さて、本日もまた電車移動の際にジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』上巻および岡正雄論文集『異人その他』を読んでおり、途中どうした経緯か、後著作の末尾にある大林太良による解説を読んでみることにしました。
そこでは先日投稿分記事にて書いたように、著者・岡正雄が研究の際の基本的な視座とした『我が国の有史時代に至るまでの時代の経過のなかで、さまざまな北東・南アジア諸族文化が我が国に、これまたさまざまな経路によってもたらされ、そしてそれらが国内諸地域にて在来のものと混淆し、諸族文化の濃淡、特徴を示しつつ(遺しつつ)地域文化として定着していった。』といった考えは、古くから現在に至るまで我が国において一般化された認識には至らず、むしろそれとは反対の意見とさえいえる『我が国における民族文化とは辺縁地域における多少の例外は認められるものの、概ね一枚岩様である。』といった意見の方が今もって主流となっているのではないか?といったことが書かれていました。
しかしその一方で、ここまで書いていて不図思い起こさせるのは10月4日投稿分記事『習慣・日課となったブログをどのようにして継続するか・・★』での『ジャレド・ダイアモンド著 『銃・病原菌・鉄』上巻作中にて『日本では人種の違いが優劣の原因となっていることが平然と信じられている』といった記述に関してのことです・・。
この記述から考えてみますと、それは国際社会あるいは他の多民族国家社会内部に対しての我が国からの評価であるのか、はたまた自らの国内事情に対しての評価であるのか、もしくはそれら全てであるのかとは10月4日投稿分ブログ記事においても少しは触れましたが、さらに、さきの『異人その他』巻末の大林太良による解説内容とを加味して考えてみますと、そこには明確に矛盾とは評し得ないにしても対立する意見が存在するのではないかと考えられるのです。
あるいはまた、それは本音と建前の間にある対立に近いものであるのでしょうか?いずれにしても、そこにもまた多少なりとも深い何かがあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?
今回もまたここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。そして引き続き、つい先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。
0 件のコメント:
コメントを投稿