2024年10月9日水曜日

20241009 株式会社講談社刊 (講談社現代新書 1168) 千田 善著「ユーゴ紛争: 多民族・モザイク国家の悲劇」pp.70-71より抜粋

株式会社講談社刊 (講談社現代新書 1168) 千田 善著「ユーゴ紛争: 多民族・モザイク国家の悲劇」pp.70-71より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061491687
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061491687

 長い間ユーゴに暮らしていた私の実感として、警官も軍人も庶民にとっては同じ国家機関であり、一枚岩の協力・連携をしているように見えるものだ。しかしこの朝、(ユーゴ)連邦軍兵士とスロベニア警察官の表情は対照的だった。

 トルジン村の民家の前で、軍人は「事故」を恥と感じ、アジア人の新聞記者をにらみつけ、やり場のない怒りを持て余している。一方、警官は明らかに戸惑いながらも、素手同様で戦車を止め「してやったり」という表情でニヤリとしている。昨日まで同じ国の権力機関に属していたものたちが「独立宣言」境に敵味方に分かれる。「独立」とはそういうものなのかと、不思議な感じがした。

 しばらくするうちに、ただ驚いたり、ニヤニヤしていた警官や村人、つまりスロベニア人たちも、「こういう場合には、怒るものだ」ということを思い出してきたようだ。

 警官には「マスコミ取材には許可なく応じるな」との命令がでれいたが、ある警官は小声で「これはヒトラーの軍隊と同じだ。まったくひどい」と話しかけてきた。まわりのやじ馬からも「どうか、ユーゴ連邦軍のこのひどいやり方を、世界中にしらせてくれ」という声が聞こえてくる。

 何の変哲もない農村、ふだんは退屈で眠たげであろうこの村に、ある朝早く、突然、戦車がやって来た。五〇年前のヒトラーと同じだと感じるのも無理はない。

 しかし、この時点で、トルジン村の住民たちも、わたしたちマスコミ関係者、そしておそらく連邦軍の兵士たちも、「戦争」というものを実感しかねていた、われわれの目の前にあるのは、「事故」を起こした戦車三両と大破した乗用車、トラック、観光バス。取り囲むやじ馬。これが戦争というものなのだろうか?

 わたしたちは空港行きをあきらめ、トルジン村を出発したのだが、これが結果的に命拾いになった。あちこちで封鎖された道を何ヵ所も迂回しながら、なんとかリュブリャナまでたどりつくと、トルジン村で本格的な戦闘が起きたという知らせが入った。

 わたしたちが出発した直後、立ち往生する戦車と兵士を救出するため、連邦軍ヘリコプターが降下作戦を決行した。スロベニア軍との間で銃撃戦となり、連邦軍兵士四人、スロベニア軍兵士二人、巻き添えになった民間人一人が死亡した。連邦軍兵士二〇人余りが捕虜となり、負傷者(スロベニア軍兵士八人、民間人二人、連邦軍兵士四人)は、リュブリャナ大学付属病院に収容された。

 危ういところで戦闘の巻き添えにならずにすんだわたしたちがトルジン村で見たものはやはり本物の戦争、正確にはその序盤だったのだ。

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