A「本日は多少風邪気味であり、ブログ記事の作成は止めておこうと考えておりましたが、やはり何かしら書いておいた方が良いと考え、面倒とは思いつつも記事作成をはじめた次第です・・(笑)。
習慣とはなかなかおそろしいものであるとつくづく思います。
また「上記のような心情にて書き始めた記事がどのようなものになるのか?」といった疑問もなかなか面白いものであり、それは昨日投稿した記事の主題とも、ある程度関連があるのではないかとも思われます・・(笑)。
さて、現在このように記事作成を行っているわけですが、その心的状態とは、特に高揚、落胆しているわけでもなく、であるからといって、もとより記事作成に没頭しているわけでもありません・・。
本当に何かに没頭している状態とは、おそらくその状態を(客観的な感じで)記述することが難しいのではないかと思われますので、こうした文章を作成している心の状態とは、また少し特殊(現在の自身にとって多少不慣れな心のスタンス)であり、違和感があると最近時折思うのです・・。
しかし、この文章を作成している自身の心の状態を特殊と感じ、また違和感をおぼえるということは、あるいは自身の文体を得るまでに経験する一つの過程ではないかとも思われます・・。
これを別言しますと、以前であれば、こうした心的状態を取り上げ、それを上記のように文章として表現することは難しかったことから、これはこれで一つの進化(の過程)ではなかろうかとも思われるということです・・(笑)。
そしてまた、そのようなことを継続していくうちに果たして「自身の文体」といったものを得ることができるのでしょうか・・?
以前投稿した記事においても示しましたが中井久夫によると「文体を得る経験」とは比較的明瞭、判然としたものであるとのことですが、私はこれに関しては未だに実感がありませんし、また同時に今現在、自身の文体を持っているという自覚もありません・・。
しかしまた、以前に比べれば、多少それに近づいているといった実感はありますが・・。
また、その実感があるからこそ、冒頭にて述べたとおり、面倒とは思いつつも作成をはじめた記事が、この程度まで(特に痛痒を感じることなく)記すことが出来ているのではないかと思います。
また、このことに関して当初「中身が無いことを延々と文章にて記すことは無意味であり、何の益もない」と、かなり批判的に考えていたのですが、それがある程度の期間、ブログ記事作成を経ることにより大きく変化したことも事実です・・(笑)。
それ故「継続は力なり」というコトバの意味もまた、ここであらためて実感しております・・(笑)。
とはいえ、それが「今後どの程度まで継続するのか?」については、正直なところまったく考えておりません・・(苦笑)。
そして、これは自身の読書の傾向と、かなり近似しているように思われるのです・・(苦笑)。
さらにまた、この読書の傾向とは、幼年期にまで遡ることが出来、その意味において、読む書籍に関しては、年齢の経過により、いくらか成長、進化しているのかもしれませんが、その行動自体とは大きく変化(成長)していないということが出来ます・・(笑)。
そうしますと、現在ある程度継続し作成している一連のブログ記事においてもまた、そのようになる可能性があるのかもしれません、また同時に、それが「どのようにして為されるか?」とは、多少興味が湧き、おそらく根源的には、そうした興味によって、これまで一連のブログ記事作成は為されているのではないかと思います・・。
しかしまた、この種の興味とは、さきの読書に対する自身の興味?とはまた異なるものです。
そして、それら(読書、ブログ作成に対する興味)とは、おそらく同一になることはありません。
とはいえ、それら双方の興味が「どのように同一とまではいかないまでも近似していくのか?」とは、なかなか面白いと自身は考えるのです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
また、昨年発生した熊本、山陰東部そして福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
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