2017年9月29日金曜日

20170928 我が国に本当の文系が少ないワケについて・・

A「驚いたことに昨日投稿分の記事はかなり多くの方々に読んで頂けました(53)。

しかし、本日に関しては帰宅が遅くなったことからブログ記事作成は止めておこうと、ついさきほどまでは考えていたのですが『それでも何かしら書いておかないと精神衛生上良くないのでは・・』と考えを改め、現在このように記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。

さて、本日の首都圏は夜半過ぎまで雨が降り、またそのためか、夕刻以降の外気温は、この時候にしてはかなり冷涼なものとなったのではないかと思われます・・。

以上のような気温の上下を何度か繰り返し徐々に季節が本格的に秋らしくなっていくのでしょう・・。

こうした季節の過渡期ともいえる期間とは、特に体調を崩し易いと云われておりますが、自身の経験からも、たしかにそれは(ある程度)事実を言い当てているのではないかと考えます。

しかし、この『事実を言い当てる』とは、なかなか難しいものであり、たとえば昨日投稿分の記事にて書いた『我が国には本当の文系とは少ない』という見解は、自身のこれまでの経験に基づいたものではありますが、おそらくそれを認める方々とは、かなり少ないのではないかと思われます・・(苦笑)。

また一方で、前述の見解に対して生じるであろう誤解を出来る限り少なくするためにも、この見解について今しばらく書いてみようと思います。

国際的な見地から、一般に我が国とは哲学・思想の国として認識されるよりも優秀な工業製品・優れた造形芸術・特徴的な絵画・工芸品などによってその名が知られてきました。

そしてまた、我が国において言語の連なり、すなわり何らかの『言説』が積極的に発露される時とは、形而上的・観念的な思想を言明する際であるよりも、何かしら具体的な事物に接した時の反応として生じる感興を説明するためといった傾向が強く、そしてまた、その際の感性とは繊細であるのはないかと思われます・・。

つまり、我が国においてはおそらく『はじめにコトバありき』ではなく、はじめに『外部から何らかの感性・感覚に対する働きかけ』といったものがあり、それに対しての反応として言語・言説が洗練されていったといったような経緯があるのではないかと思われるのです・・。

しかし、そうしますと『そうした事情とは、我が国以外の西欧諸国においても同様ではないのか?』と考えられる方々多々がいらっしゃるかもしれませんが、ここまできますと、明確な返答とは出来ないのですが、それでもやはり我が国の場合、さまざまな局面において『後の先を取りに行く』といった傾向が顕著に強いのではないかと思われるのです・・(こうした問答においては強気の悪者には究極的には勝てない、そしてそれ故に現在の我が国のあまり好ましくないさまざまな事態が招来されているのかもしれません・・(苦笑)。)。

また、それは人文社会科学的には、地政学的に説明出来るのかもしれませんが、何れにせよ、たしかに我が国とは『受動への洗練』に大変優れている一方において、能動的にして形而上的・観念的なコトバ・思考の連なり、つまり哲学・思想といった『本質的に文系学問分野の核とされる要素』の発達が、少なくとも西欧・中東などといった(宗教揺籃の)地域に比べますと、良い悪いを抜きにして、明らかに弱いのではないかと思われるのです・・(こうしたバラつきとは、どの地域間においても存在するのだが・・)。

そして、結局、そのことが我が国において本当の文系が少ないことを示しているのではないかと思われるのです・・。

私見として、我が国は観察そしてそれに基づく行動を基礎とする理系学問への更なる注力を通して文系学問分野の充実をも図る方が、その性分に合っているのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」





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