2022年12月1日木曜日

20221201 株式会社ランダムハウス講談社刊 アリス・W・フラハティ著 吉田 利子訳 茂木 健一郎解説「書きたがる脳 言語と創造性の科学」 pp.110-112より抜粋

株式会社ランダムハウス講談社刊 アリス・W・フラハティ著 吉田 利子訳 茂木 健一郎解説「書きたがる脳 言語と創造性の科学」
pp.110-112より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4270001178
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4270001172

ライターズ・ブロックの表れ方も原因もいろいろだろうが、ライターズ・ブロックになった作家に共通する特徴が二つある。知的には問題がないのに書けないこと、それに書けなくて苦しんでいるということだ。この定義は単純だが、ライターズ・ブロックとは重要な点で異なるいくつかの状態をあぶりだしてくれる。

 ある意味ではライターズ・ブロックの対極にあるのがハイパーグラフィアだ。しかし驚いたことにこの二つの脳の状態はまったく正反対というわけではなく、相互補完的で、だから一人の作家がハイパーグラフィアとライターズ・ブロックのあいだを揺れ動くことが可能になる。それどころか、ハイパーグラフィアで同時にライターズ・ブロックだという場合さえある。小説の執筆を先延ばしにしているあいだに、ジョゼフ・コンラッドが友人に書いた熱っぽい手紙がその一例だ。

 ぼくは毎朝、敬虔な気持ちでデスクに向かう、八時間座り続けるー座っているだけだ。この八時間の労働時間中、三行の文章を書き、デスクを離れる前に絶望して消す。ときには、頭を壁に打ち付けたくなるのをあらん限りの力を振り絞って我慢する。口から泡を吹いて泣き喚きたいが、赤ん坊と妻を怯えさせると思うからそれもできない。こんな絶望的な危機に落ち込んだあとは、何時間もうとうとするが、そのあいだも書こうとして書けない物語が意識から離れない。そして目覚め、再び試み、へとへとになってベッドに入る。こうして何日も過ぎ、何も書けない、夜、眠る。朝、目覚めると、またも徒労の一日に耐えなければならないかと恐怖と無力感に苛まれる・・・。 

 ぼくは文体も感覚をすべて失った気がするが、それでも文体も必要性に憑かれている。書こうとして書けない物語は、ぼくが見るもの、話すこと、考えること、読もうとするすべての本の行にまとわりついている・・ぼくは自分の脳を感じる。頭にあるものははっきりと意識する。ぼくらの物語はそこに揺らめいているーかたちが定まらない。それをつかめない。確かにあるんだーいまにも破裂しそうなのに、だが水を握ろうとしても握れないように、どうにもそれがつかまらない・・・。

 決してゆっくりと書こうというつもりはない。文章は勝手な速さでやってくる。ぼくはそれを書きとめようと待ち構えている・・だが困るのは、一行を、一語を、待ち続けなければならないことがあまりにも多いんだ・・・最悪なのは、こうやってなす術もなくいるあいだもぼくの想像力がすさまじい勢いで活動し、すべてのパラグラフ、すべてのページ、すべての章がぼくの頭を通り過ぎていくってことだ。すべてがそこにあるんだよ。描写、会話、想念、すべてがあるのに。ただ信念だけが、ペンを原稿に置くために必要な唯一のものだけがない。ぼくは一日、膨大なことを考え、疲れ果て、気分が悪くなってベッドに入る。疲労困憊し、一行も書けずにだ。ぼくのこの努力ときたら、山のごとき傑作が生まれても不思議はないくらいなのに、ときどき馬鹿げたネズミがちょろちょろと現れるだけなんだ。 

 この長い文章ー原文はもっと長いーには、ライターズ・ブロックの苦しさがまざまざと表れている。だがこの饒舌ぶりはそれがハイパーグラフィアとごく近い関連があること、少なくとも作家によっては、ライターズ・ブロックが書きたいという圧倒的な欲望と同居している場合があることを示している。

 ライターズ・ブロックを、作家当人が望むより少なくしか(はるかに少なくしか)書けない状態と定義すれば、世間並みの執筆量であっても、当人は書きたいと思うほど書けないのでライターズ・ブロックだと強く感じる場合も考えられる。たとえばここに引用した痛ましい文章にもかかわらず、コンラッドは定期的に本を出版していた。彼らほど作品数が多くないわたしたちは、そんなものは真のライターズ・ブロックではないと不満に思うかもしれないが、このライターズ・ブロックの感覚は真のそれにきわめて近いのであり、この二つは一緒に考えるべきだろう。

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