再読ということもあり、読み進める速度は初回目よりも若干早いと思われますが、それと同時に、よく分からない表現などがある場合、読み進めるのを止めて、その場で考えてみたりする(そこで述べられている文章が具体的にどのような史実を踏まえているのか、あるいは類似する我が国の史実を検討してみる)のもまた特に再読の際によく行うことです。
そのようにして何度かその著作を繰り返し読んでみますと、大体の場合、著作の概容がある程度深く理解され、一種の血肉化(インカーネーション)が為されるのではないかと考えています。
あるいは故事に云われる『読書百遍義自ずから見る』にもまた相通じるのではないかとも思われます。
そしてまた、そうした読書と並行し、類似した内容の別の著作を読んでおりますと、より一層何と云いますか双方著作に対する、より深くからの理解が効果的に為されるのではないかとも考えられます。
そのことを考えたのは、本日昼に休んでいる時、これまた先日来より一人輪読(笑)を続けているユヴァル・ノア・ハラリ著『Sapiens: A Brief History of Humankind』を読んでおりますと、その最中、冒頭にて挙げた『銃・病原菌・鉄』文中において出てきた単語、コトバが認められ、それにより、その(『Sapiens: A Brief History of Humankind』)文章の背後にある『文脈』を何となく理解、把握出来た感じを持ち得るに至り、また、それはたしかに大意としては間違ってはいないのです・・。
さらに本日に関してはそればかりでなく、これも先日投稿の記事においても挙げた岡正雄論文集『異人その他』を読んでおりますと、これがまた、和書であるにもかかわらず、さきの二つの著作に対してよく調和するように思われたのです(笑)。
食べ物にてたとえますと、適当であるか分かりませんがホース・ラディッシュにて食べるロースト・ビーフは山葵にて食べても決して相性は悪くない、といったところであり、ともかく自身としては、ここに取り上げて書くほどには感心したのです(笑)。
そこで、自身がそのように感じた理由について納得のいく説明を求めようと(これは一つの私の悪い癖であるのかもしれませんが・・(苦笑)。)調べてみますと、この著者、著作とは、扱っている内容が基本的には我が国のことがらでありながら、その扱い方、論述の手法が大変欧米的(?)であり、私なりの表現を用いますと、多少誇張しておりますが、『英論文を和訳した文章』といったような感じを受けるのです・・。
おそらくそれは、著者である岡正雄が長年にわたりオーストリアのウィーンにて学び、研究をしてきたという背景があるのではないかと思われますが、昨今評判の外国人による二著作と決して新しいとはいえない日本人による著作の読み合わせ、相性が悪くないということは、自身としてはなかなか画期的なことではないかと思われたのです・・(笑)。
これがたとえば、当ブログ記事に頻出しております加藤周一著『日本文学史序説』ではこうはいかないのではないかと思われます・・。
(私見によりますと加藤周一も長年欧米に滞在していたのですが、その書かれた日本語の文章から、さきのような感想を持ったことはありません・・。)。
このように考えてみますと、なかなか文章といったものもまた、奥が深いような感じがしてきました(笑)。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。」
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