2022年6月10日金曜日

20200610 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」 pp.172‐174より抜粋

株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」

pp.172‐174より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309407811
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309407814

 三島 「思想の科学」の連中なんか言っていることだが、密教と顕教、あれは面白い教え方だね。そして、顕教では現人神であって、密教では天皇機関説だね。そして、東京帝国大学は密教を教えるところだ。支配者は、みんな成年過ぎて、いいこと悪いことが区別ついて、知性が非常に高くなった段階ではじめて密教を教える。例の国体論争が起きたときから、密教の問題が顕教のほうにはみ出してきちゃった。そして、たまたま密教の中で閉じ込めてあった天皇機関説が出てきちゃった。それで大問題が起きて、密教と顕教が混交しちゃったという考え方、あれは面白いと思った。それは軍部の教育でも、統帥参考書とか統帥綱領とか、戦前絶対の部外秘で将校も自分たちは単行本も持ってないわけです。陸軍大学でちょっとのぞくだけです。それには堂々と退却の話が長々と書いてある。それが、昭和十年ごろになってから、退却という字を改めて転進にしたらしいんですが、昔の原本には退却という字がはっきり書いてある。軍人には退却が必要ですから、密教的には教えていたわけですね。

 そういう教育の二重構造がなくなって、子供のときから、嘘をほんとうのことらしく教えちゃうのは、真実と嘘というのは福田さんの演劇論の中にもあるけど、そういう根本的な教育が間違っているんだね。それが全部左翼の謀略だとは思わない。日本人のバカ正直、実にバカ正直だ。

福田 どっちが嘘で、どっちがほんとうだと決めなければ気が済まない。

三島 紀元節問題でもそうです。左翼がどうのこうのいうより、実にバカ正直だ。バカな議論ですよ。天皇問題では、つまりいまは顕教と密教とが逆になっちゃった。顕教というのは、天皇が人間であり、象徴である。密教がいま学校で教えてないんだけど、現人神信仰というのが残っているのが密教だよ。教育とは問題離れるが、密教と顕教が逆になった形だと思うんだ。

福田 天皇の本質を純歴史的、純科学的に解明していけば、ただ象徴だったり、人間だったりするわけがないよ。祭司の代表だからね。祭司というものを農耕儀礼を追求していけば、天皇は人間であっていいという証拠はどこにも出てこない。

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