながら哲学書や社会科学書を買うために本屋の店頭に行列を作るという光景が方々にみられた所以だろうと思います。戦争に反対して辛い目にあった少数の知識人でさえも、自分達のやったことはせいぜい消極的な抵抗ではないか、沈黙と隠遁それ自身が非協力という猜疑の目でみられる時代であったとはいいながら、我々の国にはほとんどいうに足るレジスタンスの動きが無かったことを、知識人の社会的責任の問題として反省せねばならない、もしそれが日本における権力や、画一的な「世論」にたいする抵抗の伝統の不足に由来しているならば、われわれは日本の「驚くべき近代化の成功」のメダルの裏を吟味することから、新らしい日本の出発の基礎作業をはじめようではないか。日本の直面する課題は旧体制の社会変革だけでなく、われわれ自身の「精神革命」の問題である――そうした考えから「これまで通りではいけない」という気持は、非協力知識人の多くをもとらえていた、と思います。
 こうして戦争直後には、専門分野や職業のちがいをこえて新らしい知性の建設をめざすいろいろな集団が噴出しました。例えば「民主主義科学者協会」とか「新日本文学会」とかいう集まりは一九五〇年代になりますと、すでにコミュニストまたはその同伴者の集団とみられておりますが、結成当初の記録をみますと、今日では「あの人までが……」とおどろくような人々の名前をその有力メンバーのなかに見出すでしょう。知識人の再出発――知識人は専門の殻を越えて一つの連帯と責任の意識を持つべきではないか、そういう感情の拡がり、これを私はかりに「悔恨共同体」と呼ぶわけです。
 もちろん、戦争責任を追及されて、逆に「居直」った知識人もいますし、また右にのべたような悔恨の意識が必ずしも好ましい結果だけをもたらした、とはいえません。たとえば、ひとたびコミュニズムの運動から離脱した知識人は、それだけ戦後の悔恨が強く、「背教」をもっぱら自分の弱さに帰する傾向がありました。そうした罪意識の強烈さは、これまで知識人が日本に輸入された他のもろもろの「イズム」を棄てる場合にほとんど見られなかった現象であり、戦前日本のコミュニズムが内包した「精神革命」的性格をいわばネガの形で映し出しております。そこまでは結構です。けれども、厄介なのはそうした罪意識が「今度こそはふたたび党を棄てる過ちを冒すまい」という決意を支えるというところまで亢進すると、それはたとえ党組織の官僚性とか中央部の方針とかに懐疑的になった場合でも、自分を抑制して無条件に上部の方針に服従する傾向を再生産するようになります。

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