2021年10月8日金曜日

20211007 本日の書店での立読みと物色から思ったこと・・

10月に入り首都圏もさらに秋めいてきましたが、本日は久しぶりに都心の大型書店に出向き、しばし、立読みを伴う書籍の物色をしてきました。そうしたなか、偶然に面白そうな書籍を手に取り見つけた時は、現在でも気分が高揚するものであり、そしてまた、それは何と云いますか、その時の自分の心持ちによって(気分が高揚する)対象となる書籍の種類が変わることから、果てが見つからず、また、どうも飽きがこないようにも思われるのです・・。

ともあれ、考えてみますと、私はこの行動をこれまでに、どのくらいの期間続けてきたのでしょうか・・?それはおそらく、本格的に書籍を読むようになった大学院修士課程の頃からであると思われますので15年程度になると云えます。

そして、この行動はその後、何処に住んでいようとも、あまり変化することはなく、また、地域によっては、大規模書店に出向くことが、それなりの距離の散歩にもなっていたことから、この立読みを伴う書籍の物色は運動ともなって、心身の健康にも幾分かは寄与したのだと云えます。

くわえて、本日に関しては、スマートフォンを自宅に忘れて出て来てしまったため、久しぶりに、スマホの検索機能に頼らず、手にした書籍の情報を入手する必要性が生じましたが、大変面白いことに、検索機能に頼らず、自ら頁を広げ、その書籍の吟味をしている時の方が、得られる充実感は大きいと感じられました。

そういえば、当ブログをはじめた2015年の頃、私はスマホを所持しておらず、そしてまた、当ブログの過去の複数記事にて、スマホの危険性を述べていたことがありましたが、たしかにそれは、少なくとも全面的な間違いではなく、また、ある程度普遍的なことであるようにも思われました。そしてまた、その感覚を受けたあとに電車に乗り、車両内を眺めてみますと、目に付く乗客の半分程度がスマホ画面を見ていることに、ある種の驚きをもって気が付かされるのです・・。

とはいえ、おそらく、そうした機器をより多くの人が持つことによって、社会全体にとって有益なことも少なからず生じるとは思われるものの、他方で、さきの述べたような、ある種の情報の入手、および能動的な価値判断のもとになる「感覚」の知覚ついては、その機能を退化、減衰させるような性質もまた、あるように思われるのです・・。

そうして、これまでのスマホを用いた書籍情報の入手の仕方が、それ以前と比べて安逸であり、あまり感覚に訴えないものになってしまっていたことを悟るわけですが、それでも、今後もやはり、必要であれば、スマホの機能を用いるものと思われます。しかし、その頻度などを意識して出来るだけ変えて行きたいとも思いました。我々には、ある道具の使用法に慣れますと、それに馴染んでやがては始終使うようになるといった性質(福沢諭吉の云う「惑溺」にも近いものであるのでしょうか?)もあると思われますので、こうしたことをあらためて考えることにも意味があるのではないかと思われました。

しかし、以前にスマホの危険性を述べておきながら、その本人が数年後には、そうした状態に普通に浸かっていることは、恐ろしくもありますが、同時に何だか滑稽にも思われます・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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