2016年10月3日月曜日

20161003 最近感じたことから思ったこと・・フィクションでも可

A「以前からたびたび感じていたことであり、また、そのことをブログ記事として記すのは様々な意味で「如何なものか?」と考えておりましたが、今回、その感じたことを記してみようと思います・・。

さて、以前投稿したブログ記事にて、面白いと思われた著作を挙げ、その内容を今後抜粋引用したいと述べたことが幾度かありました・・。

そして、先日、そのうちの一冊の内容を抜粋引用しようと考え、もう一度、その時に何かしらの意味でタイムリーで面白いと思われる記述部分を見つけようと、目を通していた丁度その時、当該著作を面白く、抜粋引用したいと記したブログ記事に対する閲覧者数が、これといった原因が見受けられないにもかかわらず有意(計算はしておりませんが、してみても(何れのP値であれ)おそらくそうであると思われます。)に増加しました・・。

そして、このようないわば、私の考えを先取り、読まれていると感じたことは、当ブログ記事冒頭にて述べました通り、たびたび生じていることであり、これまでは「単なる偶然であろう。」と考えておりましたが、先日受けた感じにより「とりあえず、このことをブログ記事として記しておこう・・」と思い立ち、現在、それを文章として著している次第です・・(笑)。

このようなことを記しますと「果たしてこの人は大丈夫であろうか?」と考える方々も(少なからず)いらっしゃるのではないかと思われますが、その場合は、どうぞこれを一つのフィクションであると考えて頂きたく思います・・(笑)。

また、今現在の私としても半ば「いわば、これは偶然(あるいは自意識過剰(笑))から生じたフィクションではなかろうか・・?」とも考えておりますので・・(苦笑)。 

しかしながら、このような実際に自身が感じたことに対する懐疑的な観察、考察をしておりますと、今度は何だか、自身がこれまでにある程度の自明性、実在性をもって感じていた(と信じる)様々なことに対してもまた同様に、その自明性、実在性に対する疑問が生じてきます・・(笑)。

そして、そのような疑問から様々な哲学観念などが生じてくるのではないかと思われます・・。

とはいえ、今現在の私の場合、こうした根源的なところから物事を考える、問いを発するには、年齢的に多少無理があるのではないかと思われます・・(苦笑)。

「年を取ると頭が固くなる」とは、要するに、上記のようなことを指すのではないかと思われます・・(苦笑)。

しかし、さきほど記したような「先取り、読まれている」と感じたことが、実際に誰か(複数かもしれない・この点も不明)の意図により為されていたのであれば、その誰かとは、私からしますと「天才」ではないだろうか?と正直に思います・・(笑)。

それは「そこまで深く一連の記事を読んで頂きどうもありがとうございます。」といった感謝の念よりも、むしろ驚嘆(文字通りの意味で)の念を惹起させるような類です・・。

そして、そこから「では私とは、これまでに実際そうした(天才的)人物に出会ったことがあるのか?」と自問してみますと「おそらく何人か出会ったことはあるとは思われるが、その特定は困難であろう・・」といったあまり面白くない答えとなるのではないかと思われます・・(笑)。

しかし、もしかすると、こうした才能も世の中に様々ある才能の一つであり、いわば「試験などのヤマ当て」と似てないこともないのかもしれない・・とも考えさせられます・・(笑)。

いずれにせよ、私を含め我々とは一般的に、未知の分野での才能を垣間見せられるとかなり驚くものですから・・(笑)。

そして、ここまで記して本日のブログ記事といたします。

明日は当記事冒頭部にて述べた書籍からの抜粋引用を行う予定です。

本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を襲った大地震によって被災された地域の諸インフラの出来る限り早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。

また、同時に新たに沖縄、九州地方に近づきつつある台風による被害もまた出来るだけ軽微であることを祈念します。」

20161002 市ヶ谷~岩本町周辺地域にて思ったこと

A「おかげさまで昨日(20161001)のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。

読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、読んで頂いた反応を見ますと、それもまた大変興味深いものがあり、同時にその反応の秀逸さ、鋭さに慄然とさせられることも度々あります・・(苦笑)。

一体どのような方(方々)が、こうした反応をなされているのか未だ分かりませんが、いずれにしましても、こうした反応により、その都度何と言いますか身が引締まる思いがし、同時に次のブログもまた、その影響の下に記すことが出来ているといって良いと思われます・・。

さて、本日は半分仕事で都心部に出向きました。

気温はそこまで高くならず、そこそこ快適であったと思われます。
とはいえ、日曜日ですと都内の繁華街はやはり大変な混雑であり、首都圏に戻り一年以上経ちますが、やはり時折困惑することがあります・・(苦笑)。

また、私がかつて在住した都市には、それぞれ何といいますかアジ、風情のようなものがありましたが、東京においては、そうした都市に相当する規模を持つ繁華街がいくつも衛星都市的に存在するため、どうも未だにそれら各々のアジ、風情といったものがよく分かっておりません・・(苦笑)。

しかし、繁華街ではありませんが、靖国通り沿いの市ヶ谷~岩本町周辺に関しては、あまり大きく変わらず、現在においても、以前と同様、すぐに慣れることが出来たと思われます・・。

これはやはりかつてと同様、古本屋街が存在することが大きいのではないかと思われます・・(笑)。

また、それに加え、この地域(市ヶ谷~岩本町)とは、日本の近代歯科医学揺籃、発展の地であるといっても良いと思われます。

それは、現在においてもなお、この地域に特に集中し歯科大学、歯学部が存在することから理解できるのではないかと思われます・・(4校が現在なお、この地域内に存在しています)。

もっとも、こうした事情とは何も歯科医学の教育機関においてのみいえることではなく、同様に、数多くの老舗私立大学、医科大学の発祥の地がこの周辺であることから、かねてよりこの地域とは、教育機関が集中するような「何か」があったのではないかと思われます・・。

そして、その「何か」とは、かつてこの地域に存在した江戸幕府の学問所であったり、剣術の道場といったものではないかと思われます・・。

こうした土地に付随する文化、傾向とは、時代の覇権政権が変化しても大きく変化せず、そのまま引き継がれることが多いのではないかと思われます・・。

そして、そうした視点にて様々な遺跡およびその出土物などの意味合いについて考えてみますと、それはそれでなかなか面白い発見もまた、あるのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心に発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。

加えて、現在接近中の台風による九州、奄美、沖縄での被害が出来るだけ軽微であることを同様に祈念します。」







2016年10月2日日曜日

20161001 様々なお話しを伺って思ったこと・・【生きた歴史意識とは・・?】

おかげさまで9月の閲覧者数も20000人に到達しました。
これは7・8月そして今月と継続して3カ月の20000人到達となりますので、このことから一連のブログ記事を閲覧してくださっている方々が徐々にではありますが増加していることが示唆されるのではないかと思われます・・。

しかし、今後1月(ひとつき)に30000人に到達するまでが、なかなか困難な道のりではないかと思われます。

1月に30000人ということは、平均して1日に大体1000人以上の方々が閲覧しているということになりますので、これは現状(1日におおよそ400~700人、多い日で1000人以上)から考えてみますと、多少難しいのではないかと思われます・・(苦笑)。

とはいえ、とりあえず記事を記し続けることにより、閲覧してくださる方々が増加すると一般的にいわれており、また、このことは私の実体験とも合致しておりますので、まあ、そうしたことはあまり考えず記事を作成し続けようと思います。

また一方で、こうした経験則・法則らしきものとは、その有効範囲があると云えますので、こうしたこともまた頭の片隅に留めておきます・・(笑)。

そして、これまで閲覧してくださっている皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

さて、以前もブログ記事に記しましたが、ここ最近仕事にて主に都内・首都圏の歯科医院に行くことが多いです。

そこで院長である歯科医師の先生からお話しを伺うと不思議なことに、その内容に関して共通していると思われることが多いのです・・。

こうしたことは一体何故生じるのか、その理由とはわかりません。あるいは私が先生方にそうした共通性を引出す何かしらの因子を持っているのであろうか・・?とも考えてみましたが、おそらくそれは自意識過剰であると思われます・・(苦笑)。

また、それと同時にこうした共通性を認識しますと、私はどうも北杜夫著の長編小説「楡家のひとびと」あるいはその構想のもととなったトーマス・マン著の同じく長編小説「ブッテンブローグ家の人々」といった著作を連想します・・。(後者は未だ読んでいないが・・)。

おそらく、こうしたお話しを首都圏のみならず、各地方の歯科医院にて数十件程度伺い、その記録を採り、それらを適宜合成、調整し物語と為すことにより、日本の(近代)歯科医療の歴史といったものを集約・抽象化した物語を作ることが出来るのではないかと思われました・・(こうした手法とは、あとになり考えてみますと、我が国に古くからあるのではないかと思われました。(例:ヤマトタケル))。

無論、現在の私にはその任が重すぎるとは思いますが・・・(苦笑)。

とはいえ、そうした考えが不図頭をよぎる程に、これらの伺ったお話しは含蓄および自然な歴史感覚に富むものであると私は考えます・・。

しかしながら、考えてみますと、おそらく、こうしたことは何もさきに挙げた歯科医療職種に限定されるものでもなく、たとえば、村上兵衛著の「桜と剣」あるいは比留間弘著の一連の著作などからは、近代日本陸軍(帝国陸軍)に対する現在の一般的な認識とはまた異なった認識、評価が得られるのではないかとも思われます・・。

また一方において、丸山眞男、会田雄次、山本七平、大西巨人、大岡昇平、司馬遼太郎等の近代日本陸軍(帝国陸軍)に対する視点も極めて重要であるとは思いますが・・。

そして、現代の我が国において歴史認識、歴史感覚(あるいは単に偏狭な国粋主義かもしれない)を高揚させることを意図したとも見ることができる様々な著作、映画、ドラマにおいて決定的に欠けているのは、高揚(あるいは煽情的)とは縁がない・目的としない、その時代、その職業における「日常性を活写した要素」「生きた歴史認識、感覚」といったものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の今後出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」

2016年10月1日土曜日

20160930 親戚の師匠のことについて・・

本日は仕事にて近く(信濃町~千駄ヶ谷)を通ったことから、昨年初夏に亡くなった親戚(叔父)の位牌にあいさつをしてきました。

昨年夏前に帰郷し、当時、病床にあった叔父と様々な話をさせて頂いた記憶は多分、忘れないでしょう。

思い返してみますと、私の文系学問に対する興味のごく初期での動機付け、知的好奇心駆動の原動力は、主に、この叔父による影響・感化であったのではないかと思われます・・。

他の兄弟もまた、古今東西の歴史・文化に対する興味は少なからず持っていましたが、私のようにはなりませんでした・・(そちらの方が良かったのかもしれませんが(苦笑))。

かえって私も後に兄弟達が進んだ医療系の学問分野(基礎)での研究活動を行うことになりましたが、その分野に入ることはありません(できません?)でした・・。

この時のことは現在考えてみても、思うところがありますが、とりあえず学位取得にまでは至ることができました・・。この時お世話になった皆様、どうもありがとうございます。

そして、学位記を当時まだ元気であった叔父のもとに持参すると、修士号取得時よりも、かなり喜んでおられました。その後、さらに学位記を持参し祖父母・兄の墓、千葉県市原市にある、かつて(明治~大正期)小学校の校長、そしてそれ以前は沼津、菊間藩士であった御先祖の石碑まで報告に行きました・・。

こうした行動から、おそらく、その当時もD2病のままであったのと思われます・・(苦笑)。

またそれに加え、生前の叔父の多くのハナシあるいはその眼差しから、どうも、こうした考えを惹起させる「何か」(酔わすもの・・?)があったのではないかと思われます・・。

そしてそれが、ある種の文系学問のエッセンス(先に投稿したブログ記事における歴史感覚)のようなものであったのかもしれません・・。

さて、さきにも書きました石碑ですが、以前在住していた鹿児島市内においても、こうした地元出身の歴史的偉人の顕彰碑、石碑などが多く見受けられました(特に市内加治屋町)。

それらの顕彰碑、石碑などの配置から、明治10年(1877)の西南戦争において、西郷軍側として戦い亡くなった方々と、敵対する官軍側として戦い、その後、政府中枢の顕職に就いた方々の多くがごくごく近くに生まれ育ってきたことが理解できます・・。

このような地域とは我が国においては少ないのではないでしょうか・・?

そして、牽強付会であるかもしれませんが、そうした背景を持つ地域に住んでいたことから、帰郷後の私はそのような行動をとったのではないかと思われます・・(笑)。

以上のことから、私の背景には、歯科医療系の要素がいくらか存在するのであろうとは思いますが、同時に、それ以上に文系学問の要素が存在するのではないかと思います・・。

それ故、手前味噌ながら考えてみますと、私とは、どちらの分野(歯科、文系)においても中途半端であると評されるかもしれませんが、一方、これは丁度良い適度の発露の配分(歯科・文系)を持っているとも考えることが出来るのではないでしょうか・・(笑)?

そして願わくは、今後あともう一つぐらいの学問分野において、そうした発露が出来る程度にがんばってみたいと考えておりますが、さて、どうなるでしょうか・・(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ速やかな復旧そしてその後の復興を祈念しております。








2016年9月29日木曜日

20160929 昨日投稿のブログ記事に関連して・・主に書籍からの抜粋引用

昨日投稿した記事(主に書籍からの抜粋引用)と関連しているのではないかと思われる記述を以下に示します。
そして、ここまで記していて、昨日の抜粋引用部の著者である丸山眞男と本日のそれの著者である橋川文三とは師弟関係であるこが想起され、これは必然であるのかもしれませんが、なかなか面白く思われました・・(笑)。
さて、以下、抜粋引用部です。

岩波書店刊 橋川文三著 中島岳志編 「橋川文三セレクション」pp.2ー5より抜粋引用 

『われわれ日本人の生活意識もしくは文化形成契機として、「歴史意識」とよばれるものの作用はむしろ希薄であるというのが「通説」のようになっている。そのことは、卑近な日常の思考・行動様式においても、理論形成の内面的契機の問題としても、あるいは芸術的な様式活動の領域においても、同様に指摘しうるものとされている(たとえば上原専禄・加藤周一の対談「歴史感覚・歴史意識と歴史学」を参照―「思想」昭和三十二年五月号)。しばしば一種の通俗的な文化類型学的思想として、日本人の意識形態を古代ギリシャ人のそれに類推することが行われるが、その場合にも、芸術的感性の優越ということとならべて、「歴史」に対する無感覚ということが共通性の一つとされるのが普通である。ともあれ、「歴史意識」の欠如を説き、それを「持たなばならぬ」とするたぐいの発現は、われわれがしばしば耳にするところでもあり、そこにはさまざまな政治的評価もからんで、複雑な思想問題があらわれている。しかし、他方、「日本人は歴史観の上に生きることの強い国民である」(折口信夫「民俗学」-「歴史教育」昭和七年十一月、臨時増刊号)というような発言も、ごく当然のこととしてうけいれられるような状態があることも否定できないであろう。とくに戦前の教育をうけた世代にとっては、その内容がいかなる意味をもったにせよ、「歴史」からはなれて、思考や行動の意味をとらえるということはなかったともいえるのである。(そのもっとも極端な例をいえば、「八紘一宇」といった古代的イデオロギーが、少なくともたてまえとして、国民の行動原理として機能しえたのは、つい昨日のことである。)ここには明らかに概念規定における矛盾ないし困難がある。
日本人に「歴史意識」が薄いというのが真理であるならば、他方で歴史観における強さをいうことは虚偽でなければならない。(あらかじめいえば、私はそのとおりだと考える。)

そして、私は、折口のいう意味での歴史観を、コリングウッドにならって、擬歴史意識(Quasi-history)として区別することにしたい。

それなら、いわゆる「歴史意識」とは何か、このことを、予備的に検討しておくことがやはり必要であろう。まず明らかなことは、それは歴史という学問のことでもなく、歴史の知識ということでもないということである。
わが国においてもっともさかんな学問の一つが「歴史学」であることはこれまた「通説」であるから、そこに「歴史意識」が欠如しているということはありえないことになる。
また、当然のことながら、それはあくまで「意識」のことであって「歴史過程」そのものではない。
どこの国、いつの時代にも、それが存在したことは明らかである。三木清の用語にしたがえば、学問としての歴史は「ロゴスとしての歴史」、即自的な歴史過程は「存在としての歴史」ということになるが(「歴史哲学」参照、「歴史意識」はそのいずれのことでもない。
 それは「歴史感覚」というか、あるいは歴史経験というか、直接感じ方の問題として、現象の背後にある歴史的厚みを感じる実感」「その実感があるから、物事の歴史的発展が論理的にとらえられ・・・専門化して歴史学にもなる」(加藤周一、前掲対談)という、そういう性質のものにほかならない。つまりそれは「歴史学」はもとより、「歴史的認識」「歴史的思考」「歴史的態度」「歴史的立場」等々とよばれるすべてのものの根底にあって、それらと関連しながらも、基本的にはそれらと異なる『一種の精神的能力』のことである。それは、あたかも感性のアプリオリな諸形式が、人間認識の前提として与えられているのと同じように、意識に内在する、ある基本的な様式として考えられるものであろう。
したがって、心理的実質に即していえば、それは「感覚」のある作用とも考えることができる。たとえば、マイネッケがその著作の一つにVom geschichtlichen Sinn und vom sinn der Geschichte(「歴史感覚と歴史の意味について」―邦訳名「歴史主義の立場」)と題した場合などは、そこにいわれる「歴史感覚」は「歴史の意味(ジン)を感覚しうる精神作用のことであり、そのまま「歴史意識」と同じ意味で用いられたものである。それなら、本来の「歴史意識」とは何か?われわれはここで、端的にトレルチュが、それに与えた美しい規定を見ることにしよう。「・・・そういう気持(歴史的関心」もしくは歴史意識―引用者)は、人類の歴史的生活を出来る限り広く観察しようとする気持ちであり、またなんら一定の実践的目的を立てることなしに、ただ、人間存在の豊富・充溢・活発さを眺めて感激するような気持であるのです。この多種多様なる歴史的世界に現れて居るもの、またその多種多様な姿を現すことによって歴史的世界を観察する人の心に神の如き広さと大きさを注ぎ込んでくれるもの、それは尽くる所なき神の生命であり、働きである、という風に私共には見えるのです。」(歴史主義とその克服」邦訳一〇四頁)

マイネッケが歴史主義の根底にある歴史的感覚(=歴史意識)について「この新しい感覚のもっとも生命ある根元」は『人間および人間の形成物における個性的なものへの帰依』であると表現した場合にも、およそ「歴史意識」についていだかれている観念は、ほぼ同様といえるであろう。つまり、そこに共通していわれていることは、マイネッケがその名著「歴史主義の成立」の巻頭に掲げたゲーテの言葉に示されるあの個体的なるもの(Individuum est ineffabile―個体的なるものは語りつくせぬ)への意識、それが歴史意識であり、歴史主義の母胎だということである。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。







20160928 主に電車内にて読んでいた書籍からの抜粋引用 丸山眞男著『忠誠と反逆』より

本日、電車内で読んでいた著作内での記述にて、昨今投稿したいくつかのブログ記事内容に対しての異なった視点ともなるのではないかと思われた部分を見つけましたので、以下それを抜粋引用します。

筑摩書房刊 丸山眞男著「忠誠と反逆」pp.422-423より抜粋引用
『歴史的認識は、たんに時間を超越した永遠者の観念からも、また、たんに自然的な時間の継起の知覚からも生まれない。それはいつでもどこでも、永遠と時間との交わりを通じて自覚される。日本の歴史意識の「古層」において、そうした永遠者の位置を占めて来たのは、系譜的連続における無窮性であり、そこに日本型の「永遠の今」が構成されたこと、さきに見たとおりである。この無窮性は時間にたいする超越者ではなくて、時間の無限の線的な延長のうえに観念される点では、どこまでも真の永遠性とは異なっている。けれども、漢意、仏意、洋意に由来する永遠像に触発されるとき、それとの摩擦やきしみを通じて、こうした「古層」は、歴史的因果の認識や変動の力学を発育させる恰好の土壌となった。ところで家系(イエ)の無窮な連続ということが、われわれの生活意識のなかで占める比重は、現代ではもはや到底昔日の談ではない。しかも経験的な人間行動・社会関係を律する見えざる「道理の感覚」が拘束力を著しく喪失したとき、もともと歴史的相対主義の繁茂に有利なわれわれの土壌は、「なりゆき」の流動性と「つぎつぎ」の推移との底知れない泥沼に化するかもしれない。現に、「いま」の感覚はあらゆる「理念」への錨づけから放たれて、うつろい行く瞬間の享受としてだけ、宣命のいう「中今」への賛歌がひびきつづけているかに見える。すべてが歴史主義化された世界認識―ますます短縮する「世代」観はその一つの現れにすぎない―は、かえって非歴史的な、現在の、そのつどの絶対化をよびおこさずにはいないであろう。
しかも眼を「西欧的」世界に転ずると、「神は死んだ」とニーチェがくちばしってから一世紀たって、そこでの様相はどうやら右のような日本の情景にますます似て来ているように見える。
もしかすると、われわれの歴史意識を特徴づける「変化の持続」は、その側面においても、現代日本を世界の最先進国に位置づける要因になっているかもしれない。このパラドックスを世界史における「理性の狡知」のもう一つの現れとみるべきか、それとも、それは急速に終幕に向かっているコメディアなのか。―だが、文明論は所詮、この小稿の場ではない。』

これはなかなか深いことを述べているのではないかと思われますが、読んで頂いた皆様は如何お考えになるでしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。

2016年9月28日水曜日

20160927 最近公開されたアニメ映画から勝手に思ったこと・・

さる八月に公開された地方と東京を舞台とするアニメ映画が大きな反響を呼んでいるとのことです・・。

この映画はストーリーの面白さもさることながら映像が大変キレイとのことであり、予告編を動画サイトにて視聴しますと「ウワサ通りたしかにキレイである。」と感じました・・。

しかし、実際の東京都心部の光景・景色とは概ね、このアニメ映画に描かれているような透明感のあるようななものではないと思いますが・・。

とはいえ、こうした描き方とは、アニメならではの創造的作業であり、やはり素晴らしいものであると思います・・。

また、一方の舞台である地方の光景、景色に関しては、自身の在住経験がないため、判断をすることができません・・。

もとい、こうした人格の入れ替わり、都市と地方との対比などを扱った物語とは、新しくとも日本霊異記の時代(~9世紀初頭)から我が国に存在しておりますので、現在の我が国にて、こうした主題、テーマが選ばれ、そして、それが人気を博しているということに対し「一体どのような背景となる世相、時代精神といったものが存在するのであろうか?」と考えさせられます・・。

こうしたものは、おそらく映像のキレイさといった要素のみにて人気を博することは少ないと思われますので・・。

また、都市と地方(文化)の対比そして融合、調和といったことを一つのテーマとして扱ったアニメ映画として一連のジブリ映画ほど有名ではないようですが高樹のぶ子原作の「マイマイ新子と千年の魔法」が挙げられるのではないかと思います。

この映画は鹿児島在住時に観ましたが、鑑賞の際、三十路過ぎであるにもかかわらず、不覚にも泣いてしまいました・・(笑)。

おそらく当時の私とは、この映画のテーマに対し甚く共感したのであろうと思われます・・。

興味を持たれた方は、よろしければ一度ご覧ください・・。

また、さきの映画のもう一つのテーマである人格の入れ替わりに関しては、アニメ化はされておりませんが、安彦良和のマンガ「天の血脈」が大変面白く、このマンガを読みますと、和歌山在住時にフィールド・ワークにて古社、古墳などに訪れた際の感覚が思い起こされます・・。
(あとになり手塚治虫の「火の鳥」(太陽編)もそうしたテーマであることを思い出しました。)

そして、その感覚の原因は判然としませんが、その感覚とは、こうした場所(古墳、古社など)を訪れると、以前ブログ記事にても記した「瞬時に様々な感覚の波が押し寄せる」といったものであるといえます・・。

このような感覚・精神現象?とは、なかなか面白いものです(そういえばラフカディオ・ハーンこと小泉八雲もどこかでそうしたことを述べていたと思います・・)。

もしかすると、我々とは、大概ある程度年齢を重ねると(多分30歳くらいでしょうか? そしてそのように考えると孔子の「論語」内の「三十にして立つ」とは、なかなか深い含蓄があるのかもしれません・・。)何かに対して、そうした感覚、現象が生じるように出来ているのではないでしょうか・・?
明確にはわかりませんが・・(笑)。

しかし、ハナシをもとに戻し、こうした都市と地方との対比、人格の入れ替わりをテーマとして扱ったアニメ映画を鑑賞する場合、それを鑑賞する人間が「どこで観るか」(都市、都会あるいは地方)によっても、おそらく鑑賞後の感想とは、大分異なるのではないかと思われます・・。

その意味において、このアニメ映画とは、(おそらく)一方において地方を舞台としながらも、その地方と東京の関係とは、我が国においてステレオタイプ化、無害化されたものから進化、変化していないのではないかと思われます・・
(対極にあるものが映画であれば野村芳太郎監督の「八つ墓村」あたりではなかろうか・・)。

また同時にそこから現今進行中の東京オリンピックへの一連の準備から看取される(東京における)時代精神らしきものを感じさせますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。