2024年10月4日金曜日

20241003 株式会社岩波書店刊 アレクシ・ド・トクヴィル著 喜安朗訳「フランス二月革命の日々:トクヴィル回想録」 pp.110‐112より抜粋

株式会社岩波書店刊 アレクシ・ド・トクヴィル著 喜安朗訳「フランス二月革命の日々:トクヴィル回想録」
pp.110‐112より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003400917
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003400913 

 産業革命は、30年このかた、パリをフランスで第一の工業都市にしたのであり、その市壁の内部に、労働者という全く新しい民衆を吸引した。それを加え城壁建設の工事があって、さしあたって仕事のない農民がパリに集まってきた。物質的な享楽への熱望が、政府の刺戟のとで、次第にこれらの大衆をかり立てるようになり、ねたみに由来する民主主義的な不満が、いつのまにかこれら大衆に浸透していった。経済と政治に関する諸理論がそこに突破口をみいだして影響を与えはじめ、人びとの貧しさは神の摂理によるものではなく、法律によってつくられたものであること、そして貧困は、社会の基礎を変えることによってなくすことができることを、大衆に納得させようとしていた。そして統治する階級、とくにその先頭に立っている人びとは考え違いにおちいっていた。この考え違いは非常にたかまり、根強くなっていて、打倒されることになった権力の維持に、最も利益をもっていた人びとの抵抗をも無力化させるほどのものであった。中央集権化は、すべての革命行動えおパリを制覇するということに、また政府のよく整った機構を掌握するということに追いこんでしまった。そしてすべての事物が変動しやすくなっていて、変動する社会のなかでの諸制度や諸理念、習俗や人びとは、副次的な多数の小変動は別としても、少なくともここ60年の間で起こった七つの大きな革命で、揺れ動いたのである。こうしたことどもが、それらのことがなければ二月革命はありえなかったような、この革命の一般的原因なのである。革命を導き出すことになった主要な偶発事は、王朝的反対派の不手際な激情であり、彼らは選挙改革を実現しようとして、反乱を育ててしまったのである。この反乱をまずはじめに過剰に抑圧し、ついでに放置してしまう。突然に権力の糸を断ち切ってしまった旧大臣たちが姿を消してしまい、後を継いだ新たな大臣は混乱におちいって、権力を一時的にとりもどすことも、やぶれ目を結び直すこともできなかった。動揺するとはとても考えられなかったほど強力であった。かつての彼らの立場をとりもどすことに、全く力およぼなかったこれらの大臣たちの失策と精神の動揺、将軍たちのためらい、人望あり精力に満ちた王族がいなかったこと、だが何より国王ルイ=フィリップの老いの愚かさとでもいうべきもの、たぶん何をもってしても予想できなかったと思われるその気弱さ、この点は事件によって誰の目にも明らかになってからは、ほとんど信じ難いものとして、人びとの印象に残ったことである。

 私は時々、国王の心のなかに急に生み出された、そして前代未聞ともいうべき意気阻喪が、一体どうして起こったのかと考えてみる。ルイ・フィリップはその生涯を革命のただ中で過したのだから、経験がなかったわけでも、勇気や気力に欠けていたわけでもなかった。しかしあの日だけは、これらのことが完全に欠けていたのである。私は彼の弱体ぶりは、彼の驚愕があまりにもひどかったことに起因すると考える。彼は起ったことが何かを知る前に仰天してしまったのだ。二月革命はすべての人にとって予知しえなかったことであるが、誰よりもまずルイ・フィリップにとってそうだったのだ。外部から何の忠告も受けなかった彼は、革命に対し無防備のままだった。というのも数年前から彼の精神は独善的なある種の孤立のなかに立てこもってしまっていて、こうなるとだいたいそんな場合でも、長い間の幸せになれた王族の知性が生命を保つことになってしまうのだ。そうした生活のなかで、王族たちは財産を才能と思い違え、誰からも学ぶことはなくなったと信じてしまうため、どんなことにも耳をかそうとしなくなるのである。とくにルイ・フィリップは、すでに指摘したように、彼の大臣たちもそうだったのだが、これまでの歴史の事実が現在になげかけるまやかしの閃光に、目をくらまされていたのだ。

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