ウィンストン・チャーチルの戦争についての記述と併せて読むと面白いかもしれません。
『リウィウスは言った。
「ポッリオの問題は、歴史を記述する際に洗練された詩的な感情をおさえねばならんと思い込んでいるところにある。作中人物を動かすときも意識して生気がないようにしてしまうし、その人物に語らせるときにも、わざとかれらの口から能弁を奪ってしまうのだ。」
ポッリオは言った。
「そうとも。詩は詩、弁論術は弁論術、そして歴史は歴史だ。これを混同はできぬ」
「混同できぬ?私にはできるよ」リウィウスは言った。
「叙事詩的主題は詩の占有物だから歴史に用いてはならぬとか、決戦前夜の将軍に、それが弁論術の占有物だという理由から、能弁な演説をさせてはならぬというのかね」
「それこそわしの言いたいところじゃ。
実際に何が起こったか、人々がいかに生きそして死んでいったか、その人々が何を言い何をしたか、それをありのままに記録することこそ真の歴史であって、叙事詩的主題はいたずらに記録を歪めるだけだ。貴殿の将軍の演説は、なるほど弁論術としては一級品かもしれんが、まったく歴史的ではない。どれをとっても真実のかけらもないばかりか、不適切ですらある。わしは他の誰よりも決戦前夜の将軍の演説をこの耳で聞いてきた人間だが、その当の将軍たち、殊にカエサルとアントニウスは弁論術の手本ともなる能弁家であったにも係らず、何よりもまず良き軍人であったから、軍団兵の前でそうした弁論術の手本を披露したりはしなかった。
将軍たちが兵士に向って語るときには、普通の会話のように話したのであって、決して演説をぶったわけではない。
そもそもカエサルがファルサリアの合戦の前にどのように話したか貴殿は御存知かな?かれは兵士に対して、妻子のことやローマの神殿のこと、はてはローマの過去の赫々たる戦歴を思い起こせなどと言ったか?断じて否である!カエサルは片手に例のばかでかい人参、片手には硬い兵営のパンを持って松の切株の上に立ち、もぐもぐ口を動かしながらその合間に冗談を飛ばしたのだ。冗談といっても婉曲なものではなく、そのものずばりの生々しい奴で、話題は自分の自堕落な生き方に比べれば、まだしもポンペイウスの暮らしはずっと清潔だというものだった。カエサルはあの人参を使って兵士たちの腹の皮がよじれるほど大笑いさせたものよ。今でも憶えておるよ、ポンペイウスが大ポンペイウスと呼ばれるようになった由来をあのばかでかい人参を使って説明するきわどい冗談があったなあ。カエサルがどうしてアレクサンドリアの市場(バザール)で髪の毛を失う羽目に陥ったかという話はもっときわどいものだった。まあこの少年の前では話せんが、たとえ聞かせてやっても君はカエサルの兵営で鍛えられた者ではないから話の要点は分かろうはずがない。いったいカエサルは翌日の戦さのことなど話の締めくくりにこう言っただけだ―「嗚呼哀れなるかな、ポンペイウス、カエサルの軍隊に刃向かうとは。運の尽きというものだ。」「貴殿は著作の中でこうしたことは一切記しておらないのではないか」
「もちろん一般公開した版にはな」とポッリオが言った。「わしとて馬鹿ではない。それでも知りたいというのなら、私家版の補足篇を貸してやろうか。ちょうど書き上げたばかりだからな。しかし改めてあれを読むまでもない、わしが直に話してやろうから。
知っての通り、カエサルには物真似の才があった。かれは今まさに剣の上に(あの人参を剣に見立てて―尤もかじりさしではあったが)わが身を投ぜんとするポンペイウスの臨終の言葉を披露してみせたのだ。何ゆえ悪が正義に勝利するのか、ポンペイウスの名において不死の神々を痛罵したのだ。兵士たちは腹を抱えて大笑いさ。それからカエサルは声の限りに叫んだ。「ポンペイウスはこういうが、これは本当ではなかろうか?できるものなら否定してみるがいい、ふしだらな餓鬼めら!」そしてかじりさしの人参を兵士たちの前で振り回したのだ。その時の兵の怒号たるや!カエサルの兵ほどのものは後にも先にもなかった。連中がガリア戦役勝利のときに歌っていた歌を憶えているかな。「俺たちと一緒に禿頭の助平どののお帰りだローマ人よ、女房を家に閉じ込めておけ」
「これこれ、わが友ポッリオよ、今議論しているのはカエサルの道徳についてではなく、いかなるものが正しい歴史記述かという問題であったはずですぞ」とリウィウスは言った。」
この私、クラウディウス
この私、クラウディウス
ロバート・グレーヴス
『リウィウスは言った。
「ポッリオの問題は、歴史を記述する際に洗練された詩的な感情をおさえねばならんと思い込んでいるところにある。作中人物を動かすときも意識して生気がないようにしてしまうし、その人物に語らせるときにも、わざとかれらの口から能弁を奪ってしまうのだ。」
ポッリオは言った。
「そうとも。詩は詩、弁論術は弁論術、そして歴史は歴史だ。これを混同はできぬ」
「混同できぬ?私にはできるよ」リウィウスは言った。
「叙事詩的主題は詩の占有物だから歴史に用いてはならぬとか、決戦前夜の将軍に、それが弁論術の占有物だという理由から、能弁な演説をさせてはならぬというのかね」
「それこそわしの言いたいところじゃ。
実際に何が起こったか、人々がいかに生きそして死んでいったか、その人々が何を言い何をしたか、それをありのままに記録することこそ真の歴史であって、叙事詩的主題はいたずらに記録を歪めるだけだ。貴殿の将軍の演説は、なるほど弁論術としては一級品かもしれんが、まったく歴史的ではない。どれをとっても真実のかけらもないばかりか、不適切ですらある。わしは他の誰よりも決戦前夜の将軍の演説をこの耳で聞いてきた人間だが、その当の将軍たち、殊にカエサルとアントニウスは弁論術の手本ともなる能弁家であったにも係らず、何よりもまず良き軍人であったから、軍団兵の前でそうした弁論術の手本を披露したりはしなかった。
将軍たちが兵士に向って語るときには、普通の会話のように話したのであって、決して演説をぶったわけではない。
そもそもカエサルがファルサリアの合戦の前にどのように話したか貴殿は御存知かな?かれは兵士に対して、妻子のことやローマの神殿のこと、はてはローマの過去の赫々たる戦歴を思い起こせなどと言ったか?断じて否である!カエサルは片手に例のばかでかい人参、片手には硬い兵営のパンを持って松の切株の上に立ち、もぐもぐ口を動かしながらその合間に冗談を飛ばしたのだ。冗談といっても婉曲なものではなく、そのものずばりの生々しい奴で、話題は自分の自堕落な生き方に比べれば、まだしもポンペイウスの暮らしはずっと清潔だというものだった。カエサルはあの人参を使って兵士たちの腹の皮がよじれるほど大笑いさせたものよ。今でも憶えておるよ、ポンペイウスが大ポンペイウスと呼ばれるようになった由来をあのばかでかい人参を使って説明するきわどい冗談があったなあ。カエサルがどうしてアレクサンドリアの市場(バザール)で髪の毛を失う羽目に陥ったかという話はもっときわどいものだった。まあこの少年の前では話せんが、たとえ聞かせてやっても君はカエサルの兵営で鍛えられた者ではないから話の要点は分かろうはずがない。いったいカエサルは翌日の戦さのことなど話の締めくくりにこう言っただけだ―「嗚呼哀れなるかな、ポンペイウス、カエサルの軍隊に刃向かうとは。運の尽きというものだ。」「貴殿は著作の中でこうしたことは一切記しておらないのではないか」
「もちろん一般公開した版にはな」とポッリオが言った。「わしとて馬鹿ではない。それでも知りたいというのなら、私家版の補足篇を貸してやろうか。ちょうど書き上げたばかりだからな。しかし改めてあれを読むまでもない、わしが直に話してやろうから。
知っての通り、カエサルには物真似の才があった。かれは今まさに剣の上に(あの人参を剣に見立てて―尤もかじりさしではあったが)わが身を投ぜんとするポンペイウスの臨終の言葉を披露してみせたのだ。何ゆえ悪が正義に勝利するのか、ポンペイウスの名において不死の神々を痛罵したのだ。兵士たちは腹を抱えて大笑いさ。それからカエサルは声の限りに叫んだ。「ポンペイウスはこういうが、これは本当ではなかろうか?できるものなら否定してみるがいい、ふしだらな餓鬼めら!」そしてかじりさしの人参を兵士たちの前で振り回したのだ。その時の兵の怒号たるや!カエサルの兵ほどのものは後にも先にもなかった。連中がガリア戦役勝利のときに歌っていた歌を憶えているかな。「俺たちと一緒に禿頭の助平どののお帰りだローマ人よ、女房を家に閉じ込めておけ」
「これこれ、わが友ポッリオよ、今議論しているのはカエサルの道徳についてではなく、いかなるものが正しい歴史記述かという問題であったはずですぞ」とリウィウスは言った。」
この私、クラウディウス
この私、クラウディウス
ロバート・グレーヴス
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