2015年10月28日水曜日

なだいなだ著「娘の学校」中央公論社刊pp.196-201より抜粋

昭和三十九年の八月の末、私は一年足らずのヨーロッパ滞在をおえて、コペンハーゲン経由北極廻りの日航機で、東京に帰って来た。
飛行機は、混んでいなかった。それでも半数ほどの座席はふさがっていただろうか。

窓際に席をとり、隣に来た客がモロッコ人の医者で、フランス語が達者だったので、私は彼とずっとおしゃべりをし続けた。
十六時間半、私たちは一睡もせず、何でもかでも、話のたねにし、おしゃべりのマラソンを続けたのである。
このことから、私を大変なおしゃべりと、はやまって断定してはならない。

実を言うと、私は、どうも飛行機というやつが好かんのである。
乗ると、なんとなく不安を感じるのである。
眠るどころではないのだ。
そこで、その不安をごまかすために、おしゃべりをしたのだった。
相手のモロッコ人の医者の気持も同様であった。
しかし、これは、お前たちのママには内緒である。
私は日ごろ、女の方がゼッタイおしゃべりだと主張しているので、こんなおしゃべりマラソンの記録など知られると困るのだ。
今のところ、お前たちのママのおしゃべり長電話記録は、私が新宿で数度電話したがお話中であり、飯田橋の家にもどったら、さっきお話し中の電話の続きをまだやっていたというものだ。
この記録を、彼女はあまり光栄なものと思っておらず、しきりとその時の相手がなんとおしゃべりだったかと感嘆して見せるのである。
彼女が、私たちの記録を知り、その記録に挑戦するような気持を起こさないためにも、このことは、お前たちのママには知らせてはならぬ。

ともかく、内容はどうということもなかった。
目に浮ぶもの、頭に浮ぶものすべてについて、何でも話しのたねにした。そうしなければ、十六時間半、たとえ会話の形とはいえ、おしゃべりのしっぱなしというのは難しい。

「日本にも砂漠があるか」

とモロッコの医者が言えば、

「モロッコの冬は寒いのか」

と私が問いかえすぐあいで、毒のない会話ばかりだった。
私は、乗客の顔を見て骨相学の話をしたりもした。

「いいかね。われわれのところと通路をはさんで向う側の席の、白髪の日本人だが」

私は、相棒に言った。

「あの、三人分の座席を占領して横になって毛布をひっかぶってる男かね」

「そうだ、そうだ」

「よく眠る男だな。
コペンから乗ったが、離陸して、ベルトを外してよしのサインが出たら、すぐゴロリだ。
スチュワーデスが、食事を食べんかってゆりうごかしたが、起きようともせんぞ」

モロッコ人の医者は、あきれたような表情でつぶやいた。
私は彼に小声で言った。

「その、あのよく眠る男だがな、あの男は日本の小説家の川端康成という人物に、非常によく似ておるのだ。
そもそも僕もだな、ほんものは見たことがないのだがな、他人の空似といっても、これほどよく似ている例は、あまりあるまいな」

アンカレッジで、燃料補給のために、空港内で朝食をとって時をすごす。私たちは、川端康成に似た白髪の老人と、同じテーブルになった。

「似とる。全くよく似とる。テレビに、そっくりショーというのがあるが、あの番組でぜひ本物と対決させるべきだ。」

私たちは、そこでもおしゃべりを続けた。
私たちはフランス語で話し続けていた。
白髪の老人は、私の正面で、ただ黙々と、パンもミルクもコーヒーもとらず、オレンジなかり二つたて続けに食べ、そして三つ目のオレンジに、ギョロリとした目を向けた。

「あのギョロリと凝視する目付き、あの偏執的ともいえる事物凝視の目、あそこまで真似られるというのは、もう立派なものだな。」

私は叫んだ。
男は、アンカレッジから東京まで、また眠り続けだった。
まるで眠りの森の老王であった。「まだ眠っとるぞ」

「よく、まあ眠れるもんだな、あきないで」

と私たちは言ったが、そこには、自分たちが飛行機がこわくて神経質に一睡も出来ないことについての、劣等感の反映もあったようだ。

羽田空港について、税関を通り、私は早々と外に出た。
そして、お前たち娘どもにとりかこまれた。
その迎えの人の中に、私に急用があって来ていた雑誌記者の人が一人いて、私の姿を認めて、にこやかな顔で近づいて来た。ところが、その人は、私のほうに一直線に進んで来る途中で、急に方向を変え、

「あ、川端先生」

と叫ぶと、あの、私が川端康成に非常によく似た人物と呼んだ、白髪の老人の方にすっとんで行ってしまった。

私は、その時になって、自分が、どうしてその時まで、本人だと思わず非常に似ている別人と思いこんでいたのか不思議だった。
そして、ホンモノである可能性をすっかり考えなかった自分のオッチョコチョイさかげんに気づくと、われながら、がっかりした。

川端康成のホンモノは、自分のところにあわててとんで来た雑誌記者を見ると、腹立たしげに言った。その話し声が、私の耳に入って来た。

「この飛行機で帰って来ることは、誰にも知らしておらんのだ。それなのに、どうして、君は、私がこの便で帰ることをかぎつけたのだ」

「いいえ、かぎつけたなんて。偶然です。別の方に用事があって来たら、先生がおられたので、すぐ御挨拶に」

雑誌記者の人は、相手のご機嫌の状態に気づいて、いいわけをした。

「ともかく、一人にしてくれ。私はくたびれている。コペンハーゲンから、羽田まで一睡もしておらんのだ」

川端康成のホンモノは、そう言った。

私は、やれやれ、と、それを聞いて首を振った。
「一睡もしておらんのだ、か。コペンから羽田まで、眠りの森の老王のように眠り続けていたくせに」

私は、その時、大文豪となるためには、このくらい堂々と、正反対のことを言えるようでなくてはならんのだな、と思った。そしておれのように正直では、とうてい、文豪などおぼつかないぞ、としみじみ思ったのだった。

私が、今、この原稿を書いている時、その川端康成氏が、ノーベル文学賞を受賞する式の様子が、テレビ中継されている。そのテレビに大写しになった表情を見て、私は、急に四年前の羽田空港でのことを思い出した、というわけである。


娘の学校



  • ISBN-10: 4122000297
  • ISBN-13: 978-4122000292

  • なだいなだ

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