こうした現象は、おそらく、我が国社会の組織どこでおいても看取可能であり、たとえば、国会議事堂での与野党のやりとりにおいても見受けられ、与野党での意見の対立の際、相手からの質問や意見を真摯に検討せずに、論点をすり替えるような態度は、議会制民主主義に反するのではないかと思われます。しかし、残念ながら、こうした様相は、現在の我が国社会においては広汎に見受けられ、さらに、それらが関連し合って、社会において「価値観の混乱」が進展しているのが、我が国のみならず、世界規模での現象であるように思われます。
そして、そうした状況・事態にあるときに必要となるのが、さきの議論であると思われますが、古くから我が国の社会では議論の習慣が乏しく、各段階における意思決定に際して有効に議論が活用されているかについては、形式的な「議論」はあるものの、そこに実質があるかどうかについては、多くの場合、甚だ疑わしいと云えます。
ともあれ、では、このような社会状況下での、意思決定プロセスは、どのようなものになっていくのかと考えてみますと、言語化されない同調圧力的なものが強化されて「徐々に権威主義的な傾向を強めてゆく」のではないかと思われます。しかし、このような権威主義的な傾向は「議論」にあまり価値を認めず、むしろ、それを排撃する立場を取りがちと云えます。
そして、権威主義的な傾向が何故、議論を嫌うのかと考えてみますと、私見ながら、その根底には「議論」と「口論・口喧嘩」との違い、あるいは切り替えが、うまく認識されていないことがあるように思われますが、本質的に「議論」とは、合意形成を目指すものであり、一方の「口論・口喧嘩」は、それぞれの主張の否定を伴うものであると云えます。そして、この違いを理解せずに議論を行うことは、やはり困難であるように思われます。
また、それに関連して、近年の国際情勢の緊張を受けてか、我が国では、特に近現代史に関しての強硬な意見が目立ちますが、いまだその社会への影響は限定的と云えます。しかしながら、情報化された社会では、かえって、さまざまな思想や考えごとに分断されしまい、そしてそうした事態が、議論の不在による価値観の混乱がさらに強化されてしまい、さらに好ましくない社会状況に陥ってしまうのではないかとも危惧されますが、このような背景であっても、議論が我が国の社会に定着して一般化することは、難しいのではないかと思われます・・。
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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